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第3回三国志シンポジウム 雑感2


  • 2007年8月31日(金) 22:42 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,926
教育機関 <目次>第3回三国志シンポジウム 雑感(2007年7月28日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/661
<前回>第3回三国志シンポジウム 雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/665

 一限目が終わってここで司会の渡邉先生から教室の外にお水を用意してある旨と高校生に向けたオープンキャンパスの案内が告げられる。それからあの名言、

それからあとはお土産というわけじゃありませんけど、ピーターラビットのですね、こんなかわいい(絵が入った)手提げカバンを持って帰って頂きますと、もれなく(そのカバンの中に)大学の案内が入ってまして、諸葛亮の罠でありまして…

が飛び出て場内の爆笑を誘っていた。というわけで5分程度休憩。
 清岡は外へペットボトルのミネラルウォーター(大東文化大のデザインでビックリ)を貰いに言って、知り合いと今回の三国志シンポジウムの客層の話などをしていた。


○二限目・・・中川 諭(大東文化大學中國學科準教授)
「三國志」と書道

 11時09分スタート。前の授業で掛け軸など展示してあったが、どうやら休憩時間中に模様替えがあったようで、ホワイトボードにはスクリーンがぶら下がっており、そこにMS Windows Vistaの画面が映し出されており、PCでなにやら発表資料を映し出すことがわかる。

●はじめに
 ※小タイトルはレジュメ通り。以下、同じ

 まず歴史の『三国志』と物語の『三国演義』の説明から。それと今回の授業では「三国志」と「書道」がどんな関係を持つのか、というのが主題とのこと。

●一、鍾[夕/缶系]─三国時代の書家

 まず『三国演義』での鍾[夕/缶系]の説明。場面は赤壁の戦い後のところ、銅雀台完成の祝いの宴のシーン(現在、通行している毛宗崗本にはなく嘉靖本にあるシーンとのこと)。まず武将が曹操の前で武芸を披露し、その後、王朗は詩を献上。続いて鍾[夕/缶系]が登場し、筆を執ると七言八句の詩を献上する。ここで中川先生の解説が入り、そもそもこの時代に七言八句の詩があることがおかしいとのこと。(この後、『三国演義』と『三国志』における鍾[夕/缶系]の紹介)。この鍾[夕/缶系]について『三国演義』(嘉靖本)では「善寫隷書、萬古為法」という記述があるが、『三国志』には出てこない。しかし、実は鍾[夕/缶系]が優れた書家であったといういくつも存在し、その内、二つを紹介。
 まず鍾[夕/缶系]が書いたとされる(直筆ではないが)書跡を見る。ここでレジュメの3ページを示す。そこには鍾[夕/缶系]「薦季直表」のコピーがある。皇帝に季直という人物を推薦するときの文章とのこと。楷書体で書かれているが、隷書体の雰囲気が残っている。特徴としてどちらかと言えば小さい字だが、力強くどっしりとした字で、特に盾の線が太く力強くなっている(ここらへんスクリーンに映しだして説明)。
 もう一つは書道理論の文献。孫過庭(609?-703?)という書の名人が書道についての理論を『書譜』(草書体で書かれている。687年に完成)にまとめる。今では書道の草書を勉強する時の代表的なお手本。『書譜』の冒頭(レジュメ4ページにコピーがあり、またスクリーンに映し出される。草書体で清岡にはまったく読めないで居た)で、孫過庭が書道の名手として、鍾[夕/缶系]、張芝、王羲之、王献之の四人の名前を挙げている。鍾[夕/缶系]は孫過庭から書家として高く評価されている。王羲之自身も鍾[夕/缶系]、張芝の二人を挙げている。
 王羲之、王献之の後を受け継いだのは初唐の三大家、虞世南、欧陽詢、楮遂良。極めて単純に言うと、その少し後に顔真卿(盛唐の時代)、宋代に蘇軾、黄庭堅が現れる。
 王羲之、王献之に先んじる優れた書家として鍾[夕/缶系]、張芝が挙げられており、中国書道史の正統派の流れの源になっているといえる。つまり『三国志』の時代が芸術書道にとって重要な時代であったと考えることができる理由の一つ。
●二、後の時代の書家と「三国志」

 書家が「三国志」をどう思っていたか。

●(1)蘇軾

 蘇軾(1036-1101、号は東坡)。学者として有名。文学作品として「赤壁の賦」がある(レジュメの6ページに示されて、スクリーンに映し出され、実際に三行目を読まれる)。蘇軾の書跡も伝わっている。書跡は楷書と行書の中間で力強い太い線でずっしりとした文字。また蘇東坡が「赤壁の賦」を作った場所は実際の赤壁の戦いの場所ではない。蘇東坡自身もそれを知っていた。

●(2)趙孟[兆頁]

 元代の人。趙孟[兆頁](1254-1322、字は子昂)。宋王朝の皇帝の血筋に連なる人物。王羲之の書風を再興しようとした人。「出師の表」を書跡として残している(7ページにコピーがある)。王羲之の「蘭亭叙」を思わせるような正統的な行書体。元の時代は中国がモンゴル民族に支配されていた時代で、もしかすると諸葛亮と自身を重ね合わせ、「出師の表」に思い入れがあったのかもしれない。

●(3)祝允明

 明代。中期になると書道のみならず絵画や文学など多方面にわたる芸術家が多く現れる。沈周、文徴明、祝允明、唐寅が代表的。その中で祝允明(1460-1526)の書跡を辿る。祝允明が書いた「赤壁の賦」(レジュメの8ページ)。自由奔放な草書体。『三国演義』嘉靖本は嘉靖元年(1522年)に印刷出版されているので、もしかすると、好事家の祝允明が読んでいたかもしれない。

●終わりに

 三国時代に構成の書道史に大きな影響を与えた書道の大家、鍾[夕/缶系]が居て、三国志より後の時代になるが、「三国志」に関わる文章を題材にした作品を残している書道の大家はたくさんいた。つまり「三国志」と書道は意外にもしっかりと繋がっている考えられる。

 11時43分終了。3分ほど休憩。


<次回>第3回三国志シンポジウム 雑感3
http://cte.main.jp/newsch/article.php/675

※追記 リンク:漢字文献情報処理研究会

※追記 鍾繇 宣示表・薦季直表(2015年9月5日)

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