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清岡的見解:ねこまんまさんについて http://tinyurl.com/nekonomanma3
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メモ:飯田オフ会(2016年11月5日)


  • 2017年1月25日(水) 23:39 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,327
展覧会 ※前の記事 人形劇 三国志 三顧礼での諸葛亮の寝台デザイン(1983年3月19日)

 前の記事にあるように、2016年11月5日土曜日正午ごろ、清岡は飯田オフ会に参加すべく、飯田市川本喜八郎人形美術館前に集合していた。主催のキリエさん、おももさん、それからVIP的な船塚さん&佐々木さん、澤原はなさん、そして清岡。昼食後に合流の、長田からいらっしゃった、あきよんさん、ふじやんさん、の8名。
 この中で清岡と初対面は船塚さんとおももさん。佐々木さんとは初対面と思い込んでいたんだけど、実は違ってた、ってのは前の記事で書いたとおり。キリエさんとはなさんとは六間道三国志祭以来だろうか。ふじやんさんとあきよんさんとは先週の観劇以来だ。

※関連記事
 メモ:六間道三国志祭(2016年10月2日)
 メモ:精巧大型人形劇「三国志」-総集編-(2016年10月30日)

・飯田市川本喜八郎人形美術館
http://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/

※リンク追記
・CREATIVE MASTER
http://c-master.jugem.jp/
・飯田市川本喜八郎人形美術館
http://c-master.jugem.jp/?eid=254
※おももさんによるブログ記事

※リンク追記。
・ラジオCha-ngokushi(ちゃんごくし)第34回 2016.11.7配信
https://www.youtube.com/watch?v=EWxcFl4yQ-E
※あきよんさんが飯田市川本喜八郎人形美術館に行った話が含まれる。

※関連記事 ラジオCha-ngokushi(ちゃんごくし)第1回(2015年7月20日)

 お互いに挨拶をして、早速、予定のそば屋に向かうことになる。「そば処 かざこし」。予約してくださったとのこと。お勧めは天ざるとのことで、みなさんほとんどそれを注文していたんだけど、清岡は汁を味わいたかったので、月見そばを頼んでいた。

  
※はなさんから頂いた写真

 待っている間は三国志フェスで展示された歴代の「人形劇三国志」関連の人形。初回の三国志フェス2010では関羽の墓が展示されていたと。船塚さんによると捨てられそうになっていた孔明の墓を持って帰った方がいらっしゃったと。

※関連記事 三国志フェス2010(2010年8月21日土曜日)

 それから前の記事の最後に書いた二度驚かれた話。それから川本喜八郎人形ギャラリーの話。

※関連記事 メモ2:三国志・君主と軍師・謀臣たち(川本喜八郎人形ギャラリー 2016年9月4日)

 それから展示の人形のポージングに際して船塚さんと佐々木さんの役割を伺っていたっけ。その流れで佐々木さんが地元で見ていた人形劇がまさか自分の仕事になるとは思ってもなかったという貴重なお話も伺っていた。もちろん各人の飯田市川本喜八郎人形美術館の訪問歴も。個人的に印象に残ったのは、川本先生の人形についての船塚さんと佐々木さんのコメント。同じ職場の、大げさな表現で記述すれば「戦友」なんだなという、遠慮がなく、それでいて確かに背後で愛情が腰を据えている所が、ね。例えば「川本先生の女性の人形はホント不細工…それでも光る角度が必ずあるんだよね」という旨。
 そんな感じでおいしい料理を楽しみながら、「人形劇三国志」話中心で盛り上がっていた。レシートにある時刻は13時11分。

 13時過ぎに美術館に向かう。オープンしたときは外壁が真っ黒だったのにかなり色が落ちていると佐々木さんがおっしゃっていた。いわれてみれば。昔、一階にあったそば屋のお話もうかがってたっけ。

 やはりエントランスの孔明人形で皆、立ち止まり、撮影していた。ここが唯一の人形の撮影スポットだしね。船塚さんによると、人形が美しくみえる固有の角度、ってのがあるらしく、この撮影用の孔明人形も例外じゃないらしい。正面は不細工なんでアップで見ないでほしいとおっしゃっていた(笑) 左斜めからが美しいポイントがあると。ちなみにそこからだと入って右奥にある川本先生の遺影がフレームにおさまる所となる。
 3階に上がり、自動ドアをくぐって照明がコントロールされた展示室へ。三国に限っていえば、大まかに下のように図示すると、9つの展示ケースに分かれていた。

