Site Calendar

サイトカレンダをスキップ

2021年 01月
«
»
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

NAVI

ログイン

ログイン

新着情報

記事

新着記事 2件(24時間)

コメント (2日)

-

トラックバック (2日)

-

リンク (2週)

新しいリンクはありません

QRコード

QR code

アンケート

三国志ニュースのレポート系記事

三国志ニュースで書いて欲しいレポート系記事はどれ?

  •  三国志フェス
  •  三国志学会大会
  •  関プチ5全国ツアー
  •  魏晋南北朝史研究会関連
  •  三國夜話
  •  六間道三国志祭
  •  三国志TERAKOYA4
  •  三国志 義兄弟の宴
  •  東アジアの『三国志演義』/ベトナムの『三国志演義』
  •  zip,torrent(トレント),rar,lha,mediafire,pdf,DL(ダウンロード),nyaa等を含む検索語句(違法なフリーライド・無料閲覧関連)、あるいはBD・DVD自作ラベル、カスタムレーベル等を含む検索語句(著作権・肖像権侵害関連)に関する調査・研究

結果
他のアンケートを見る | 79 投票 | 0 コメント

PR

清岡的見解:ねこまんまさんについて http://tinyurl.com/nekonomanma3
よくわかるねこまんまさんの問題行動 pdf
gif

三国志ニュース10周年(2014年10月22日)


  • 2014年10月22日(水) 00:39 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,096
ネット ※関連記事 三国志ニュース、オープン

 上記の関連記事の日付を見て貰えばわかるように、当サイト「三国志ニュース」は2004年10月22日に始めたため、2014年10月22日に10周年を迎える。毎年、この時期にその記念的な記事を書いていたような気がするのだけど、サイト内検索をかけると、下記のように6周年で止まっているね。

※一周年記事(2005年) 三国志ニュース1周年(+1ヶ月)
※二周年記事(2006年) 2006年10月22日 三国志ニュース2周年
※三周年記事(2007年) 三国志ニュース3周年(10月22日)
※四周年記事(2008年) 三国志関連で自分史作りのスゝメ2008年追加分
※五周年記事(2009年) サイト「真・無双検索」の開設日っていつ?
※六周年記事(2010年) 三国志ニュース6周年(10月22日)

※16周年記事(2020年) 三国志ニュース16周年(2020年10月22日)

 10周年の企画としては下記関連記事のようにプチオフ会企画をすでに始めている。受容はないことは重々承知でもそんな中、敢えて企画するやりがいというか。

・関プチ5 全国ツアー (2014年度の三国志プチオフ会)
http://cte.main.jp/kanpetit/

※関連記事 プレ1 関プチ5 全国ツアー(2014年4月26日)

 なので、10周年といってもとりたて何か記事にする案はないのだけど、10年前を思い起こせば、当時は「個人サイト」の全盛期、ないし「ブログ」が日本で流行りだしたころで、そういった三国志に関する情報をネットで得ようとすれば書籍関連だと、「AKN's三國志図書館」があったし、学術情報も含めネット情報であれば(「三国志ニュース」の手本となった)「りゅうぜんず」があって、何よりも三国志についてのアクティブな数々の個人サイトやブログがあった。そのため、「三国志ニュース」はそれら大勢の中の一つなんで気負わず気軽に更新していたな、と……とは言っても今、気負っている訳ではないのだけどね。

※関連記事
 三國志発売カレンダー(AKN's三國志図書館)
 「りゅうぜんず」・「さんぞくみなごろし」復活
 blog「三国志サプリメント」
 三国志系のweblog

 その後、日本の一般的なネットの流れ同様、ブログやmixiなどのSNSの時代を経て、Twitterが主流をなす現在に至った。そこらへんは濱野智史/著『アーキテクチャの生態系 情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版、2008年10月)に詳しい。

・三大サブカル本の二冊か? (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2010/0601.html#11

※関連記事 三国志ファンのためのサポート掲示板十周年(2013年5月16日)

 上記の雑記でも書いたが、今のTwitterが日本で浸透したことまでは書かれておらず、そこらへんは著者の別の著作を当たればよいのだろうね。

※関連記事 京都・黄檗山萬福寺の関羽像

 「三国志ニュース」の最初の記事が冒頭で掲げた「三国志ニュース」開設の記事で、その次の記事が前述した、ブログ「三国志サプリメント」についての記事、つまり生態系とまではいかないまでもネットについての記事が続いていた。そして三番目が急にネットからもメディアからも離れ、上記関連記事にある黄檗山萬福寺の関羽像の記事だ。

※関連記事 関プチ5 全国ツアー:9/14京都 大興寺関帝像拝観(2014年9月14日)

 その関羽像を見た、約十年後、上記関連記事にあるように再び、黄檗山萬福寺を訪れて、親切な華僑の人に関羽像の写真撮影をお願いしたりもした。ところがその後に合流したにゃもさんによると、右の教団さん撮影の写真でいうところの手前の関羽像を我々は関羽像と思っていたが、それは後付的に設置したもので、実は奥の菩薩像が当初長い間、関羽像と思われていたということだった。後日(9月19日夜)、にゃもさんからコピーを頂いた、二階堂善弘「萬福寺伽藍堂の華光菩薩像について」(『黄檗文華』(122), 120-124, 0002)を見ると、冒頭で、確かに「その伽藍神という性格から時に関帝と誤解され」と書かれていた。

・CiNii 論文 - 萬福寺伽藍堂の華光菩薩像について
http://ci.nii.ac.jp/naid/40005939973

 つまりは清岡は、10年来、手前の如何にも関羽像をありがたがって撮影していたが、実は誤解が含まれるといえども、それより奥の華光菩薩像の方が見るべき所であったというオチだった。

 まさしく10周年を記念するに相応しい、トホホなエピソードだと清岡は変な満足感を抱いてしまう。

※追記 メモ:三国志サミットが始まるまで(2015年11月21日)

※追記 レポ:8/6北九州 兀突骨で酒池肉林?!(2016年8月6日)

※新規関連記事 レポ:ゆるぷち三国志の集い ~忘年会も兼ねて...~(2016年12月3日)

※新規関連記事 リンク:関帝信仰と周倉(2014年4月1日)

※新規関連記事 メモ:三国志大文化祭2022(2022年9月4日)

トラックバック

このエントリのトラックバックURL:
http://cte.main.jp/newsch/trackback.php/3287
表示形式
コメント投稿

サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。