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三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー(2012年9月9日)


  • 2012年9月13日(木) 00:06 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,835
書籍 ※関連記事 三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日)

 上記関連記事にあるように2012年9月8日に京都市内の龍谷大学にて「三国志学会 第七回大会」が開催された。つい数日前に2年前の「三国志学会 第五回大会」の記事を書き終えたばかりなので、この調子でいけば「三国志学会 第七回大会」についてのレポート記事は2年後になりそうで、そこまでいかなくても忘れた頃になりそうなので、先に脇のところから書く。
 話は「三国志学会 第七回大会」の懇親会が終わった20時過ぎ時から始まる。福原啓郎先生と研究者1名と三国志ファン11名がぞろぞろと帰路についていて、残念ながらそこでひろおさんとドミトリーさんとが別れたものの、それ以外の11名は飲み屋に入っていった。福原先生、清岡三月さん、かたせんさん、イシザキさん、にゃもさん、なしごさん、R・Fさん、朝霧さん、ミズノさん、張茂さん。
 そこで清岡が出した話題の一つに京都での三国志こじつけツアーというのがあった。まず黄檗山萬福寺に関羽像を見に行き、藤井斉成会有鄰館(第一日曜日と第三日曜日の午後開館)で熹平石経の残石や正始石経(三体石経)を見て、京都国際マンガミュージアムで三国マンガを見るといったものだった。あとそこでは言えなかったが『三国志』に関係ありそうな地名、山越、烏丸を回ったり、司馬師が居なかったらもしかして京師府になってたかもしれないと思いを馳せたりと。

・黄檗山萬福寺
http://www.obakusan.or.jp/

・藤井斉成会有鄰館
http://www.yurinkan-museum.jp/

※関連記事
 京都・黄檗山萬福寺の関羽像
 有鄰館(京都)
 ノート:連環画は中国特有の『マンガ』なのか?その絵本としての可能性を探って(2012年2月15日)

※追記
 魏晋南北朝史研究会 第12回大会(2012年9月15日)
 三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日)

※追記 三国演義連環画(1956-1964年)

※追記 11月1日は董卓が相国に為った日

 冒頭の関連記事にあるように、「三国志学会 第七回大会」で陳曦子「中国四大名著の日中マンガ比較研究 ─「三国演義」を中心に─」という研究報告もあって、三国マンガについて話が盛り上がり、それが後々、伏線となる。
 宴も酣となり…というより終電が近付いていたので、解散の運びとなり、店の部屋を出る前に明日、張茂さん主催の「三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー」に参加される方は誰かと確認をとっていた。そのツアーは下記ブログ記事参照のこと。

・孫呉秘書省在建業
http://hishoshou.blog108.fc2.com/

・三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー (※上記ブログ記事)
http://hishoshou.blog108.fc2.com/blog-entry-16.html

※追記 大津祭 孔明祈水山(2012年10月6日7日)

 そのツアーはもしかすると張茂さんとにゃもさんだけが参加のデート状態になると期待…いやいや危ぶまれていたんだけど、結局、そのお二方に加え、朝霧さん、三月さん、かたせんさん、清岡も参加することになった。清岡は『絵本通俗三国志』だけでなく『三国演義』毛宗崗批評本も見るってことで興味をもったからだ。一週間前の「三国志学会 一般講演会」で竹内真彦先生から清代の『三国演義』毛宗崗批評本には大抵、挿絵がついていると聞かされていたもので。
 それで、参加者の多くが泊まるホテルが近いってことで京都駅ビル大階段ふもとに2012年9月9日10時集合。

・室町小路広場 - 京都駅ビル
http://www.kyoto-station-building.co.jp/eventspace/muromachi.html