   [4]  [7]  [8] [9]

[3]      [6] 
[2] [1]  [5]
 入口        出口

 展示は題して「後漢末-三顧の礼ー」だそうな。何が展示されているか公式ブログの記事で確認できそれを下記の関連記事で追記した。「趙譲」とか「蹇碵」とか結構、誤字が多いので要注意。そこにあるサブタイトルもナンバリングの直後に引用しておく。

※関連記事 後漢末-三顧の礼ー(飯田市川本喜八郎人形美術館2016年6月4日-)

 まず入り口右手に出迎えるように[1]のケースがある。

[1]〈ギャラリー入口〉
 呂布
 貂蝉

 貂蝉の背中に呂布が寄り添う形。正面からと背面からとでは見方が違うと感心する一同。
 この機会のどこかで改めて確認したのだけど、番組「人形劇 三国志」で使用された人形(または頭(かしら))を「オリジナル」と称し、番組の後、同じデザインで作ったのが「レプリカ」と称されていて、どちらも川本喜八郎先生の制作には違いがないとのことだ。佐々木さんの話によると、呂布が初めに作られた、大きさの基準になったと。でも、足のバランスが、実在の人間と違う。つまり、足が短い。動かす人形としてはこのバランスになるとのこと。それら佐々木さんの解説に船塚さんが補足する形となっていた。

[2]〈黄巾党の蜂起〉
張梁 張角 張宝

 いわゆる黄巾三兄弟。やはり清岡は前回展示との違いに目が行く。前回はより沈んだ雰囲気だったのに、今回は無理してる?って思ってしまうほど、盛り上がりや勢いを感じる三人だ。みんな張角がかわいいってさ。

※関連記事 メモ:飯田市川本喜八郎人形美術館(2016年4月2日訪問)

 佐々木さんによると、今回の展示に合わせ(レプリカで)はじめて黄巾の旗をつくったそうな。オリジナルの旗について「誰かにあげた?」と清岡が茶々を入れてた。

[3]〈黄巾党の蜂起〉
兵卒 兵卒 盧植

 官吏姿の盧植を兵卒たちがひっ捕らえようとする場面。兵卒はそれぞれ長柄の武器を盧植に向けているが、盧植は毅然としている。兵卒は個性的な顔をしていて親しみを感じる。佐々木さんによると川本さんがこうあるべきだと、盧植を作ったそうで。
 衣装の布地の話になる。そこから発展して人形の着替えの話題になり、人形の構造上、首を挿げ替えて着替えるそうで。「夜中0時になると着替えだすとか」と清岡が茶々を入れてしまった。
 お昼にも話題になっていたけど、人形の展示、ポージングも含め、佐々木さんによると「角度から何から船塚さんの指示」とのことだそうで。佐々木さんが展示の様子を臨場感込めて解説してくださるもんだからとても楽しめた、「ハイ、そのままゆっくり首を下に動かして…ハイ、そこ、その角度……1ミリ行き過ぎた」とかね
 人形には役柄に応じて仕掛けが用意されているけど、うなづきはストッパーでとまっていて、結構、硬いそうな。そういう展示をよりすばらしいものにしようとする努力を伺っていて気付いたことをまとめるように清岡は感心してこぼしていた、「人形はもともと操演用。しかもまさに動いているように止める」

[4]〈宮中の抗争〉
 張譲  蹇碩 何進 何后    弘農王 陳留王
段珪  趙忠       董太后

 ちょうど蹇碩、張譲、趙忠、段珪の宦官らが何進との対立構造で、その裏面的に何后と董太后との対立のドラマがあり、それらの対立が無化されるほどの弘農王と陳留王とが蝶々を追う無邪気な場面。
 ローカルで張譲と趙忠、どっちが霊帝の母か父かって話をしていた。

・出世のあり方(孫氏からみた三国志35)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w050501.html

