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現代サラリーマン・スパルタ教育 三国志(1972年10月2日)


  • 2015年5月13日(水) 07:41 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,708
マンガ ※関連記事 三国志パズル大戦 公式アートブック(2015年4月14日)

 上記関連記事に続いて2015年5月4日開催の「第22回三顧会」関連になってしまうけど、時刻はさかのぼって昼過ぎぐらいのこととなる。
 その日、清岡は早朝に東京のスポーツバーでカルチョ観戦をして6時30分東京駅発の新幹線に乗り京都駅まで睡眠をとり、広島駅で乗り換えて山口県の徳山駅に到達し、山陽本線を在来線で折り返し11時45分に岩田駅に到着した。いつもだったら経費節約のために二時間に一本のバスを待つか30分をかけて歩くのだけど、時間節約のため10年ぶりぐらいで一人だけでタクシーで三顧会の会場となる「石城の里 三国志城」向かう。

・三国志城博物館
http://www.3594castle.com/

 三顧会ではスケジュールが押していたようで、お面作りの真っ最中だった。こっそり混じっていたのだけど、さすがに顔なじみの人にはきっちり挨拶されていて、その中で教団さんからは「第13回 春の四天王寺 大古本市」で購入したという『増刊土曜漫画』1972年10/16号((株)土曜出版社)をいきなり貸して下さる。

・関西古書研究会
http://kankoken.blog11.fc2.com/

 それは「中国大特集」だそうで、三田悠之・清水義介/訳、石成克也/絵「現代サラリーマン・スパルタ教育 三国志」が掲載されていて、雑誌の表紙も『三才図会』にあるような葛巾を戴いた諸葛亮のイラストがあり、そのマンガ作品が中心であることがわかる。

※関連記事 メモ:三才圖會と三禮圖

 イベントの最中であり、なによりも普通に「内外の成人向き強烈秘写真集新発売!!」と白黒写真付きの広告がある普通の工口雑誌なので、その場で読み進めるのもはばかられるので、そのままカバンにしまう。

 2日後に見直したり、5日後に国立国会図書館に行ったりとこの作品についてあれこれ調べてみた。
 まず簡単に検索してみると、下記のページが見当たる。

・昭和64 - 土曜通信社=土曜出版社=Do企画についての備忘録
http://fujishowa64.tumblr.com/post/40993352933/do

 それによると(というより裏を取ってないのだけど)、出版社自体が「1976年前後に倒産」し、でもいくつかの名義でいわゆる「自販機本」で出版を続けていたそうな(「自販機本」ってのは青少年の育成を名目にガラスケースが昼間に鏡状になって何を売っているかわからないようになっているやつだろうか)。
 てっきり国会図書館にないと思っていたが、そこでも触れられているように、1972年の分は不完全ながら収蔵されており、この増刊や前後の本誌もあった。ちなみに雑誌名だけで中身のマンガタイトルでは国立国会図書館の検索で引っかからないので、一生、気付かなかった可能性がある。
 『土曜漫画』1972年10月6日号(9月22日発売)のp.69の欄外広告によると(いわゆる「はしら」?)、「増刊予告 一五〇頁一挙掲載!! 中国 三国志 のサラリーマン教訓書 10月2日発売」とあり、p.109の同箇所では「増刊予告 中国特集 サラリーマン・スパルタ教育超大作劇画 三国志 堂々登場!! 10月2日発売」とある。発売前なのでタイトルの多少の異同はあるものの、増刊の表紙やマンガ扉にある「現代サラリーマン・スパルタ教育 三国志」が正式なタイトルかな、と思いきや、p.168の最後のコマには「教訓三国志」とあり、そのため、編集側は前者、作画担当は後者をタイトルにしているのかな、と想像していた。
 記述するのが後になったが、この作品はpp.3-168掲載で、そのうち、pp.89-96がとじ込み付録であるものの、それでも158ページという大作で、『三国志演義』でいうところの、間をはしょりつつ、関羽の件のない華容道までが描かれる。なぜか終わる直前に徐庶が劉備の下に復帰している。最後のコマに参考資料として小川環樹・武部利男/訳『三国志通俗演義』、立間祥介/訳『三国志演義』(上・下)が挙げられていて、このマンガ作品のオリジナリティを探ろうとすればそれと照合すればよいのかな、と。

・三国志 : 通俗演義 (岩波書店): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001105859-00

