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巴と蜀と ~四川省の三国志関連遺跡、重慶地区を中心に~(2016年2月20日)
上記関連記事で触れた講座に気づいたのが開催まで38時間を切っていた頃だと思う。すぐに下記サイトから参加申し込みをする。
・京都・大阪・東京で学ぶ中国語 立命館孔子学院
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/cc/confucius/
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表と裏の三国志(中国近世文学と中国文化 2012年3月)
・中国古典文化講座 | 京都・大阪・東京で学ぶ中国語 立命館孔子学院
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/cc/confucius/bunka.html
何かというと、立命館孔子学院主催で京都市北区等持院北町56-1 立命館大学 アカデメイア立命21にて2016年2月20日土曜日10時から11時30分までの枠で立命館大学 文学部教授 上野隆三先生による中国古典文化講座「巴と蜀と ~四川省の三国志関連遺跡、重慶地区を中心に~」があるとのことだった。しかも「※入場無料 (事前申込制・先着順)」とのことだったし、しかも一応徒歩圏内だったので、申し込みが間に合わなくても、交通費が無駄になることはなかった。
申込をすると自動送信のメール以外にも、前日に事務からメールが来たので、一安心だった。
それで当日の2016年2月20日土曜日を向かえ、天気予報どおり朝から雨で、それは荒天のため近所のイベントが次の日に延期になるほどだった。
傘を差し、アカデメイア立命21の立命館孔子学院を目指す。立命館大学の衣笠キャンパスには何度も行ったことあるが、アカデメイア立命21には初めてだったので、余裕をもって出発する。
正門から入るのは何だか悔しかったので、学生さんが使うような東門から入るが、実はアカデメイア立命21は敷地内というより、少し離れたところにあるので、結局、正門を通って、敷地から外に出る。
そんな感じで少し迷ったこともあって、9時50分に到着。アカデメイア立命21の建物には立命館孔子学院以外にも国際平和ミュージアムがはいっている。
2階が会場ということであがると、少し春節の飾りつけがあって、結果的に立命館孔子学院だとわかりやすくなっていた。教室の入り口前でのA4の資料2種類で、後で見るに、スライドを印刷してまとめたのが7枚、それとは別のレジュメが3枚あった。それとA4のアンケート。さらに机の上にはB4の両面コピーの紙があって、後でそれは『中国地方志集成』からのコピーだと知る。おそらく今、話題の下記の記事と同じ書籍だろう。
・三国与太噺
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/
・関平の息子 【関樾】
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20140416/1397576452
客層はまじまじと見たわけじゃないけど、上野先生と同世代かそれ以上といったところだろう。この後、食事に行くといったことが耳に入ったのだけど、それから考えて常連さんでコミュニティができているのかな、と思った。
それで上野先生の紹介の後、講座が始まる。まずタイトルにある「三国志関連遺跡」についての説明。これは上野先生が定義したもので、三国時代の遺跡とは異なるとのことだ。つまりは『三国志演義』の影響を受けて作られたものの遺跡も含み、むしろそっちの方が多いとのことだ。
冒頭にリンクした記事で引用する講座紹介文をちゃんと読んでいなかったせいか、いまいち主旨が理解できないまま受講に臨んだのだけど、この説明で一発で主旨を理解できた。なるほどね、河川の流れによる渓谷で交通路を推測したり、Google Earthで高低差を見て、時代変遷に拠らないポイントを探したりといった方面ではないんだ…とどこかで書いたことあるような展開だ。
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まずスライド資料を交え巴の地域の説明。重慶市の範囲内で、『中国歴史地図集』よりいろんな時代を対象とした地図を見せ、三国では漢中郡の南でその南北の郡と地域の西が蜀の地域だとのこと。そこらへんはスライドで説明されていた。
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中国歴史・文化地理図冊
スライドとレジュメの役割は、前者が前述のように画像資料が主で、後者が文献資料が主となり、次に後者にある『春秋左伝』桓公九年を引いた漢文と書下文とで、当時の巴の地域の説明をされていた。
巴子使韓服告于楚.請與鄧為好.楚子使道朔將巴客以聘於鄧.鄧南鄙鄾人.攻而奪之幣.殺道朔.及巴行人.楚子使薳章讓於鄧.鄧人弗受.