 こうやってどろどろの殺伐とした背景のある場面を見て、佐々木さんがおっしゃるに、すぐ死んでしまう人形、それはそれであわれ、ってこと。
 ここでみんなの注目を集めていたのが何后と董太后。手前で横たわり杯を落とす董太后に、後ろから視線を送る何后という位置関係。それに対してなにやら感嘆の声を上げていて、なぜかしゃがみだすみなさん。清岡は「子供の視点ですか?」と勘違いしてたのだが、どうやら、董太后ごしに何后の眼差しが見れるそうで、それで理解した、つまりは「サスペンス劇場」と言いたくなる恐怖体験が味わえる。気づけばみんなしゃがんで展示を仰いでいて、船塚さん&佐々木さんに「写真にとっておきたい」とおっしゃるほどウケてらした。
 誰かが「ちなみにこの展示、いつまでですか?」と疑問を投げかけると、船塚さんは2月19日と答えてくださる。キリエさんは「もう一回くれば三顧」とおっしゃっていた。

[5]〈玄徳の周辺と乱世の群雄〉
        美芳 淑玲 阿斗 劉備の母     馬騰   董卓
関羽 趙雲 黄忠 張飛 孫乾 馬超       陶謙 袁紹 袁術 曹操

 左側が蜀漢の面々で前列、後列共に和気藹々としている。それとは対照的なのが右側が居並ぶ群雄たちで、それぞれ単独で自己主張している。
 船塚さんによると、ここの展示には仕掛けがあって、それについて重大なヒントをおっしゃってくださる。

船塚さん「関羽の所から曹操を見てください」

 先ほどの董太后じゃないけど、ガラスケースの左端にみなよって、関羽の側面から曹操をみると、あら不思議。びんびんに曹操の視線を感じる。

ふじやんさん「(曹操が)ちょっとさみしそうな顔になっているし。」

 そこでみな素朴な疑問を抱く、同じように曹操の背中越しに関羽を見てみる。…が、全然曹操の方を見ていない。この非対称な関係性にため息を漏らしていた。
 その流れで右側の群雄を見ていた。左側との対応で、

清岡「この馬騰と馬超、親子ですよ」

ともらす。袁術について。佐々木さんによると手に持つ玉璽は川本喜八郎先生の判子だそうな。また後列高い位置にいて、まさに「ふんぞり返る」という言葉のままな董卓について、お二人がおっしゃっていたのが、人形を支える塩ビの柱をできるだけまげたそうで。
 番組では専任で操演されていた船塚さんは、曹操の展示にある赤い衣装が一番好きとのことだった。その会話で、照明で色がおちる話が出てきて、昔は鮮やかな臙脂色だったそうで。
 個人的には無駄に豪華っぽくみえる袁紹の金の冠と、馬騰の馬面が気になった(とこの時点では気づかなかったが、姓と合わせているのか、と)。
 それから左側のところ。張飛を中心に居る面々を見て、清岡は「そうかそうか、無意識で五虎将軍と思い込んでた」と溢していた。前段に孫乾も居るね。両手を広げて黄忠に見せている張飛のアテレコをする清岡。「おれの釣った魚はこんなんだ」
 後段の女性陣について。劉備母に抱かれる赤ん坊の阿斗は「ちゃんとみてもらうとわかるんですけど、手もちゃんと握っている」とのことだった。
 そんな感じで盛り上がった後はいくつもの話の輪ができていた。ふと気づくと、曹操ファンのはなさんが船塚さん&佐々木さんを独占して話していたので、思わずツッコミを入れてしまったが(笑)

[6]〈中央ケース〉
 紳々 竜々

 黄色い鉢巻(黄巾)をつける場面。今、勢いのあるところにつこう、ってコンセプトだそうな。
 そういや、別の所での会話だろうけど、三国にあまり興味ない層はこれが一番興味を引きやすいんでお偉いさんはこれをマストで置きたがるって話をしてたんだっけ。

