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九州三国志忘年会(2013年12月29日)
前の記事は予定通り「編集中」として止まり、その間にNo.3200を迎えてしまう。さらにその間に、下記関連記事にあるように、2014年7月26日土曜日に「関プチ5 全国ツアー」の一つとして「7/26北九州 兀突骨で酒池肉林?!」という三国志プチオフ会を開くことになり、実はこの記事を「兀突骨」に向かう途中で書いている。
※関連記事
関プチ5 全国ツアー:7/26北九州 兀突骨で酒池肉林?!(2014年7月26日)
その列車での執筆のためノートPCの新しいバッテリーも購入し、実のところ、列車にゆられこうやって昔のレポートを書くのはタイムスリップしたような不思議な感覚に陥るので、嫌いではなく、むしろ好きなぐらいで、今回は到着するまでどれぐらい書けるかみてみよう。というわけでもしかしてこのレポートを書き終える前に次の忘年会がやってくるかもしれない。
2013年12月29日。
飲物の注文をきかれ、清岡がジンジャエールを頼むと、なぜかそれと同じのを頼む北伐のお二人。その流れで、清岡が北伐さんに基本的な質問で「何屋さんなんですか?」と。なんか言ってて失礼に思えたので、英傑群像さんや赤兎馬さんの略歴みたいなのを添えて、質問の意図を明確にしていた。つまりは元々、何が売りで三国志ショップを始めたのか、と。その略歴のあたりのあたりで山さんに感心される。元々、母体みたいなのはなかったそうな。清岡は外国人にウケそうなデザインだから、海外展開しないのかと疑問を挟んでいた。USHISUKEさんの質問で、北伐さんは開業丸二年ぐらいだそうな。アウトソーシングと違って、北伐さんはメーカーなんで、そこらへん強いだとか、伝統産業を売りにしていて海外にも売れるだとか清岡。English pagesを作れば行けるのではないかと?
USHISUKEさんは福岡が地元なんで、福岡で活躍されている方を知ると嬉しいと。あと福岡じゃないけど、地方で活躍されているといえば、三国志シルバーアクセサリー店「単騎がけ」もそうだとのことで。
・三国志シルバーアクセサリー店【単騎がけ】
http://tankigake.ocnk.net/
そこで清岡は「ネガティブな話」と前置きした上、十年ぐらい前は中国系の三国志ネットショップがいっぱいでてきて、宣伝だけは活発だったので、その経験上、三国志のネットショップときくと一旦、警戒してしまう、という旨を話していた。ここでUSHISUKEさんから清岡がアクセス・バリューが高いというお褒めの言葉。三国志ニュースなどで最低限の情報があるので、アクセスが集まりやすいとおっしゃっていて、さらにどういった語句で検索されたかを見て、世の中の三国志の流れを掴んでいると告げ、皆を感心させていた。
その例として、上げたのが最近、北伐さんがブログで、旺文社の高橋忠彦/著『三国志で攻略!センター漢文12』(大学JUKEN新書シリーズ・国語)について書かれていたので、わかりやすいようにそれに関してだ。
・すばらしい時代
http://hokubatsu.blog.fc2.com/blog-entry-845.html
その新書について、下記関連記事にあるように三国志ニュースで『三国志』じゃなくて『三国志演義』じゃないかというツッコミを含め記事をしたら、旺文社から何回もアクセスがあり、その後、出版社のサイトの該当ページの内容紹介の冒頭で一カ所だけ対処療法的に「三国志」から「三国志(三国志演義)」と表記されるようになったというエピソードを話していた。お二人とも感心されていて話して良かった。
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三国志で攻略!センター漢文12(2009年9月18日)
しかもセンター試験に『三国志』からの出題はあってもここ数年『三国志演義』からは見たことないというオチ。あと下記関連記事の同志社のダメ問題の話題を出していた。
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同志社大学入試で三国志関連