 清岡はその日、ほぼ「市バス・地下鉄 1割おとく!」という触れ込みのトラフィカ京カード(※個人的には「みやこカード」と読んでいるがあっているのかな?)で行動しておりそこに時間が記録されるため、ほぼ正確な時間がわかる。但し一部肝心なところが抜けているが。京都駅には9:55に到着。そこから数分後に集合場所に到着。駅ビルの見掛け三階部分。すでに張茂さん、朝霧さん、三月さんがいらっしゃって、あとそこに来られるのは、かたせんさんだけとなり、朝霧さんが電話してみるに、寝坊とかではなく駅ビル内で迷っているということだった。こちらから行ってみると、2階部分で駅ビル備え付きの地図をまじまじとみる、かたせんさん発見。そのまま地下鉄の駅に行く。途中、三月さんが京都タワーを撮影されていた。
 市営地下鉄京都駅10:17に入り、北行きに乗り、10:37北山駅着。しばらく待ち改札前で、にゃもさんと合流。そこからほんの少し歩き、向かったのが京都府立総合資料館だった。

・京都府立総合資料館 Kyoto Prefectural Library and Archives-京都府ホームページ
http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/

 そこは通常の図書館と違い、貸出はなくその場での閲覧が主のようだった。三階の図書閲覧室に行く。主催の張茂さんが予め調べてリストアップされていた、三国関連の文献から、まず『通俗三国志』と『絵本通俗三国志』を閲覧することになり、そこの司書さんに頼み書庫から出して貰うこととなる(※文献情報が分かり次第、追記予定→※後述追記)。
 『絵本通俗三国志』は後述の早稲田大学のデータベースでその画像をみているが、実物を見るのも触るのも初めて。想像以上に薄い紙が使われており驚いた。皆さんのお話を伺うと、よくテレビ番組でこういった江戸時代の貴重な本を扱うのに白い手袋を着用しページをめくるところがあるが(…と単なる思い込みのイメージかもしれないが)、それをやると手の感覚が弱まり薄い紙を破いてしまうリスクが高くなるため、素手じゃないといけないらしい。逆にテレビ番組にて素手で扱うと視聴者からのクレームが入るとか何とか。
 他に気づきとして話題に出ていたのが、古書市で買ってきた本を自宅で読んでいると、鼻がむずがゆくなったり体が痒くなったりすることがあるが、さすがにここの書物は虫干し等、管理が行き届いているようで、全然、そういったことは起こらなかったということだ。
 『通俗三国志』の方はフリガナも含めカタカナが使われており、『絵本通俗三国志』の方はふりがなも含めひらがな、というより一部、読みづらい変体仮名が使われていた。『通俗三国志』や『絵本通俗三国志』を目の前にしてまずやることとして思い付くのは、「蒼天已死黄天當立」のところと、夏侯惇のルビがどうなっているかだった。

※参照リンク
・「黄天」?「黄夫」?? (※「三国志ファンのためのサポート掲示板内」ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2207

・「じゅん」と読む理由 (※「三国志ファンのためのサポート掲示板内」ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2893

 そうすると両者ともカタカナとひらがなの違いはあるものに、見事に「黄夫」&「こうふ」とルビと「かこうじゅん」だった。『通俗三国志』まで遡れるとは(と出版年を把握していないが)。
 身近な人にとってはバレバレだろうけど、それを知らない人はたくさん居るだろうから一応、伏せて、誰とは言わないが、この中に昨日、「吉川英治が見た「三国志」」というタイトルで研究報告していた袴田先生がいらっしゃったので(ちなみに私はその次の研究報告で司会していたので私ではない)、その報告内容で研究材として使われていた『絵本通俗三国志』があり、それについてあれこれ聞いていた。
 そうすると、先生はカバンから今回の研究報告のためにまとめた『三国演義』李卓吾本、『三国演義』毛宗崗本、『絵本通俗三国志』、吉川英治/著『三国志』の異同の一覧表を出し、それをネタに目の前の『通俗三国志』や『絵本通俗三国志』でホントに誤り、というか情報損失があるのか確かめていた。それでその一覧表を作るに当たり、具体的にどう調べていったか尋ねてみると、下記関連記事の早稲田大学図書館の「古典籍総合データベース」を利用したとのことだった。

※関連記事 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)