[7]〈三顧の礼〉
張飛の馬 白竜        劉備  孔明(寝間着)
   赤兎馬  関羽 張飛     諸葛均

 ひとつのケースがまるまる三顧の礼の場面。竹林、柵、寝台、と人形以外での演出にも気が配られてある。
 劉備は鼻の穴が大きくて不細工と、船塚さん。その不細工な角度にならないようにポージングに気を配っているという文脈。
 手に持つ「三顧茅廬」『三国演義連環画』22(上海人民美術出版社1958年)をわざわざみせ、違いを見せる、オタク的対応の清岡……いやそういうイタいオタクだというネタだけどわかりづらいね。
 その流れで、(番組ではあった)劉備のヒゲがないとツッコミを入れる。いやそれに対してネタとわかりやすいようすかさず「マニアが言いそうな…」と自己ツッコミを入れたんだけどね。ありもので展示を組み立てないといけない、ときっちりおっしゃってくださった。なるほどそういう前提があるんだね。
 諸葛亮を叩き起こそうと、今にも飛び込んでいきそうな張飛を後ろから帯をつかんで冷静に留める関羽。それに清岡は「このあと、関羽のジャーマンスープレックス。」と茶々を入れてたっけ。
 佐々木さんによると、ここでオリジナルは諸葛均だけで、あとはレプリカだそうな。こんな孔明、めったに見れないとばかりにみんな食い入るように見る。実はベッドに羽扇がおいてあると教えてくださる。
 劉備は礼遇しようとひざをついてうつむいているのだけど、人形の性質上、きれいに片ひざがつくれないそうな。中にあんこをつめているとのこと。
 確か、目覚めた孔明は詩を吟じるんでしたよね、と清岡は話していたっけ。

・孔明の吟じた詩
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=2023

 この展示は董太后や関羽、曹操の場合のように誰か越しに見る楽しみがあると言い合っていた。
 ちなみにオリジナルの張飛には胸毛があるそうで。そんな話で盛り上がってた(なんやそれ・笑)

 美術館のその展示場にはわかりやすいように中身が見える操演の人形があって、館員さんがそれを使って説明するのだけど、それを使って、船塚さんの操演講座が始まる。佐々木さんによると、番組ではカメラの目線を通して操演しないといけなかったそうで。日本ではみんな左で胴串(どぐし、人形の中心の支柱)をもつという不文律があるみたい。
 実際、船塚さんが動かして見せてくださる。からくりのひとつであるうなづきをしてみせる。主役級はからくりが5つあったそうな。人形の歩幅は当然人間のものとは異なんで、それはモニタを見ながら調整されていたそうで。右手で操る人形の腕につながる棒や中棒の役割について伺っていた。みんな感動の声を挙げる。
 中棒の話になるとそれが命と船塚さん。すかさう人形で「命」のポーズをとってらした(笑)
 ここで人形をたくされたあきよんさんが実際に動かしてみる。清岡も動かしてみるのだけど、素人が動かすと酔っ払いみたいな動きになるね。あきよんさんはどんどんうまくなるし。

清岡「しんしん、ろんろん、あきあき」

と茶々を入れていたのだけど、段々とうまくなるあきよんさん。
 ここで清岡から質問で、声の録音はどのタイミング? そうすると声が先のようで、その再生に合わせて人形を操演するという。どうしても操演が合わないときは0.5秒とか微妙な空白を入れ込むとのことで、一同感心していた。清岡がアニメ「おもいでぽろぽろ」の方式と言っていたら、しばしジブリ話のやり方がつづいた。
 他の質問で剣はどうやって人形に持たせているのか?と。手に輪ゴムで止めている、と冗談のようなことをおっしゃっていたが、室内に展示されている番組での場面のパネルを見ていくと、赤壁の戦いの場面があり、実際、曹操の手に輪ゴムがあった(笑)

[8]〈江東と荊州〉
 孫権 孫堅 孫策  蔡夫人 劉琮 劉表
甘寧 太史慈 程普    蔡瑁    劉琦

 [5]と同じく左右で場面が違っていて、左の後段で居並ぶ親子に、その前段では臣下の武将三人。右側は荊州の面々。孫堅ら親子について、

船塚さん「ほんとはこんな場面ありえないけど、1回は3人ならべてほしいって要望が多かったので」

 孫策が若い頃に亡くなっているため、長男なのに、孫権と比較するとそう見えず、また一番若いはずの孫権がそう見えないので、今まで並ぶことがなかったという。他にも珍しいことは孫権が立っていること。いつも玉座にすわっているので。誰かが「クララが立った」的に「孫権が立った!」とおっしゃっていた。
 他に「周瑜と孫策を並べるところが見たいです」とリクエストがあったそうで。ちなみに今回周瑜はいない。
 前列の甘寧、太史慈、程普は何かを語り合っているような配置なんだけど、太史慈のうなづきを固定した線が外れているらしく、あごがひいた顔になっているそうな。

