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清岡的見解:ねこまんまさんについて http://tinyurl.com/nekonomanma3
よくわかるねこまんまさんの問題行動 pdf
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ノート1:Mini三国志フェス in レキシズルスペース


  • 2012年12月13日(木) 00:05 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,899
ショー ・Mini三国志フェス in レキシズルスペース
http://3fes.sangokushi-forum.com/2012_mini/

※目次 ノート:Mini三国志フェス in レキシズルスペース(2012年10月13日)

 客の入場の順番は予約順ではなく先着順だと予めアナウンスされていたこともあり、開場時間の15時が迫ってきていたので、3階の会場にて、哲舟さんに1階へ見に行く旨を伝え、10分前ぐらいに階段を降りる。予めスタッフに配られたスケジュール通りなんだけど、会場の準備の時間が押していて、感覚的には少し早い気がしていた。
 そうすると2階で何やらこちらを伺う方がおられ、すぐにピンと来たのだけど、それはつまりお客さん第一号だった。挨拶して話しつつ一階の入口に誘導し、早くに来場していただいたことに対する感謝の言葉を述べつつ自然と話をしていた。もちろん今回のイベントの話や三国の話をしていたんだけど、中には映画『のぼうの城』も含まれていた。その間に、二人目のお客さんが来られたんで、一階の建物の入口前の通りで談笑していた。

・映画「のぼうの城」オフィシャルサイト
http://nobou-movie.jp/

案内の貼り紙 それと降りてきた時に気付いたが、いつの間にやら案内が張られていた(右の写真)。それと全然関係ないが、AC Milanの2011/12シーズンのユニフォームを着た人が自転車に乗って新聞配達をされていたので、誰のユニか気になって、背中を目で追うと何も書かれていなかった。
 そのうち、下記関連記事にある「中国王朝の至宝」展に、ネットで募って行ったという教団さんや梨奈さん等4名が来られたんで、通りでの通行の邪魔にならないように並んで頂く(予め会場の方に伺ったのだけど、特にどう並んで貰う等、決まりはないそうな)。

※関連記事 中国王朝の至宝(2012年10月10日-12月24日)

・教団's Rot
http://ameblo.jp/vitalize3k/

・中国王朝の至宝@東京国立博物館 (※上記ブログ記事)
http://ameblo.jp/vitalize3k/entry-11386428053.html

 あと2,3人来られたので、会場の方へ準備が整ったか伺いに行くと、まだとのことで、時間を置いて再度、伺うと、ゴーサインが出て、予定より数分ぐらい遅れて来場して頂く。階段かエレベータのどちらかを使って3階まで上がる旨を伝え。
 それでお客さんの居なくなった1階入口で待機を続ける。しばらくすると特命の買い出しに出かけていたおさっちさんが帰ってきて、清岡と同じく1階の案内に付く。開場時間になったのにまだ誰も来てない、どうしよう?!という小ネタを挟みつつ、開場前に十名ぐらいの客が来られた旨等を伝える。
レキシズルバーのアップレキシズルバー さらなる客は来られそうになかったので、おさっちさんにその場を少し任せ、1階のレキシズルバーを見に行く。清岡はその日、いきなり3階のレキシズルスペースに行ったものだから、レキシズルバーがどこにあるかわからずおさっちさんに教えて貰うに、3階に上がる入口が建物の東面にあるのに対し、レキシズルバーは東南角にある店を挟んだ南面にあるとのことで、カメラを持って撮影しに行く。その時に撮ったのが写真が右の2枚だ。なるほどコンパクトに収まっている。この記事を書く今さら気付いたのだが、上の棚から物を下ろす女将の姿が映っているね。
Mini三国志フェス、開宴前 その後、幾人かお客さんにご案内した後、15時30分になるとタイムスケジュール通り、おさっちさんをその場に残し、3階へ上がる。結構、開場に人が詰まりつつあり、予定通り北側西寄りの入口に入って右側に受付があって、会場の東側に足袋販売のスペースがあり、会場の東南に物販コーナーがある。

※足袋についての参考リンク。
・哲舟の呑む喰う浸かる、歴史に憩う
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/

・忍城のまち行田で、足袋(たび)の工場を見学してきた。 (※上記ブログ記事)
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/archives/65753898.html