続いて『史記』高祖本紀より
正月、項羽自立為西楚霸王、王梁・楚地九郡、都彭城。負約、更立沛公為漢王、王巴・蜀・漢中、都南鄭。
を引いていた。
上野先生はWOWOWで放送していたドラマ『項羽と劉邦』の日本語監修をされたとのことで、そのドラマをいい機会だから今回、流そうともお思いになったが収まりきらないのでやめたというエピソードで場をわかしていた。
それで話題はいよいよ三国志関連遺跡の話で、まず姜維墓の写真を紹介。そこにある簡単な碑文を見せつつ、さらに費禕墓の詳細な碑文(官名等、全部書いてあるそうで)の違いも写真で見せ、前者は後者に比べ新しいものだと説明されていた。後者は清代の光緒年間のものだけど明代の様式にあるとのことだった。上野先生は大学院では「三国志」の研究をされていて留学されていたとのことで、現地調査をされていたそうな。
三国志関連遺跡でもなく現代に作られた遺跡の例として、上野先生が留学中、実際見た80年代にセットで作られた古隆中が現在では遺跡とされていたとか、関林では寝ていたのが起きて春秋を読む関羽人形とか、挙げられていた。
それと広元に桟道があって入り口に「先秦桟道」と文字がある。確かに岩壁の穴は先秦のころだろうけど、そこにかけて作った桟道は腐る木製なんで、当然、現在のもので、それは学者の推測に基づいて作られたものだそうな。
それでメインとなる巴の三国志関連遺跡だけど、白帝城と張飛廟が挙げられていた。
・『三国志』巻三十二蜀書先主伝
冬十月、詔丞相亮營南北郊於成都。孫權聞先主住白帝、甚懼、遣使請和。先主許之、遣太中大夫宗瑋報命。冬十二月、漢嘉太守黃元聞先主疾不豫、舉兵拒守。
三年春二月、丞相亮自成都到永安。三月、黃元進兵攻臨邛縣。遣將軍陳曶討元、元軍敗、順流下江、為其親兵所縛、生致成都、斬之。先主病篤、託孤於丞相亮、尚書令李嚴為副。夏四月癸巳、先主殂于永安宮、時年六十三。
・『三国志』巻三十六蜀書張飛伝
先主伐吳、飛當率兵萬人、自閬中會江州。臨發、其帳下將張達、范彊殺飛、持其首、順流而奔孫權。飛營都督表報先主、先主聞飛都督之有表也、曰:「噫!飛死矣。」追諡飛曰桓侯。
やはりここらへんは「長江岸にあるため、三峡ダムの建設によって、その風景は大きく変わってしまった」(スライド資料より)とのことで、張飛廟は対岸に移設され、テーマパーク的になっているそうな。スライドで両者の写真が紹介されていた。
スライドとレジュメによると両者は旧重慶市だったが、今の重慶市から離れているとのこと。そこで旧重慶市に他の三国志関連遺跡がないか、という振りで、次の「五 地方志でさがす」に移る(いや、一~四はこの記事では触れてない)。
地方志は前述のとおり、スライドを見ると『中国地方志集成』からのようで他の細かい書誌情報は不明。レジュメには、その書籍にある清・道光年間『重慶府志』巻二 祠祀志 廟壇 長壽縣と民国三十三年『長壽縣志』巻二 建置下 廟宇 復元郷に見える桓侯廟(張飛廟)があった。一般的に地方志といえば明清の頃に書かれたという記憶が清岡にあって、下記関連記事を思い出していた、三国志関連遺跡ならぬ三国志関連字(あざな)だな、と。
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サイト「馬岱の字は伯瞻」
講座の進め方としてはそれら地方志のコピーから三国に関係するものをオーディエンスに探してもらい、見つけた人が手を挙げて発表する形式で、別格的に関帝廟が散見しており、他には講座の意図として見つけてほしいのに「諸葛山」などがあった。
最近のブームで作られていないかをチェックするのに、こういった地方志を使うそうな。実例として、別の地方志で場所が変わった旨が記されていて、それを頼りにいくと、確かに長寿県に桓侯廟があって、「桓侯宮」の看板があったと。
・三国志旅游局
http://travel.china-world.info/
・長寿桓侯宮
http://travel.china-world.info/ruins/22_chongqing/place22006/
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※日程の順序が逆だったら酒の肴にそこらへんの事情をお二人に伺いたかったところ
それで先生からの発表はそれで終わり、質問コーナー。印象に残ったのは、関帝廟はどの宗教に基づいて祀られているかというもの。それは道教が多いが、土着的なものもあると。ここらへんおぼろげな記憶にある三国志学会シンポジウムなどで二階堂善弘先生がおっしゃっていたことなのかなと思っていた。
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ノート:三国志学会シンポジウム(2013年9月21日)
ノート:中国の神々と仙人(2009年10月17日)
第2回三国志学会大会ノート4
あと日本の関帝廟についても軽く触れ、金文京先生が講演でよく触れていた韓国の関帝廟の話も出ていた。最近、上野先生が現地に行ったそうで。関帝のご利益で豊臣秀吉に勝ったということで、関帝が祀られ続けているという世界でも類を見ない関帝廟の経歴があるという説明をされていた。
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第2回三国志学会大会ノート5
どこのことなのかよく聞き取れなかったが、仏教とも関わり合いがあって、そのわかりやすい例として(お坊さんの)普浄像もあったそうで(※日本での黄檗宗の話等はでなかった)。
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関プチ5 全国ツアー:9/14京都 大興寺関帝像拝観(2014年9月14日)
講座が終わって、事務の方(?)の話によると、2016年の文化事業としていろんな講座の予定があるが、その中で三国志関連もあるとのことだった。これからも立命館孔子学院には注目だな。
建物の外に出ると、雨が止む様子がなく、むしろそのしんみりとした京の街中を楽しみながら、まっすぐ帰宅する。12時ちょうどに到着した。
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