USHISUKEさんからなんで調べているかきかれたので、特に積極的に調べているのではなく、暇つぶし、と。
『曹植系男子』とかけてか、USHISUKEさんからの曹操話で、曹操のDNAと認定された人々が集まって、共通点を探したとか。そこで曹植の子孫と認定されたグループが怒りだして、「うちらは曹丕の家系だ」と。どうやら曹植の家系は恥と思われている衝撃の事実。一同、驚きの声を上げる。やはり地位が高い方がいいのでは?と清岡。
実際、どのくらい、ある人物の家系は歓迎されているか、と山さん。USHISUKEさんによると基本的に曹操自体の墓からのDNAはとれないそうで。なので元々あった、曹家の墓からのDNAを子孫との照合に使っているそうな。曹操のDNAは特殊な部位を持つため、特定しやすいという研究成果があるそうで。あとそれによると夏侯氏とは血縁がないそうで。
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リンク:曹操高陵在河南得到考古確認(2009年12月27日)
話の流れで出てきた大学の研究者が日本に来て研究報告をしたが、その人自身は発掘調査に参加していなかったので、あまり答えられなかったそうだ、と清岡。その頃に比べ成果が出て良かったと清岡。
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論曹操墓出土的部分文物与歴史文献的関係(2010年5月21日)
その流れで、日本だと卑弥呼レベルとUSHISUKEさん。畿内説だと天皇家とDNA的につながっているかも、と清岡。九州説だと繋がってないのかな、と。
ねこクラゲ先生の回りには三国志ファンがいない、って話だけど、近所の人が手伝いにくるそうな。それをきいて清岡が茶化して曰く「『近所の人』と聞くとお子さまがやってきて『ここに色を塗りましょうね』『はーい』とかやってそうなイメージ」と。今思い返すとものすごく失礼だな、私は。
そこから清岡は日本のアシスタント制度と海外の分業制の違いについて語っていた。日本だとマンガ家が事業主みたいな感じで雇用主でもあると。あと海外の話になったときに、清岡は下記リンク先の話を思い出しつつ語っていた。宮沢武史氏がペンシラーとインカーを兼ね、その分、原稿料も高い、と。
・それって労働環境で言ったら… (2012年1月13日の個人サイト雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2012/0102.html#14
それを聞いて、ねこクラゲ先生曰く「(そういったシステムで)絵だけを描きたかった」と。「またぶっちゃけ話を」とツッコミを入れる清岡。そして「アメコミだったら『曹植系』にならない」とUSHISUKEさんからツッコミ。皆、マッチョなアメコミの『曹植系男子』を想像してかなりウケていた。フォローとして清岡からアメコミの制作方式で日本マンガスタイルをやってもいい、と。その後、「『曹植系男子 第二章』、はじまりまーす、とか言って、マッチョなキャラが出てきたらびびりますよ」とネタを入れたが。そしてUSHISUKEさんが『兀突骨系男子』が始まるとノッてくる。
清岡は「もうちょっと北伐さんをイジリたいですよね」とつぶやきながら、お二人がいらっしゃる前にねこクラゲ先生が北伐さんの制作過程に興味を持っていたと告げる。そうすると山さんは嬉しいといった感じで驚いていた。ねこクラゲ先生は制作過程を実際見たいくらいの気持ちだそうで、清岡からは見学会&即売会の提言をしてた。さらに「社会見学」と。
USHISUKEさんから墨の風合いの話を振ると、菊さんが答えるに、筆を使うと、気持ちの感じが違ってくるそうで、強弱や躍動感みたいなのが出るそうな。
ここで料理が来て、撮影会。「おもちゃカメラ、接写ができない」と言って、写真をとる清岡。
三国時代の食べ物の話になり、「羮に懲りて膾を吹く」の諺から、膾が生もので、羮が肉を食べずスープを楽しむという話を出していた。『礼記』にその料理の並びがあると。
・『礼記』曲礼上
凡進食之禮.左殽右胾.食居人之左.羹居人之右.膾炙處外.醯醬
處內.蔥渿處末.酒漿處右.以脯脩置者.左朐右末.