そして飲物の受け渡しは北の東寄りにカウンターがあり、ステージは西側の壁、もしくは南壁の西寄りのスクリーン前だそうな。南の壁の中央には三脚付きのカメラが設置されており、ネットを通じて1階のレキシズルバーへの中継メインだけど、一応、外部からも見れるようになっている。その時ぐらいの写真が右のもの。哲舟さんご提供のものでステージ側から東に向けて撮られており、人影だけが見えるように処理している。見知った顔もちらほらいらっしゃった。
 1階の誘導が終われば、客席で自由にして良いと言われていたが、折角なので、3階北側の出入口付近で待機しておいて、お客さんの誘導等をしていた。それと今回、1階のレキシズルバーや会場外のトイレ等に行くのに足袋を脱がなくて良いように、スリッパが何足が用意されており、それを履きやすいように並べる作業もしていた。
 15:50ぐらいになると、六龍堂さんによるトイレ、物販、飲食物等の場内アナウンスが入り、いよいよ開宴かと気分が高揚する。ただ六龍堂さんの姿が見えずどこから声を出されているのか気になったが、後から知るにどうも控え室からのようだね。会場の外、出入口の物陰で待機する。

●開宴

Mini三国志フェス、開宴 というわけで16時になり開宴。レキシズルの社長、渡部さんと六龍堂さんがステージに登場。南西のコーナーに立つ。右の写真は哲舟さんご提供の写真で北側西寄りの出入口から南側西寄りスクリーンを映したものだ。似たような所に清岡も居たので、大体、同じ視界となる。
 ステージの二人はお互いに三国との縁を語っていた。その掴みの後、乾杯の音頭を取る。

六龍堂さん「生まれた日は違えども」
渡部さん「同年同月同日に死なんことを」
会場一同「乾杯!」

と、もちろんこれは通行する『三国演義』毛宗崗本第一回「宴桃園豪傑三結義、斬黃巾英雄首立功」でも「(三人焚香、再拜而説誓曰)不求同年同月同日生、但願同年同月同日死。」とある劉備、関羽、張飛の桃園結義から来ている。

※関連記事 2007年5月27日 赤兎馬Presents「三国志の宴2」第1部

 そして渡部さんから、今日は三国志好きが集まっているので、客同士、どんどんコミュニケーションをとってくださいとおっしゃられていた。そして満場拍手。六龍堂さんから今日の大きな出し物4つが紹介される。最後に六龍堂さんより、配られた番号札を最後まで持っていると良いことがあるかもしれない旨が告げられる。

●赤壁茶会

Mini三国志フェス、茶会 右の哲舟さんご提供の写真にあるように、南西角に設置された机の前に待機されていた、荔捺(れいな)さんにより、16:10から始まる。まず写真にあるようにスクリーンに少々、イメージを出しつつ、中国茶について解説される。(荔捺さんの問い掛けで判明したが会場の誰もが見たという)映画『レッドクリフ』のお茶のシーンを検証したそうな。その再現もあるので「赤壁茶会」と銘じたという。

※関連記事 レッドクリフ Part I&II(NHK BSプレミアム2012年9月8日15日)

 まず映画『レッドクリフ』のシーンに沿った説明。水を溢れさせたり、茶葉を炙ったり。劇中の小喬によるお湯の説明に焦点をあてるとのことだ。
 中国の喫茶の説明に入り、神農が初めて飲んだとされているという。神農が書いた書物『神農食経』にお茶を示す字「荼」が書かれているという。次が達磨大師にまつわる話で、修行の最中に眠たい瞼をとって植えたらそこからお茶の木が生えてきた伝説を紹介されていた。会場がざわめく。荼という字が出てくるのは前漢の王褒『僮約』ということでだ。「武都買荼」(『太平御覧』巻五百九十八文部十四契券)と。『僮約』は奴隷との契約書なので特にお茶について書かれていないが、上流階級では飲まれていたのだろうと荔捺さん。
 お湯を沸かしながら荔捺さんが発表を続ける。上流階級が飲んだお茶がどんなのかは魏の張揖『廣雅』に載っているとのことで、「荊・巴間采茶作餅成、以米膏出之。若飲先炙、令色赤、搗末置瓷器中、以湯澆覆之、用蔥・姜(橘子)芼之。其飲醒酒、令人不眠。」(『太平御覧』巻八百六十七飲食部二十五茗)とあり、葱や生姜やミカン(橘子)の皮を入れるとのことだ。
 (この間も清岡は来客対応で、ビニル袋を何枚か持っていて、靴をそれに入れていただくよう告げていた)
 元々、「荼」という字はお茶の意味だけでなく毒薬の意味もあったそうで、そこからも現在のお茶のようにして純粋に飲むだけではなかったとわかるそうで。『三国志』巻六十五呉書韋曜伝の「(孫)皓每饗宴、無不竟日、坐席無能否率以七升為限、雖不悉入口、皆澆灌取盡。(韋)曜素飲酒不過二升、初見禮異時、常為裁減、或密賜茶荈以當酒、至於寵衰、更見偪彊、輒以為罪。」というエピソードを紹介しており、せいぜいそんなエピソードしか残っていないという。それで話が『レッドクリフ』に戻り、どうしてそういうシーンができたかというと、陸羽『茶経』(紀元760年に書かれた)を参考にしていたのだろうとのこと。

