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燕趙園 彩画(三国志演義 関連)


  • 2013年8月18日(日) 20:55 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,329
絵画
※関連記事 メモ:曹豹さんを囲む会(仮)(2013年5月4日)

 上記関連記事に触れたように、2013年5月4日の山口県光市の石城の里 三国志城における第18回三顧会の後に、燕趙園の話題が出ていた。アシカさんは結構、何度も訪れたことがあるそうで、そこで清岡から燕趙園内の建物に2000以上の彩画が描かれていて、それらの中に『三国志演義』の場面があると告げると、お知りにならない様子だった。話の流れで、冗談で帰りに寄っていって見てくれば良いと煽っていたが。

・ホーム - 中国庭園と道の駅「燕趙園」公式ホームページ
http://www.encho-en.com/

※関連記事 鳥取・燕趙園(中華庭園)

※新規関連記事 臨時休業のお知らせ(燕趙園2020年4月13日-5月15日)

 それで2013年8月13日の第19回三顧会の前日16時半ぐらいにアシカさんが来られ、実はあの後、燕趙園に行ったとのことで写真を見せて下さった。それにしては庭園の写真が明るい、白夜?とか冗談で言っていたら、どうやら直後ではなくて6月に行ったそうで。というわけでアシカさんからネットでの掲載許可を貰って写真のコピーを貰う。 もちろんネット上にあげるので、ダウン・サイジングするのだけど、折角なのでいつもの二倍の大きさにしている。そして簡単な解説を入れる。



 『三国志演義』毛宗崗本「第五回:発矯詔諸鎮應曹公、破関兵三英戦呂布」に見られる、呂布と劉備、関羽、張飛が戦う場面。史実ではないが、『三国志演義』のオリジナルというわけでもなくそれ以前の雑劇等に見られるそうで。



 関羽が曹操の下を離れる、千里行直前の場面。左が関羽で右の赤い服を着た人が曹操だろうね。『三国志演義』毛宗崗本「第二十七回:美髯公千里走単騎,漢寿侯五関斬六将」。でもその割には右の人たちがお辞儀をしすぎなので、もしかすると華容道の場面かもしれない。千里行直前だと橋が描かれるのが自然だろうし。つまり追い詰められた曹操たちを関羽が見逃す場面。『三国志演義』毛宗崗本「第五十回:諸葛亮智算華容、関雲長義釈曹操」



 後ろに劉備の二夫人が居るし今度こそ千里行の場面。『三国志演義』毛宗崗本「第二十七回:美髯公千里走単騎,漢寿侯五関斬六将」。こちらも『三国志演義』由来という訳ではないのだろうね。それにしてもそこの彩画は全般的に体は頭身を下げデフォルメされているが顔はよく見ると、リアリティに富んだものとなっている。



 関羽、張飛を引き連れて劉備が諸葛亮を尋ねる場面、2回目。『三国志演義』毛宗崗本「第三十七回:司馬徽再薦名士、劉玄徳三顧草廬」。この場面は日本でも絵画の題材に使われている。

※関連記事 円山応挙筆「風雪三顧図襖絵」八面

※新規関連記事 スナックバス江 #3(2024年1月26日)



 そして関羽、張飛を引き連れて劉備が諸葛亮を尋ねて3回目でようやく会える、つまり三顧の礼。隆中にて机の左側の諸葛亮と右の劉備が天下を論じる場面。『三国志演義』毛宗崗本「第三十八回:定三分隆中決策、戦長江孫氏報讎」より。



 これは判断に困るんだけど、真ん中の矛を持つ赤い服の人物が曹操で、赤壁の戦い前の、いわゆる槊(ほこ)を横たえて詩を賦す場面に見えるがどうだろう? 先に触れた華容道の場面でも曹操は赤い服を着ていたし。『三国志演義』毛宗崗本「第四十八回:宴長江曹操賦詩、鎖戦船北軍用武」



 「趙」の旗と船が見えることから、右の趙雲が孫夫人に奪われた阿斗を取り戻す場面だろうね。『三国志演義』毛宗崗本「第六十一回:趙雲截江奪阿斗、孫權遺書退老瞞」



 船の上の緑の服を着たのが関羽で、その右隣が周倉。つまりは龐徳と戦う場面で、『三国志演義』毛宗崗本「第七十四回:龐令明臺櫬決死戦、関雲長放水渰七軍」より。



 右肘に矢傷を負った関羽が平然と囲碁をしつつ、華佗に手術をさせる場面。『三国志演義』毛宗崗本「第七十五回:關雲長刮骨療毒、呂子明白衣渡江」。ちなみに小説の吉川英治『三国志』において右肘に矢傷を負った場面が省略され、それ以前に負った左腕の古傷をこの場面に当てられており、横山『三国志』ではストーリーとしてはその場面を参照にしつつ、絵では『三国演義連環画』(上海人民美術出版社1956-1964年)を参照にしているため、左右のギャップが生じ絵のスペースに余裕がなくなり、横山『三国志』では関羽が囲碁に気が向かず(もちろん酒にも)まるで手術に対して構えている場面になってしまっている。吉川英治『三国志』の初めの単行本の挿絵ではきっちり囲碁も杯も描写されているんだけどね。以上のことを日本マンガ学会 第13回大会のネタの一つに使ったのだけど。

※関連記事 ノート:横山光輝『三国志』に見られる連環画の再構築(2013年7月6日)

※追記 三国志(1953年6月30日)

 それで話を三顧会前日に戻し、アシカさんによると、行ったときは普通に園内にコスプレをする人が居たそうで、さらにおっしゃるに、10月にアジアの方々が来てコスプレしてパフォーマンスをするそうなので、また足を運ばられるとおっしゃっていた。最近の燕趙園は普通の休日でもコスプレする方々がいらっしゃるのかと感心して伺っていたが、今、写真の日付を見ると2013年5月18日になっていて、つまりその日は下記関連記事で触れたように第14回中華コスプレ大会があった日だね。そして10月は11月の誤りで、下記関連記事で触れた、2013年11月9日10日開催の第15回中華コスプレ6thアジア大会のことだろう。そんな中華コスプレ大会でコスプレにカメラを向けず、建物の下から上へカメラを向けてひたすら写真を撮り続けている様を想像すると何だか笑みを浮かべてしまう。

※関連記事
 第14回中華コスプレ大会(2013年5月18日19日)
 第15回中華コスプレ6thアジア大会(2013年11月9日10日)

 ちなみに清岡からは福岡関帝廟のフライヤを見せていた。

※関連記事 福岡関帝廟(福岡市中央区天神2002年12月22日)

※追記 メモ:第19回三顧会 前夜祭(2013年8月13日)

※追記 亀戸の中華料理店 三國志休店(2015年4月?)

※追記 神戸南京町広場四阿 彫刻

※新規関連記事 リンク:赤壁の戦(1926年11月30日発行)

※新規関連記事 正史 諸葛亮孔明(2022年3月14日)

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