※前記事
ノート6:三国志学会 第五回大会
※関連記事
三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日)
上記関連記事にあるように京都大学人文科学研究所 大会議室にて2011年8月27日土曜日に「三国志学会 第六回大会」が開催された。
・三国志学会
http://www.daito.ac.jp/sangoku/
・京都大学人文科学研究所
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/
※三国志学会のサイトの「大会ご案内」のページからプログラムを下記へ引用。関連する記事ができ次第、そこにリンクする予定。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
プログラム
○研究報告 (10:00~12:40)
佐々木正治 (愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センター助教)
「曹操高陵発掘調査の最新成果と考古学的意義」
葉口英子 (静岡産業大学情報学部准教授)
「日本のサブカルチャーにみる三国志の流用
―近年のゲームやマンガを事例として―」
金文京 (京都大学人文科学研究所教授)
「韓国発見の『三国志演義』テキスト二種について」
○昼休み
○講演 (14:00~17:00)
金相燁 (韓国文化庁文化財鑑定官)
通訳 金文京 (京都大学人文科学研究所教授)
「朝鮮王朝時代の三国志絵画について」
堀池信夫 (筑波大学名誉教授)
「鄭玄学の展開」
○懇親会 (18:00~)
於京都大学人文科学研究所大会議室
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「三国志学会 第六回大会」の話に行く前に、まったく関係のない
清岡の話から始まる。当時は会場近くに住んでいたものだから、余裕で歩いて行く。とは言っても事前に三国志学会に承諾を得て「三国志フェス2011」のチラシを置かせてもらうことになっていたので、開始1時間前の9時につくように家を出た。
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三国志フェス2011(2011年9月10日)
今出川通りを東へ歩き、門を潜った直ぐの所、予めどこにあるか聞いていた目的の建物に到着。普段、通りからは見ているが、足を踏み入れるのは初めてだった。その新築の棟が建った当初の、とある建材だかある溶媒だかの有害性で、それを取り除くまで何ヶ月か立入禁止だったという話を思い出していた。土曜日ということか建物にオートロックが掛かっているのだけど、そこの内側に人が待機しており、開けて下さる。そして建物内を進み、エレベーターで目的の階へ。
さらに廊下を進み、突き当たったところがどうやら会場となる大会議室らしい。やはり早く来すぎていて、受付がまだ準備されていなかった。会場の中は元々、大会議室とあって、前半分は席が正面に向いているのではなく、向かい合わせになっていて、後方は増設されたように椅子が並べられていた。そこに入ると
ひろおさんだけがいらっしゃった。会った矢先に、「三国志フェス2011」での出展が仕事でキャンセルになって申し訳ない、という話をされた。そういえば、ひろおさんは当初、出展予定だった(※これを書いている2012年10月であり、「三国志フェス2012」は開催見送りになったため、「三国志学会 第七回大会」にお会いした際には「三国志フェス2013」で出展したい旨をおっしゃっていた)。
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三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日)
三国志フェス2013準備委員会(2012年8月11日)
挨拶し、しばし居るとその内、人が来て、ひろおさんが声を掛けて名刺を渡しておられた。どうやら福岡大学の学生さんとのことだ。そして学生さんが私にもどこから来られたか尋ねられたので「すぐそこ」と答えて少し笑いをとる。その学生さんの話を聞き、どうも九州大学の川本芳昭先生の研究に興味があってコンタクトをとりたいとおっしゃられていた。
石井仁先生がお見えになられたので、渡邉義浩先生に許可済だという旨を申し上げ、右の写真のように、入口外側にあるレジュメ置きの所へ「三国志フェス2011」のチラシを置かせて頂く。先の話になるが、全部で102部あったチラシは、大会後半、レジュメと別の所におかれ、チラシだけ単独で置かれた状態だったが、大会が終わって回収する頃に30部になっていたため、つまり72部も持っていって貰ったようだ。「三国志フェス2011」自体は東京で開催のため、効果のほどはどうかわからないと思いつつ、残りを次の週の「三国志学会 一般講演会」に参加される
にゃもさんに託した。
会場に戻ると来られた先生方に、ひろおさんが次々と挨拶し名刺を渡していっておられた。金文京先生と渡邉義浩先生が話されており、人文研の建物に入るには昔はテンキーの入力だったが、泥棒が入ったこと(その建物か京大のどこかなのか不明)で職員証のカード認証に変更になったそうな。そのうち、葉口英子先生らしき方が来られ先生方と話されていた。
ひろおさんと清岡は会場向かって右の前寄り、向かい合わせ席ゾーンに座り待つ。なかなか人が集まらないな、と思っていたら、どうやら受付で詰まっているようだ。それから今回の『三國志研究』第六号にひろおさんの論文が掲載されたので、提出の際のデータのフォーマットの話をしていた。清岡の時の第五号と同じで基本「一太郎」でそれ以外だとご相談下さいとのことだった。清岡の時は「一太郎」一ヶ月試用版があったのでそれを使ったが、ひろおさんの時はそういうのがなく、三国志学会にお手数をかけまいと、「一太郎」をご購入されたそうな。
そのうち、
あんちょさんが来られ、清岡の右隣に座られ、さらにあんちょさんのお知り合いの
かのやさんがさらにその右隣に座られる。かのやさんと清岡は初対面だったので、名刺を頂く。続いて左隣に
かたせんさんが座られる。昨年の「三国志学会 第五回大会」ぶりだね。
<続く>
※追記
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