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同志社大学の入試で三国志関連2014


  • 2016年3月 2日(水) 22:46 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,120
教育機関 ※前の記事 関西学院大学の入試で三国志関連2014

上記記事の続き。次は同志社大学。

・大学入試速報2014 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://nyushi.yomiuri.co.jp/14/

※さすがに2年前の速報ページになるとリンク切れなので、アーカイブ内へのリンクをいれておく。
・大学入試速報2014 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
https://web.archive.org/web/20140408083202/http://nyushi.yomiuri.co.jp/14/

例によって日付の古い順から見ていこう。

・同志社大学
http://www.doshisha.ac.jp/

※関連記事 同志社大学の入試で三国演義・三国志関連2013

まず「全学部(文系)(2月5日実施)」の世界史。〔I〕の長文は三国というよりその後の西晋についてだ。設問1がその長文の空欄を語群で埋める問題で、関連するのは下記に引用する冒頭部分だ。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 2世紀後半に後漢が衰え始めてから,隋による統一まで,中国はながらく分裂傾向が続いた。これが決定的な状況になったのは,晋(西晋)の帝位をめぐる内紛の( a )の乱と,それに引き続く五胡と呼ばれる北方や西方の遊牧民の華北進出である。この一連の混乱のなかで晋(西晋)は滅亡し,華北では五胡を中心に諸政権が激しく滅亡する五胡十六国時代に突入し,江南では晋(西晋)の一族が( b )に都を置いて東晋を立てる情勢となったが,この背景にはユーラシア大陸全体にわたる遊牧民の大規模な活動があると考えなければならない。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

もちろんaに「35. 八王」、bに「12. 建康」ね。あと設問2のBが洛陽の歴史についての四択の誤り文を選ぶ問題で「3 後漢から政権を禅譲された曹丕は洛陽に都を定め,魏を建国した。」とあり、何だか、関西学院大学の「文・教育〈理系型〉・総合政策〈理系型〉・理工(2月3日実施)」の世界史や上智大学の「文(哲、史、新)・総合人間科(教)・外国語(ドイツ、ポルトガル)(2月4日実施)」の世界史とシンクロした問題だね。

※関連記事
 関西学院大学の入試で三国志関連2014
 上智大学の2014年2月6日の入試は三国志祭り?
 メモ:『西晉の武帝 司馬炎』

それと設問2のDでは正しいものを選ぶ問題で、「2 魏――屯田制」とある。

次はプチネタで、「文・経済(2月6日実施)」の日本史の〔I〕の(1)の設問キの「8世紀の内乱の後、唐が滅びる直前におきた乱」を選ぶ四択問題の選択肢に「2. 黄巾の乱」とある。

次が「神・商・心理・グローバル地域文化(2月9日実施)」の日本史で〔I〕の(1)の文でいきなり、『三国志』。以下、引用。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 わが国の政治制度についての記述が中国の史書に登場するのは、3世紀に晋の陳寿によって編纂された『三国志』の「魏書」烏丸鮮卑東夷伝倭人条である。それによれば、連合国家としての邪馬台国は男王または女王が統治し、国邑、租賦を収める邸閣や交易のための市、大人・( ア )・奴婢という身分制、地方官の設置などが記され、国家としての基本的な要件をそなえていたことがうかがえる。
 邪馬台国では、はじめ男王が立って統治していたが、国内が乱れ、ひとりの女子を立てて王としたところ国内が収まったと記している。この女王は卑弥呼とよばれ、( イ )を事とし、よく衆を惑わし、齢をとっても夫壻をもたず、男弟が補佐して国を治めていた。卑弥呼が死ぬと径百余歩の大きな冢(塚)を造り、奴婢百余人を殉葬したとされ、卓抜した権力を有していたことがうかがえる。248年頃に卑弥呼が死んだあと男王を立てたが国中が服せず、卑弥呼の宗女を立てて収まったという。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この文の「卑弥呼の宗女」に下線が引かれて「a」と銘打たれ、それを受けて、設問Aの「a.」を答える問題。「壹與」ね。設問Bが穴埋め問題でそれぞれ四択で選ぶもので、上記引用部分のアに「3.下戸」、イに「2.鬼道」が入る。

※追記 同志社大学の入試で邪馬台国関連2015

※新規関連記事 慶應義塾大学で邪馬台国関連2016

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