 基本的には私と同じやり方と思ったんだけど、私の場合は単に前述の二例ぐらいを確認するぐらいなので、文献に当たる回数が違いすぎて、感心するばかり。それに下記関連記事にある『三国演義連環画』と「横山三国志」との比較研究で必要であろう地道な作業に向けて勇気を貰った気分だった。

※関連記事 三国演義連環画と横山三国志

 あと朝霧さん辺りから話に出ていたのは、『絵本通俗三国志』の変体仮名の混じった文を読むよりは史書や『三国演義』の漢文の方が目に馴染んで読みやすいってことだ。同感。その流れで、私が『絵本通俗三国志』を当たるのにまず『三国演義』を読んで当たりを着けてから読んでいたと言ってた。
 そして『絵本通俗三国志』といえば、そのタイトルにあるように、何と言ってもその挿絵に特色が現れている。

※関連記事 2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2

 にゃもさんが探し出しては嬉しそうに見せたのが、まな板の上の劉安の妻とか…つまり、『三国演義』第十九回「下邳城曹操鏖兵、白門樓呂布殞命」での「乃狼肉也。」の実際の肉のところ。まさに劉安が穏やかな表情で裸の妻をまな板の上に乗せてさばこうとする残酷シーンだった。あまりにもショッキングな絵だったせいか、数分後には見たことすら容易に思い出せなくなっていた(…とは言っても昼飯の時に「狼の肉」だのといって、その話題を出していたが・笑)。
 その次が劉備の兵卒が何故か手に火縄銃っぽいのを持っているというところ。きっと、先程の残虐シーンといい確信犯的に読者の目を惹き付ける効果をねらってのことだろう…いやもっと積極的に読者にインパクトを与える効果をねらってのことかもしれないし、それが口コミで新たな読者を生んでいたのかもしれない。
 あと『絵本通俗三国志』一巻では登場人物の1ページ1人ぐらいの人物絵。それを見て、にゃもさんがアーケードゲーム『三国志大戦』にてレアリティSRでカードが配信されないかな、とおっしゃっていた(Illustratorの覧は「葛飾戴斗二世」とかなっていて)。そこから与太話で、むしろ今のプレイヤーだと『絵本通俗三国志』の絵は喜ばれず、捨てられてしまう、だの、それを拾うのを目当てにおじいちゃんたちがゲームセンターに集まってくるのが風物詩になるだの、と。

※関連記事 三国志大戦3 WAR BEGINS(2010年6月17日)

※追記 三国演義連環画(1956-1964年)

 あと霹靂車の挿絵。まるで複数の銃器が一斉射撃している猫像よりその大胆なカメラアングルに皆、目が行っていた。見開きの絵で、右の絵はサイドビューで絵の中では上方向、本のページとしては左方向への矢(箭)の一斉放射が動線と共に表現されており、対して左の絵は同じくサイドビューで上方向から、本のページとしては右方向から矢が降り注ぐ様が動線と共に描かれている。文で書いても伝わらないだろうけど、要はなかなか空間認識ができない見開き絵だった。結論としては見開きの絵を真ん中が山折りになるように折り曲げれば立体的に正しい絵になるのだろう、と。
 図書閲覧室は私語厳禁の静かなところだったが、そういった挿絵をみんなで見ている状況だったので、どうしても声が大きくなってしまっていた。そんな中で有り難いことにそこの司書さんが注意して下さる。こう書くと何か皮肉っぽく見えてしまうかもしれないが、仮に注意されてなかったらと考えると悪い意味で大事になるのは明白なので。その後、両手を掲げ下げるジェスチャーでお互いに声の音量が大きくならなように牽制し合っていた。
 12時に近付いていたので、一旦、『通俗三国志』と『絵本通俗三国志』を返し、6人は最寄りのファミレスに足を向ける。下記関連記事の展覧会やサイトの話をしてたっけ。

※関連記事 中国三大奇書の成立と受容(2006年10月2日-27日)

 もちろん、昨日の三国志学会大会の話もしていたし、その流れで、ネタとして下記に引用するツイートもその場でされていた。引用元はhttp://twitter.com/Zhang_Mao http://twitter.com/Jonathan_apple

