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年末年始で三国関連のニュースが固まっていて、これも今頃になってしまう。なにかというと、一昨年、上記のような記事を書いたのに対し、昨年はめぼしいものがなく、書かなかったんだけど、一昨年同様、二年ぶりに、下記の読売新聞の大学入試速報を通じ三国志関連の問題を見かける。
・National Center for University Entrance Examinations|大学入試センター
http://www.dnc.ac.jp/
・大学入試速報2014 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://nyushi.yomiuri.co.jp/
そうすると、初日の2014年1月18日土曜日の世界史Aと日本史Bに少し三国関連が見られた。
世界史Aの第2問に次のように『三国志』が対象とする時代(後漢末)に関わる文(p.16)があった。と言っても続く問には『三国志』が対象とする時代は出てこないが
A 紀元前後に西域から伝来した仏教は,後漢末以降の社会不安のなかで,本格的に中国社会に定着した。
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次に日本史Bの第2問のAの文(p.82)で、
農耕を主とする社会になると列島各地にクニが形成され,相互に交易をしたり争ったりするようになる。こうして戦乱を含む交流を経て立てられた王が卑弥呼である。『魏志』倭人伝は,卑弥呼が中国との交渉を行っていたこと,各地の市で交易が行われていたことなどを記している。これらはいずれも,列島内外に広がる陸海の交通を基盤としていた。
というのがあった。もちろんここにある「『魏志』倭人伝」は日本史独特の言い回しで、『三國志』巻三十魏書東夷伝のことね。
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この「こうして戦乱を」から「卑弥呼である」まで下線が引かれ、「b」の丸文字が付されている。当然、後に続く問 2で関連した問題(p.84)があり、『三國志』巻三十魏書東夷伝の「其國本亦以男子為王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名曰卑彌呼」「年已長大、無夫婿、有男弟佐治國。」「景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻」「十二月、詔書報倭女王曰」「今以汝為親魏倭王、假金印紫綬」の書き下し文があり、それについて正しい文を選ぶ四択問題となる。(2)の「卑弥呼には夫がなく,弟の補佐をうけて政治を行っていた。」が正解になるんだろうけど、他の間違い部分、(1)の「女王卑弥呼を立てた結果,倭国で戦乱が起こった」、(3)の「卑弥呼は帯方郡におもむいて,魏の皇帝との会見を求めた」、(4)の「卑弥呼に「邪馬台国王」の称号を与え」、と三つとも何かifストーリーやファンタジーを感じられて面白いね。
あと書き下し文には注が振られていて「(注2)景初二年:景初3(239)年の誤りとみる説が有力。」とあって、依然、これは根強いんだな、と確認した。まぁ、注でちゃんと断った上で「有力」と説明しているのは進歩したというべきなんだろうね。
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それからおまけ的に書くけど、国語の第1問で載せられた文は齋藤希史『漢文脈と近代日本』からの文でp.5に「前漢から魏晋にかけて、その書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき、高度なリテラシー(読み書き能力)によって」や「まして、魏晋以降、士人が自らの志や情を託しうるものとして詩を捉え、ついには詩作が彼らの生を構成するほとんど不可欠の要素になったことを見れば」と三国魏が出てきている。
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