※まとめると手前左から
一列:食、羹、酒漿、脯脩、
二列:蔥渿、醯醤、
三列:殽、胾
四列:炙、膾
それから清岡は当時の料理を再現できるのではないかと思っていると。それだけを再現しても充分価値があるのかな、と。USHISUKEさんからはよく漢代の酒はアルコール度数が低い旨をおっしゃっていたので、清岡は林巳奈夫『漢代の飲食』の記述を例に、アルコール度数を高めたのもあると告げる。
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リンク:「漢代の飮食」
そして清岡は最少催行人数を設定して社会見学どうですか?とまた話を振る。
USHISUKEさんは福岡を中心にオフ会を開いていた、サイト「三国志博物館」の話を振っていた。今、どうなっているか清岡は知らないと。
※関連記事
2005年9月3日「三国志納涼オフ会in東京」報告
※この記事にサイト「三国志博物館」の話題があるのだけど、ごく一部
ここでUSHISUKEさんのブログ「三国志漂流」の話になり、江戸時代の「風俗三国志」のシリーズが止まっているということになっていた。USHISUKEさん曰く、江戸時代のイマジネーションがすさまじすぎるそうで。清岡は下記関連記事にあるシンポジウムの話を持ち出し、江戸時代、性と笑いが背中合わせの関係にあることを告げる。つまり現代の我々が笑いを見る感覚で、春画を見ていた、と。さらにUSHISUKEさんが説明を加える。そして清岡からはUSHISUKEさんにそのテーマで「三国志学会大会で発表して下さい」と告げる。
・まさかの結末 (2012年4月8日の個人サイト雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2012/0401.html#08
さらにUSHISUKEさんから『キャバクラ三国志』の話。完全に著作権を侵害しているそうな。まさかこの半年後に再び話題になるとは。
・【横山三国志関連】キャバクラ三国志|ねこまんまさんのとこ
http://nekonomesi.blog.fc2.com/blog-entry-107.html
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レポート:関プチ5 全国ツアー:6/22特別講座「新発見!三国志と日本」勝手に予習(2014年6月22日)
そして清岡からは『食の軍師』の話。USHISUKEさんから詳しい話をされる。
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食の軍師(2011年1月)
さらにUSHISUKEさんが「なんかそういう三国志マンガの一覧が見たい」とおっしゃり一同を感心させる。すぐさま清岡は「陳曦子さんの博士論文、見て下さいよ」と返す。そこから陳曦子さんの説明。当時は未だ博士論文が公開されていなかった。公開されると国立国会図書館関西館で見れると。ねこクラゲ先生は「見たい」とおっしゃっていた。陳さんは元々コレクターだったって話などあれこれしていたっけ。
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日中における中国四大名著のマンガ比較研究(同志社大学2013年3月21日)
その流れで、USHISUKEさんが古本屋で見かけ購入した『少年三国志』の話をしておもむろにスマホでその絵を見せていて北伐のお二人がウケていた。当時は初め、まったくもって気付かなかったが、清岡はてっきり福井英一『少年三国志』(1953年)のことと思っていて、後日、すりあわせをするに、USHISUKEさんの購入したのは伊藤正樹『少年三国志』(1963年)だった。清岡からは「最終的にUSHISUKEさんの家に行ってたりして」と冗談を言っていたが、まさかその半年後、下記関連記事にあるように、両方の作品について清岡が日本マンガ学会第14回大会で研究報告をするだなんて思いもよらなかったが。
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「三国志演義」を翻案した少年マンガの1980年代までの変遷(2014年6月28日)
ちなみに福井英一『少年三国志』の方は呂布が登場していないので、もしかして、『赤銅鈴之助』のように誰かが跡を継いで、続きを描いたのか?と期待していたのだけどね。
USHISUKEさんが話を戻し、菊さんに制作について再び伺う。日本画じゃないって話で、墨絵以外に油絵も考えていますか?と振るに、あまり考えてない、と。自分が表現したいのに合わせた結果(媒体でしかないとのことで)、墨に行き着いたそうな。
そして清岡からの話で、「後ろ髪を引くようですが」と前置きした上で、下記関連記事で触れた会合でお会いした垂井雪嶺先生が長野剛先生はコンピュータに頼らず油絵で描いている、と評価していたことを告げる。意外とCGじゃなく油絵で描くと玄人受けするのでは、と。
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三国志フェス2013準備委員会第1回例会 議事録 公開版
