プロローグ
凡 例
第一部 博士家と禅林における中国通俗小説受容
第一章 中世禅林における『新刊全相平話前漢書続集』の受容―清家文庫所蔵『漢書抄』への引用をめぐって―
一 全相平話五種をめぐって
二 『漢書帝紀抄』における『前漢書平話続集』の引用について
三 中世禅林における漢書家の系譜
四 『漢書帝紀抄』に『前漢書平話続集』を書き留めたのは何人であるか
五 中世における『前漢書平話続集』の受容
附一 『前漢書平話続集』『漢書帝記紀抄』対照表
附二 〈漢書家之系譜〉
第二章 清原宣賢の中国通俗小説受容―『蒙求聴塵』を題材として―
一 『蒙求聴塵』について
二 宣賢と『漢書』を題材とする通俗小説
三 『蒙求聴塵』に見る中国小説受容の痕跡ついて
第三章 中世禅林における関羽故事の受容―「百万軍中取顔良」故事と関羽所用の大刀をめぐる一考察―
一 無著道忠『禅林象器箋』披見
二 関羽故事「百万軍中取顔良」をめぐって
三 関羽所用の大刀をめぐって
四 中世禅林における関羽故事受容の概略
第四章 中世禅林における諸葛孔明像
一 羽扇綸巾の人
二 中世禅林における諸葛孔明像の背景
三 諸葛孔明と葛巾・羽扇
四 諸葛孔明像の形成と『三国志演義』
第二部 『通俗三国志』をめぐる諸論考
第一章 『通俗三国志』について
一 通俗物とは
二 書誌
三 翻訳者文山について
四 文山訳『通俗三国志』とその他の翻訳書について
五 西川嘉長
六 栗山伊右衛門
七 翻訳の底本
八 正史『三国志』披見の有無について
九 柳成龍『西厓先生文集』の利用について
十 朝鮮版『三国志演義』との関連について
第二章 『通俗三国志』の俗語翻訳について
一 全篇に亙る翻訳態度について
二 俗語語彙の翻訳について
三 元禄期における文山訳の意義
第三章 『通俗三国志』に見る翻訳の諸相―はたして翻訳は一人の手になったのか―
一 『通俗漢楚軍談』巻之七までに見る章峯の翻訳態度
二 『通俗漢楚軍談』巻之八以降に見る徽菴の翻訳態度
三 『通俗三国志』に散見される徽菴訳の特徴
四 「通俗」の意味するところ
第四章 「通俗物」の介在を論ず―山東京伝の中国通俗小説受容―
一 京伝と「通俗物」
二 『通俗忠義水滸伝』の利用について
三 『通俗酔菩提全伝』の利用について
四 『通俗赤縄奇縁』の利用について
五 『通俗金翹伝』の利用について
六 「撮合」の意味するところ
第三部 『三国志演義』世界の伝播と浸透
第一章 江戸時代の漢詩文に見る関羽像―『三国志演義』との関連において―
一 幕初から貞享期にかけて(一六〇三~一六八八)
二 元禄期から享保期にかけて(一六八八~一七三六)
三 元文期から享和期にかけて(一七三六~一八〇四)
四 文化・文政期から幕末まで(一八〇四~一八六七)
第二章 江戸時代の絵画における関羽像の確立
一 関羽像の淵源
二 関羽像の確立
第三章 江戸時代の漢詩文に見る羽扇綸巾の諸葛孔明像―『三国志演義』との関連において―
一 武井柯亭賛・狩野養信画「諸葛孔明像」
二 幕初から貞享期にかけて(一六〇三~一六八八)
三 元禄期から享保期にかけて(一六八八~一七三六)
四 元文期から享和期にかけて(一七三六~一八〇四)
五 文化・文政期から幕末にかけて(一八〇四~一八六七)
第四章 伊藤仁斎、東涯父子の諸葛孔明観
一 王佐の人 諸葛孔明
二 伊藤仁斎の諸葛孔明観
三 伊藤東涯の諸葛孔明観
四 仁斎と徂徠
第五章 諸葛孔明批判論とその本邦における受容をめぐる一考察
一 清原宣賢『蒙求抄』
二 『輟耕録』に見る孔明批判
三 薛能詩に見る孔明批判
四 本邦の漢詩文に見る孔明批判受容
五 草廬高臥の人
第六章 近世における『三国志演義』―その本邦への伝播をめぐって―
一 『演義』を媒介とする関羽像の本邦への伝播
二 『演義』を媒介とする関羽像の地方への伝播
三 『演義』を媒介とする趙雲像の本邦への伝播
第七章 日本漢詩文に見る楠正成像―諸葛孔明との関連において―
一 貝原益軒の楠正成評価
二 朱舜水・安東省菴の楠正成評価
三 漢詩に見る正成と孔明
四 津阪東陽『忠聖録』
エピローグ
おぼえがき
巻末資料 江戸時代の漢学者による三国志詠一覧
三国志関連人名・事項索引
人名索引
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