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
張茂 @Zhang_Mao
先生に絵本通俗三国志の絵について解説していただきました。鉄砲が描かれてたとは驚きです。QT @Jonathan_apple 今日は昨日の三国志学会で発表された先生を招いての図書館巡りです。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 13時ぐらいに京都府立総合資料館3階図書閲覧室に戻り、今度は『三国志』と『三国演義』毛宗崗本を見せていただく。ほとんどの方は、『三国志』の伝の人物の並びや、朱筆での初め数ページだけ固有名詞をしている様や、上に欄外に緑色で何やら印がついていて、それは何か張茂さん、朝霧さん、かたせんさんの間で、議論していたりと(後者二人はどこまで読んだかの印と推測)。
 それに対し清岡と三月さんは『三国演義』毛宗崗本に夢中だった。その巻一は毛宗崗による序と1ページ基本1人の人物絵によって構成されており、午前の『絵本通俗三国志』と発想は同じだな、と思っていた。いやむしろこっちの方が元祖なんだろうけど。他の所の挿絵は1回当たり1ページ1枚絵で、2回分連続で掲載されている。
 そういった『三国演義』の挿絵と連環画との境界、あるいは両者の間にある何かの作品が以前から気になっていたので、まず頭の中にある『三国演義連環画』の絵と比較するために『三国演義』第二十一回「曹操煮酒論英雄、關公賺城斬車胄」の「煮酒論英雄」の挿絵を見てみると、『三国演義連環画』と違って大きな四阿だったのを確認した。そこからは挿絵を楽しむ方向で、印象に残ったのが馬謖の首が上を向いた状態で平べったくお盆に乗せられ偉い人(劉禅?)に差し出される絵だった。
 あと記憶の中の連環画と横山三国志とを比較するために、「死諸葛走生仲達」(『三国志』巻三十五蜀書諸葛亮伝注引『漢晋春秋』)での司馬懿が逃走するシーンを三月さんに探して貰うも、その挿絵はなく、魏延の処刑シーンだった。

<9月15日追記>

・孫呉秘書省在建業
http://hishoshou.blog108.fc2.com/

・三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー報告 (※上記ブログ記事)
http://hishoshou.blog108.fc2.com/blog-entry-17.html
 ※2102年9月15日現在、ベタに「夏侯惇」の「侯」の字が「候」となっている。

 とういわけで、書誌事項は上記ブログ記事を参照して頂くか、タイトルから前述の京都府立総合資料館のサイトで検索していただくかしてくだされば良いのだけど、三国志ニュース的に書けば、湖南文山/譯『通俗三國志』(額田正三郎天明五年(紀元1785年))、湖南文山/譯、池田東籬亭/校正、葛飾戴斗/畫圖『繪本通俗三國志』(河内屋茂兵衛天保七年-天保十二年序(紀元1836-1841年))、(晉)陳壽/撰、(劉宋)裴松之/注『三國志』(國子監萬暦二十四年(紀元1596年))、(晉)陳壽/撰、(劉宋)裴松之/注『三國志』(汲古閣崇禎十七年(紀元1644年))、(明)羅貫中/撰、(清)毛宗岡/評『増像全圖三國演義』(錬石書局光緒二十一年(紀元1895年))といったところだろうか。上記のブログ記事を読むと出版のことは私的にはまだまだ学ぶ余地がありそうだけど、それらは今後の楽しみに留めておこう。

※関連記事 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)