実は垂井先生が菊さんの絵の学校の先生だったそうで、そういった奇遇に驚く一同。USHISUKEさんは垂井先生の劉禅が一番好きだそうな。下記関連記事にあるように、清岡は『日経ベンチャー』で連載していた旨を告げる。
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三国志人物伝(日経ベンチャー2006年4月1日-)
そういえばこのレポを書いているとき、この半年後ぐらいに三国志フェスの1月or2月の開催が決まったので、毎年F1の鈴鹿大会が近付いていてなかなか参加できない垂井先生は次の三国志フェスに参加できるんじゃないかと、思い至る。
話を当日に戻し、清岡は「知りたいことリストが頭に浮かんできた」と言って、おもむろに、北伐のお二人に「三国志祭、どうでした?」と伺う。ブース参加されていたので。「結構、おもしろかったですよ」と。その参加に至った人の繋がりがとても面白いと清岡。USHISUKEさん曰くふじやんさん&あきよんさん繋がりだと。
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USHISUKEさんの語り。九州に居た頃は基本、引きこもりだと。口々に「そんなイメージがない」と。今思うと勿体ないと。『三国志』巻三十魏書東夷伝に載る一支国、末蘆国、伊都国などを巡りたいとおっしゃっていた。
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そしてその流れで、USHISUKEさんが「焼き肉関羽」に行った話。入れないそうで(笑)、写真だけ撮って帰ったそうな。
USHISUKEさんが話を続けるに、この近くにラーメン店の「玄徳」があり、天神の方に宮崎料理の「玄徳」があるそうで、そうすると菊さんはいかれたそうで、「栗ごはんが美味しいところ」とのこと(笑)。清岡が「三国志と関係ありました?」と尋ねるに「勇気がなくて聞けなかった」と(笑)。
それとUSHISUKEさんによると「五丈原」もあるそうだが、軒並み三国志とは無関係だそうな。それに対し「(三国志と関係するのは)ここだけ」と合いの手を入れる一同。
そうすると店長も会話に加わってきて、「みなさん、基本、諸葛亮とか劉備とか好きじゃないですか。なので、基本、アウェイ」と答えて、一同の笑いを誘っていた。
そして清岡は昔「赤坂魯粛」という店があったと告げ、単に命名者が三国志好きだったと伝える。みんたでコースターを持ち帰ったと。
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2005年9月3日「三国志納涼オフ会in東京」報告
そして出てきたのはダチョウの肉。「どういうルートで手に入れた?」とか皆、興味津々。食べてみると美味しかった。そしてワニの肉も来る! これには皆のテンションも上がっていた。
それとこの間、USHISUKEさんと行った、新宿の「上海小吃」でもゲテモノを売りにしていた、と。
・上海家庭料理の店 上海小吃
http://shanghai-xiaochi.com/
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三国志ファン、コア層こわそう、再燃
ダチョウ肉話で、「基本鶏肉ですか?」とか「臭みはないけどどの部位かわからない」とか「養殖物かもしれない」とか話をしていた。
改めてUSHISUKEさんがまさか福岡でこんな三国志スポットがあるとは思わなかったとおっしゃって、清岡がそれに乗って「むしろ東京(のオフ会)より三国志話してますよ」と。そうするとUSHISUKEさんもそれに同意して、「結局、三国志の話をせずに終わることが多い」とおっしゃっていた。一同関心を寄せていた。
逆に清岡とUSHISUKEさんとだったら、昔、深夜、ファミレスで「士燮、良いよな」というような話を延々としていたと告げる(下記関連記事)。どうも「ししょう」という人物名が伝わらなかったようで、噛み砕いて説明すると、大ウケされた。
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2005年9月3日「三国志納涼オフ会in東京」三次会報告
あと上記関連記事で書いた「あと話している途中で、なぜか清岡の耳には少し離れた女性の二人の会話の中で三国志の人物の名前が聞こえるようになっていた」というネタにも大ウケしてくださった。
「だから近年まれにみるガッチリ三国志の話をしている」と忘年会の今までをまとめる清岡。
そして今はなき居酒屋の「三国志酒場銅雀台」の話になり、行ったことのあるUSHISUKEさんが説明する。
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三国志酒場銅雀台(2011年6月4日-2012年2月11日)
さらに三国志城の話になる。山さんは三国志の人物に因んだメニューにウケてたようで。
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三国志城食堂メニュー