清岡「人形が嫌がったのでは?」

[9]〈臥龍出廬〉
徐庶の母    水鏡先生      孔明 龐統
     徐庶  水牛 勝平 孟公威 崔州平 石広元

 孔明が出廬する前後の荊州の面々。勝平は「人形劇三国志」のオリジナルキャラクターながら後の関平という設定。前段の孟公威、崔州平、石広元の三人は魚をつまみに談笑している荊州学派な面々。

 それで誰かのお別れの時間が来る前にお茶しましょ、ってことで外に向かう。いや、その前に集合写真ってことで、エントランスの孔明人形の前で集合写真を撮る。館員さんがシャッターを押してくださったのだか、きっちり右奥の川本喜八郎先生の遺影も納めてくださっていたのに後で気づいた。

 16時ぐらい。その後、船塚さん&佐々木さん行きつけの喫茶店「黒金」(字があっているかどうか未確認)へ行く。
 清岡はコーヒーフロートが気になって尋ねてみるとおいしいそうで、それを注文する。550円。それで振り返りの話。あきよんさん感動が先に行き過ぎて言葉がおいついてない感じだったので、おもわずツッコミを入れてしまった(笑)
 そこから佐々木さんによる人形展示の話。船塚さん以前はアニメータの人が展示にかかわっていたそうで。そして船塚さん担当は今回の展示で最後だそうで、みんなとてもざんねんがっていた。人形台に乗せると高さがかわり見る角度もかわるんで、それが栄えない角度だとまたポージングのしなおしだとか。
 清岡からはあきよんさんに向かって、プレッシャーになるかもしれないけど、と前置きをおいた上で、ラジオCha-ngokushiを楽しみ、って話をしていた(「もしかして三国志祭の話かもしれないけど」って1ボケを入れつつ・笑)。

・ラジオCha-ngokushi(ちゃんごくし)第34回 2016.11.7配信
https://www.youtube.com/watch?v=EWxcFl4yQ-E

※関連記事 ラジオCha-ngokushi(ちゃんごくし)第1回(2015年7月20日)

 17時ぐらいに神戸市新長田からいらっしゃったふじやんさんとあきよんさんが帰宅。ちなみにお二人から楠公せんべいを頂いた!おいしく頂いたし、次の日の三国志 義兄弟の宴 落ち葉見にもっていったし。
 その話をおももさんがされていて、実ははなさんと南北朝好きで共通するそうな。つながるね、趣味の世界!
 清岡の三国志研究会での研究報告の話から(レジュメを配った)、キリエさんの学術系がマニアックすぎて逆に面白いって話とか。

※関連記事
 福岡関帝廟の関帝像、福岡空港に移設(2015年8月末)
 三国志学会 第十一回大会(2016年9月3日10日土曜日)

 それで諸事情により大きく話を省くんだけど、清岡が三国志ファンと共に最近、川本喜八郎人形ギャラリーに行ったらファッションチェックをしていた方がいらっしゃって(ピオリーヌさんね)、やはり今の川本喜八郎人形ギャラリーの展示では衣装に目が行くってことで、この間の講座はよかったんじゃないですか?って話になっていた。というか船塚さんは佐藤三郎さんのことを「さぶちゃん」って呼ぶんだ、冒頭の清岡の感想を引っ張るならやっぱり「戦友」感があるね。

※関連記事
 メモ2:三国志・君主と軍師・謀臣たち(川本喜八郎人形ギャラリー 2016年9月4日)
 メモ:人形衣裳をつくる―三国志・平家物語―(2016年10月8日)

