※前記事
上智大学の入試で三国志関連2013
上記記事に引き続き、大学入試に三国関連がないか、下記サイトをチェックする。
・大学入試速報2013 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://nyushi.yomiuri.co.jp/
そうすると下記関連記事のように、一昨年に引き続き慶應義塾大学入試に三国関連がある。
※関連記事
同志社大学と慶應義塾大学の入試で『三国志』
・慶應義塾大学 - Keio University
http://www.keio.ac.jp/
まず「2013年 慶應義塾大学文学部(2月15日実施)」の世界史 Iの問題は、中国の思想や文化に関する長文に点在する空欄を埋める問題だ。初めの段落で下記に引用する文が出てくる。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
春秋・戦国時代の後,長きにわたって中国に統一王朝が現れない分裂期が訪れるのは,魏晋南北朝時代である。後漢末,儒教を奉ずる知識人を宦官が弾圧する( A )の禁が起こり,政争と自然災害とが重なるなかで,困窮した農民たちは太平道の信仰のもと黄巾の乱で決起した。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この( A )にもちろん「党錮」が入る。
※関連記事
メモ:「党錮の「名士」再考」
あと黄巾の乱について、確かに『後漢書』伝六十一皇甫嵩伝に「初、鉅鹿張角自稱「大賢良師」、奉事黄老道、畜養弟子、跪拜首過、符水咒説以療病、病者頗愈、百姓信向之。角因遣弟子八人使於四方、以善道教化天下、轉相誑惑。十餘年閒、衆徒數十萬、連結郡國、自青・徐・幽・冀・荊・楊・兗・豫八州之人、莫不畢應。遂置三十六方。」とあり「百姓」が張角を信じたことが書かれているのだけど、何の断りもなく「百姓」(ひゃくせい)を「農民たち」と訳してしまうのは個人的には違和感がある。階級や職業に関係なく士庶含め多くの人を含んでいる意味かと。実際、下記リンク先にあるように、『三国志』巻十四魏書程昱伝に「黄巾起、縣丞王度反應之、燒倉庫。」と、県丞が黄巾に呼応した記事があるわけだし。
・それぞれの道へ(孫氏からみた三国志22)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w031202.html
次に二つ目の段落で次のような文が現れる
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
知識人たちのなかには転変する政局から距離をおく者が現れ,老荘思想に基づく哲学的な論議である清談が流行した。清談の名手として知られる竹林の七賢の( B )は,儒教を無批判に信奉する俗人を白目で見たという「白眼視」の故事で知られる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
これは『太平御覧』巻三百六十六 人事部七 目所収 鄧粲『晉紀』に「阮籍能為青白眼、禮俗士輒以白眼對之。稽喜、康之兄、聞籍不哭、見白眼、喜不憚而退。」とある故事で( B )に阮籍が入る。
最後に三つ目の段落で次のような文が現れる
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
そうした仏教の進展の繁樹を受け,道教もまた南北朝時代に教団として組織を確立してゆく。後漢末の( D )を始祖とする五斗米道(天師道)が源流となり,老荘思想や神仙思想とも融合しつつ,北魏の寇謙之の改革により国家の庇護を受けるにいたり,仏教と鋭く対立した。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『三国志』巻八魏書張魯伝に「張魯字公祺、沛國豐人也。祖父陵、客蜀、學道鵠鳴山中、造作道書以惑百姓、從受道者出五斗米、故世號米賊。」とあるので、( D )には張陵が入る。
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