そして清岡はおもむろに、同人誌の三国志onlyサークル会報(1)『KINGDOMS×REVOLUTION』を出してきて、清岡が書いた山口三国志城紀行日記『ゴクジョ、行こうぜェ』を見せていた。持ってきたネタを消化できてよかった。
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そして皆さんに差し上げようと持ってきたと告げ、ある分を皆に配る。全3回。皆に喜んでもらって良かった。あと北伐さんが欲しがっていた同人誌を何種類も持ってきて差し上げる。それと傅燮入門の抜き刷り(?)も。北伐のお二人はテンションあげて喜んで下さって良かった。調子に乗ってペーパーまで持ってきていた、清岡。結果的に買ってくださった。ペーパーを頼りに価格を思い出す。それと清岡からは「ウェブだと訳のおかしいところをこっそり訂正するも同人誌だと訂正できないのでご自身で訂正して下さい」と告げる。
あと2005年末の十大ニュースの冊子も持ってきていて、まずUSHISUKEさんに見せて、皆に見せる。それはノミネートが書いているだけで、結果は載っておらず、清岡が答えて曰く「『三国志ニュース』を見て下さい」と。
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香港小皿酒家 シードラゴン
それと、USHISUKEさんとローカルトークしていた、ねこクラゲ先生のところに話で割り込む。『剣の詩 筆の詩』は三国志好きありきで始められたそうな。「それは良かった」と清岡。三国志マンガはむしろ三国志ありきではなくマンガありきの場合が多いと。その一例として横山光輝先生の話をしていた。『伊賀の影丸』の大ヒット→それの中国版を書いてくれて潮出版社が持ちかける→『水滸伝』の連載開始→その終了後、同じ中国四大奇書の『三国志演義』の翻案マンガ『三国志』の連載開始→おまけとして『バビル2世』は作者曰く『西遊記』の翻案マンガ。
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再び三国志城の話に戻す清岡。山さんから何年前からあったのか尋ねられる。1998年か1999年と答える清岡。
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あとネタ放出を全うしようと、『三国志研究』第五号の抜き刷りの清岡美津夫「現代日本における三国要素の変容と浸透──アクセス集計を事例に」を皆さんに差し上げる。
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それをネタに、あれこれ話題にする。大型人形劇『三国志』総集編とか。高校の時に学校教育の一環で見て終わったら号泣したっておっしゃっていたのは誰だっけ?
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話題は目の前にあるワニの話。店長によると、昔はアフリカ産だったが、今はオーストラリア産とのことだ。皆、ウケる。まさに映画『クロコダイル・ダンディー』の世界だとウケる清岡。店長によるとワニ牧場があって養殖ものだそうな。
トイレから帰ってきた清岡は、トイレが三国志の人形が並べられていて基地みたくなっていると皆に伝える。そして店内のテレビには『人形劇三国志』が流れていて、店員さんに話してUSHISUKEさん曰く「仕事場に『人形劇三国志』が流れていたら仕事にならない」とおっしゃっていた。
それから主題歌作曲の細野晴臣さんの話になる。YMOの。
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当時の植物についての話題、椎茸の話が出てきて、そういうのは漢詩からわかる、と清岡。迷迭とか。
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USHISUKEさんによると、当時ナスはハシゴを使って採っていたそうで、「やべぇ、ナス、退化している」、とおっしゃって笑いを誘っていた。そういうのは基本、『太平御覧』に載っているんでしょうねと清岡は申し上げていた。今、手元の電子文献で検索すると、確かに下記のようにハシゴの記述と共に載っているね。
・『太平御覧』巻九百七十七 菜茄部二 茄
『嶺表錄異』曰:南中草菜、經冬不圣。故蔬園擲晷、栽種茄子、宿根有二三年者、漸長、枝乃為大樹。毎夏秋熟、則梯樹摘之。三年後、樹漸老子稀、即伐去、別栽嫩者。
※次の記事
レポ3:九州三国志忘年会(2013年12月29日)
※追記
レポ:兀突骨に行くまで(2014年7月26日)
※追記
メモ:三国志ファンミーティング 古代中国の食を再現!(2016年7月10日)
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メモ:コミックマーケット92 3日目(2017年8月13日)
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