※参照リンク
・Kyoto University Research Information Repository: <特集>中国におけるお茶文化の展開とその日本への初期伝来
http://hdl.handle.net/2433/139407

 話している荔捺さんの前のテーブルではお茶用の炎が大きくなっていて、観客の注目がそこに集まっていて、それでアシスタントをされていたおさっちさんから念のためコップに入れた水を持ってくるように指示があった。というわけでお酒のカウンターに言ってそれを持ってくる。その間に『茶経』に基づいた、お茶をたてるデモンストレーションが続いていた模様。
 その水の指令をこなした後、招待客一番乗りで渡邉義浩先生とその元・教え子さんが来られていて、その接客をしていた(思わずステージの『レッドクリフ』関連の企画を一瞥し、「今、ツッコミ所ですよ」とぼそっと言ってしまったが)。。
 それで『レッドクリフ』のお茶のシーンは三国時代のものではないという結論をおっしゃっていた。そして興味ある方は前に来て見て下さいとのことでお客さんを呼んでいた。火傷注意して下さいと。
 出入口付近でその様子を眺めつつ、清岡は哲舟さんに下記のブログ記事の感想を述べていたりした。

・哲舟の呑む喰う浸かる、歴史に憩う
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/

・レキシズルバーの上階に出現した「レキシズルスペース」に潜入!(前篇) (※上記ブログ記事)
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/archives/65729301.html

・レキシズルバーの上階に出現した「レキシズルスペース」に潜入!(後篇) (※上記ブログ記事)
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/archives/65731403.html

 お茶のデモンストレーションは続く。荔捺さんご自身が火傷したエピソードを話しつつ。希望者にはそのお茶が飲めるとのことで、前にお客さんが集まっていた。
 16:38には一通りのデモンストレーションが終わり、会場東南にある物販コーナーがその時、お茶コーナーになっていたので、そこで試飲ができるようになっていた(数分後で六龍堂さんからその旨のアナウンスが入る)。お客さんの談笑タイム。清岡はその間に渡邉先生と哲舟さんを引き合わせたり、お客さんのご要望に応えたりと。後者は結局消化不良で受付の方々に手伝って頂いたりした。
 この間に来客していた、にゃもさんに、持っていた横山光輝/著『三国志』15巻や『三国演義連環画之十四 煮酒論英雄』を見せていた。そこから蛇矛の話もちらほら。それと吉川英治/著『三国志』の新聞掲載時の挿絵は全部、単行本に収録されている訳ではないので、国立国会図書館でチェックしたいとおっしゃられていた。

※関連記事 三国演義連環画(1956-1964年)

・三国与太噺演義
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/

・丈八蛇矛の分かればな  (※上記ブログ記事)
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20121007/1349584420

 あと教団さんにいろんな方と顔合わせしたかと伺ったり。まだ全然なくて一方的に知っている方ばかりとのことで。

 所定の場所(正確にはそう清岡が決めた場所)である出入口のところに戻ると青木朋さんと滝口琳々先生姉妹(前記事にリンクしたようにご自身でブログ記事を書かれている)が来られ、何かと思ったら、どうやら1階のレキシズルバーを行かれるとのことで、場所が判るか伺うと、青木さんからその場所を尋ねられ、一階まで降りて一旦、外に出る旨を告げる。そうすると青木さんは一回外にでることに驚かれた上で「なんか酔っ払って旅館の外に出て変な気持ちになるみたい」と喩えられていたので、清岡からは「蔵前駅で大江戸線に乗り替える時を連想して下さい」と喩えていた。すかさず青木さんから「なんで都民でもないのにそんなこと言う?」とツッコミを頂いた。

・レジャー運、尽きる? (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2012/0201.html#18

 ということでレキシズルバーまで案内する。途中で、さっき持っていた『三国演義連環画』を見せると異様に食い付かれた。そして3階に戻る。次の企画が始まるまで、資料を見せつつ、にゃもさんと話していた。

 17時過ぎに、会場で音楽が鳴り始め、渡部さんと哲舟さんがステージに立ち、余興のコーナーを始める旨を告げる。
 過去二回「三国志フェス」を主催した人がここに居ないが、遠く中国の香港から挨拶をしたいという哲舟さんの紹介から、スクリーンに向かって、その挨拶したいという人へ呼び掛ける。

渡部さん&哲舟さん「香港のUSHISUKEさん?」

 そうしてスクリーンに映し出されたのが何やら関羽のお面。これには場内から笑いが漏れる。話が通じているのか通じてないのかよくわからない流れでそれを含めスクリーンの向こうのUSHISUKEさんをいじり、会場は受ける。

渡部さん「そちらの天気はどうですかね?」
USHISUKEさん「光化学スモッグです!」
(場内笑)