・三国志演義 (平凡社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I001065415-00

 絵に関しては細かく比較していないが、葛飾戴斗/画『絵本通俗三国志』の影響が強そうだ。あと野村愛正/著、羽石弘志/画『三國志物語』(大日本雄辯會講談社1940年)の挿絵の影響もありそうな印象だ(つまり全然、照合していない)。細かいところではこの作品でも横山光輝『三国志』と同様、張飛は緊箍(きんこ、金のリング)を戴いていて、それは『絵本通俗三国志』により近いデザインであり、そこからの影響を裏付けるように関羽も同様のデザインの緊箍を戴いている。

※関連記事 メモ:横山光輝展 豊島区立中央図書館(2014年10月4日)

 雑誌表紙と最後のコマ両方それぞれで掲げられたタイトルでも示されるように、このマンガ作品にはちょくちょく「教訓」としてコマ内に活字の文章が掲げられ、やたら「上司」と「部下」という言葉が頻出し、つまり読者対象を「サラリーマン」に絞っているし、雑誌のテーマに即してか、呂伯奢が曹操に殺される事件でも女性の死体の胸元がはだけ乳首が見えるコマや、第一章のクライマックスでは董卓あるいは呂布と貂蝉のベッドシーン、夏侯惇が攻めてくる戦の前のp.113の2コマのらんこうシーンなどがテンプレートのような描写で強調されて出てくる。そういった場(雑誌)の影響というのはコマ内に限らず、前述した成人向けの広告やp.88とp.97との劉備らが諸葛亮を尋ねる道中の遠景の1コマの見開きページのまさにその消えたページ数がとじ込み付録「新着本場ポノレノ誌上公開」だったりと明確に出ている。のちに「自販機本」流通になる雑誌だというのも理解できる感じだ。
 作品はp.3からの「第一章・桃畑の誓い」、p.57からの「第二章・水鏡先生」、p.111からの「第三章・火攻めの計」の三章構成で三国志ファンとしてはあれこれネタどころがあるのだけど(章題からしてそうだけど)、網羅的にあげると読むのも大変…というか書く方が大変なので、以下、思いつくまま箇条書きで。後で追記するかもしれないが。

・やはり同時期の少年マンガに比べ生首などより残虐な表現になっている。もちろんpp.3-6、pp.71-72、pp.113-114、二色カラーのところのはじめのところでの赤い色を使った流血表現がある…と三番目のところでは乳首に赤い色が塗られているのも記しておこう、エログロはセットで。
・p.12募兵の看板「告/天下募義士/欲治国治世/霊帝」という死後の名称を入れ込む適当漢文。しかも「こく/わるい やつら/こらしめる勇士を もとむ/れい てい」というそれを強めるルビ。
・pp.4-5の扉絵もそうだけど、pp.16-17のように見開き2ページ1コマの表現あり。バトルシーンにて。同時期開始の横山『三国志』ではあまり多用しなかったし、バトルシーンでつかうよりは広大さを示すときに使われていた。
・「呂伯奢」の名は出てくるが陳宮は「関所の/長官」として言及される。絵ではずっと出ているが。
・日中での関西つながりでか、董卓が関西弁。そして呂布にあっさり刺されて第一章終わり。同じページの最後のコマ内のナレーション「後に呂布は/徐州を征服/したが 劉備/にほろぼされる/のである」と呂布も処理される(しかもその説明でいいのか?!)
・そして二章の冒頭は劉備は「華中汝南」にいるとしていきなりp.57k.4「曹操が河北へ/出陣したことを知ると/そのすきをついて 許昌/の都をおとそうと 自ら/関羽・張飛等と兵を引き/いて出発した」というところから(汝南黄巾劉辟のところだっけ?)。そのためか関羽が劉備の下からはぐれる描写はなし。戦場で曹操と言い合った後、一度は勝つが、奇襲に遭い、落ち延びて水鏡先生に会うという流れ。
・徐庶が活躍する描写と徐庶が母の手紙で帰る描写あり。
・諸葛亮を配下に加えた後、攻めて来る「夏候惇」(もちろん正しくは「夏侯惇」だ)。説明を避けてわざとなのか、素で誤ったのか隻眼じゃない。
・孫権や周瑜どころか曹操軍に対抗する軍勢がまるで劉備の軍勢かのような赤壁の戦い。

※追記 レポ:兀突骨に行くまで(2015年8月1日)

※新規関連記事 メモ:コミックマーケット93 3日目(2017年12月31日)

※新規関連記事 正子公也の宇宙(2020年8月8日)

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