 17時過ぎに船塚さんと佐々木さんが帰られるってことで『人形劇 三国志』DVD第6集、曹操がパッケージのやつに、はなさんが船塚さんからサインをもらっていた。
 それで駐車場へみなでお見送り。17時半ぐらいだったかな。残された4人は18時閉店らしい和菓子の「和泉ノ庄」へと急ぐ。17時37分ぐらいだったので。
 店内で海洋堂のフィギュアが飾られていたので、その話で盛り上がってたっけ。キリエさんからお使いをたのまれるんで、私はかわなくていいかな、と。それは三国志 義兄弟の宴に飯田土産をもっていくこと。2箱。例の羽扇をかたどったお土産ね、落雁。

※関連記事 三国志 落雁(孔明の羽扇 箱 2015年夏)

 その後、まだみなさん時間があるってことで、銀座ハンバーグで食事。キリエさん、おももさん、はなさん、清岡。行きはおももさんとキリエさんが車で一緒にいらっしゃったそうで、車の中でたくさん話す時間があって、三国関連以外でも結構、同じイベントに参加してたとかニアミスがあったそうな。その三国だけ版というわけでもないけど、清岡とおももさんとは「三国志の宴2」で同じ会場にいたそうな。

※関連記事 2007年5月27日 赤兎馬Presents「三国志の宴2」第1部

※関連記事 リンク:『太平記』・『三国志演義』・"Le Morte d'Arthur"における語り手のスタンス(2015年9月)

 それで思い出したんだけど、清岡は今回、初対面の方は船塚さんとおももさんだけなんだけど、おももさんはどうなんだろう、って話を振ってみたら、その中に、あきよんさんとは初対面だけど、以前からネットを通じてお知り合いだったそうで、今回、会えることをうれしがっていらっしゃったそうな。それで思い出したように、清岡は「人徳」を連呼していた。いや、先週と違って昼に言えなかったんで、と自己ツッコミをしながら。

※関連記事 メモ:精巧大型人形劇「三国志」-総集編-(2016年10月30日)

 にしても別に清岡は主催者じゃないけど、参加したみなさんに感謝でいっぱいだった。
 結局、キリエさんにハンバーグ、1480円をおごってもらえる。 19時前、はなさんを高速バスのバス停にてお見送り。その流れで駐車場までおももさんをお見送り。
 そこから店を探して(どこも予約でいっぱい)さまよった挙句、地下の何屋さんかわからない食堂でケーキセットをたのむ。カフェオレとベイクドチーズをいただく、多分450円ぐらいでこれもキリエさんにおごってもらえる。いやそんなことよりやっぱりトークが楽しかったよ、名残惜しい。
 それでキリエさんともお別れし、清岡は20時31分発の飯田線(上諏訪行)に乗り込む。余裕で転換式クロスシートの窓側に座れる。すっかり書き忘れているが、清岡は風邪を引いているので、とりあえず薬を飲む。薬が聴く前から眠い。21時9分、眠い。21時57分、幸せのまま眠ってて起きた。22時3分、まだ眠い。22時41分、目覚め始めたらもうつくよ、というワナ。22時52分、下諏訪駅へ到着。トイレにいったり、駅を鑑賞して、23時に駅を出発。南下して交差する県道185号を東に進みマンガ喫茶に到着。レシートを見ると23時20分だった。そこでコロッケ引換券をもらえたんだけど、翌日、同じチェーン店で使おうとしたら、こちらの言い分を一通り聞いた後、使えない旨を伝えられた。それが間髪入れず言われたんで、接客業のテクニックを感じ感心してしまったよ。
 話をもどしその下諏訪のマンガ喫茶は地元の若者のたまり場みたいな感じになってたけど、二人席に案内してくださって、広々と使えたよ。三国志ニュースの記事「音で演じる 三国志組曲第二番(2016年11月6日)」を書き上げる。
 2017年11月6日日曜日5時20分タイマーで起床。5時40分出発。コンビニでメンチカツバーガーと練乳パンを買う。20分もあれば駅に到着。しばし写真撮影。そこが始発じゃないからしばし待つ。6時10分発、中央本線(東日本)(高尾行)。ロングシート。竹宮惠子『少年の名はジルベール』を読みながら、菓子パンを二つたべ、薬を飲んで居眠り。いや寒くて眠れずうとうとするのみ。向いの朝日はあったかいけど、まぶしい。
 その日は三国志 義兄弟の宴 落ち葉見に参加するのだけど、それをレポートにするかどうかは不明。

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