渡部さん「どうですか、中国は?」
USHISUKEさん「中国は………ダメです!」
(場内笑)
USHISUKEさん「…いや、良い感じで………反日です」
(場内笑)

(※と、年月が経つと意味が判りにくくなるので、説明をいれないといけないが、2012年9月に中国のいろんなところで、日本の領土に対する過激な反日デモが行われ、その日はそれから一ヶ月も経ってない10月13日だった)

渡部さん「やっぱ反日ですか?」
哲舟さん「実感として反日っていうのはありますか?」
USHISUKEさん「実感……体感はしてないのですけど……近くの日本人が殴られました」
(場内は笑い半分でどよめく)

渡部さん「三国志好きには切ないことになりましたね」
USHISUKEさん「あはっ(笑)」
渡部さん「あはっ、じゃねーよ!」
(場内笑)

  こんな感じでインタビューは続く。ここからUSHISUKEさんから香港で得た三国志グッズの紹介プレゼンになる。予め発表資料を頂いているのでそれをスクリーンに映してのプレゼンになる。その前にUSHISUKEさんを交えての乾杯。香港では乾杯は「カンペイ」という、USHISUKEさんからの言質をとってフリを作った上で、

哲舟さん「関羽の息子は?」
一同「カンペーイ!」

と今日、二回目の乾杯。
 そしてグッズの発表。中国語だと「介紹」だというところから。成都の武侯祠にある人物像の写真を見せ、USHISUKEさんから誰だと思うか?との質問に、その老年の姿から会場から黄忠と答えられるが、実は中国では「老いて益々盛ん」に黄忠と共に含まれる趙雲だったとのことで、会場から悲鳴に似た驚きの声が漏れる。
 そういった様子を眺めながらやはり出入口に清岡は待機していたら、招待客のさくら剛さんがご来場して下さる。あまりにも間近にいらしたので一瞬、誰か判らなかったがすぐ気付いてちゃんと受付等に誘導できて良かった。主催の哲舟さんは今、あそこに立っている人とお伝えした。

※関連記事 さくら剛/著『三国志男』(2008年5月12日)

 そしてステージでは、会場の南東、今、お茶のコーナーになっているところが、「張飛牛肉」も含めたグッズの物販コーナーになるとアナウンスされ、17:16終了。

※関連記事 張飛牛肉(四川張飛牛肉有限公司)

 香港で購入した連環画について清岡が一旦、ステージに呼ばれているものの、時間が押しているので、後回しってことだそうな。

※関連記事 三国演義連環画(1956-1964年)

 USHISUKEさんの無事な姿を見ることができた、ということで、ここで渡邉先生がお帰りになられる。清岡からは一組だけ『三国演義連環画』と横山光輝/著『三国志』の絵を見せていた。
 ちょうど良い合間の時間帯なので、渡部さんに連れられて受付のピノさんとりおさんと共に、フードの注文を受けて下さる2階の「黄金の串揚げ 串まる」に顔合わせに行く。注文を書いたメモを渡せばそこで発注されるとのことだ。
 3階に帰ってくると、ちょうどレキシズルバーにかのやさんに会い、二ヶ月ぶりですね、なんて言いつつ挨拶をしていた。なぜかしばしサッカー話をしていた。京都サンガ、サンフレッチェ広島、松田フィオレンティーナとか。

※関連記事 メモ:コミックマーケット82 3日目(2012年8月12日)

 それとその時、新倉さんにあやふやな記憶のまま名を伝えていたような気がするので、この場を借りてお伝えすると(…リーチしなさそうだけど)、『三国志』巻四十九呉書劉繇伝によると、「笮融先至、殺太守朱皓、入居郡中。」とあり(豫章)太守の朱皓なる人物が出てくる。この朱皓は『後漢書』伝六十一朱儁伝によると、朱儁字公偉の子だ。また、前述の劉繇伝の記述に注が付き、『献帝春秋』の記述「笮融出軍、不顧名義者也。朱文明善推誠以信人、宜使密防之。」が引かれ、朱皓の字が文明だと判る。

 17:25に六龍堂さんから次の企画「坂本和丸アワー★広げよう三国志の輪」のご案内が入る。一同拍手で荘厳な音楽が流れる。

※次記事 ノート2:Mini三国志フェス in レキシズルスペース


※追記 メモ:川本喜八郎人形ギャラリー(2013年4月7日27日)

※追記 メモ3:三国志フェス2013(2013年9月28日)

※追記 メモ1:三国志フェス2013(2013年9月28日)

※追記 メモ:夜の三国志フェス2013(2013年9月28日)

※新規関連記事 三国志 桃園のつどい(2017年4月30日渋谷)

※新規関連記事 蜀三傑人形(1851年)

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