※参照記事 ノート2:三国志学会 第五回大会

 この『通俗三國志』より上記の関連記事で触れた人形浄瑠璃『諸葛孔明鼎軍談』(1724年初演)底本の方が古く、「かこうじゅん」起源はまだまだ辿れそうだね。
 それと前述のブログ記事で思い出したが、そういや『繪本通俗三國志』にそうタイトルの書かれた縦長の紙が挟まっていたね。一端がその和装の本に着いてるその紙を外に出し、平積みにするとちょうど商品の名札になるって仕組みだ。あと前述のブログ記事より引用すると「表紙に三國史と書いてあるのを、二重線で消して志に直していました」ってのもあったあった。
 そして肝心なことを書き忘れていたことを思い出したが、張茂さんがご用意したリストを見た朝霧さんの要望で、最後に『三國志典略』を出して貰った。実際にものを見るまでの予想としては『三国志』注所引『典略』あるいは『魏略』を編集して一冊にしたものと思っていたが、違っていて一部分が載るのみだった。もちろんそれだけでは数ページで終わるため、その他にはいろんな文献の一部分が載っていて、そういう文集みたいな体裁の文献だと気付く。その文献自体の名前は『説苑』に近い名だったと記憶しているがそれ以上、思い出せない。仕方ないんで、そこに収録されていた文献『三國志典略』『建康實録』『裴啓語林』は覚えていたんで、それをキーワードとして検索してみると(元)陶宗儀/纂『説郛』という文献名が出てくる。
 (唐)許嵩/撰『建康實録』はどんな箇所が出ているか目を通さなかったが、『裴啓語林』はにゃもさん等みんなで目を通してみると、

・『藝文類聚』巻七十二食物部米所載『語林』
陳壽將為國志、謂丁梁州曰:『若可覓千斛米見借、當為尊公為佳傳。』丁不與米、遂以無傳。

と同じだった。他にもあったっけ?

※関連記事 メモ:[唐]許嵩撰『建康實録』

※参照リンク
・諸葛亮の羽扇について。   (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」内ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1452
<追記終了>

 にゃもさんが青春18きっぷの終電が京都駅16時発とのことで、昼食時の予定通り、名残惜しくも14時近くになれば、そこの京都府立総合資料館から撤収に移っていた。新幹線自由席で帰られる朝霧さんの話では、にゃもさんは京都駅16時発の新幹線指定席で帰られるとのことなので、密かにブルジョワ呼ばわりしていた。でもそれ以前に、清岡とにゃもさんが東京-京都間の青春18きっぷの終電の話をしていて、清岡からは東京から京都までの終電は15時半だった(下記関連記事)と言った記憶があって、おかしいな、と思っていた。…という伏線。

※関連記事 メモ:コミックマーケット82 3日目(2012年8月12日)

 そして昼食時の予定通り、目指す先は地下鉄一本で行ける烏丸御池駅。主催の張茂さん曰く当初、京都府立図書館に行こうとも考えていたが、昨日の「三国志学会 第七回大会」での陳曦子「中国四大名著の日中マンガ比較研究 ─「三国演義」を中心に─」もあったので、それだったら京都国際マンガミュージアムに行こうってことになった。
 14:06に北山駅に行き、14:22に烏丸御池駅を出る。その名の通り南北の烏丸通と東西の御池通の交差点で、京都国際マンガミュージアムはその北西角の少し北に上がったところにある。
 移動中、なぜか、欧米人が左右に掲げた両手でそれぞれ中指と人差し指を折り曲げるジェスチャーの話題になっていた。折り曲げる前を顔文字で表現すると y(゚_゚)y こんな感じか。そのジェスチャーはダブル・クォーテーション・マーク2つを意味するもので、つまり全角だと「“ ”」、半角だと「" "」を意味し、「いわゆる」とか「つまり」とかのニュアンスで使われる。注意深く見ると海外ドラマ(もちろん欧米の方)や欧米人の研究報告で見掛ける。そのジェスチャーを「『 』」という意味で使い、それぞれ一本だと「「 」」という意味で使おうって話になっていた。つまり口頭でも『三国志』と「三国志」の使い分けができるってネタ。さらに積極的にここから流行らせようって話にまでなっていたが、昨年の三国志学会大会後の朝霧さん、にゃもさん、かたせんさん、清岡での飲み会で、三国時代の一人称は自分の名を言うことと、漢文の「~耳」(~のみ)が転じて語尾に「~みみ」をつけ、「にゃもはねー、モヒートを欲するみみー」とツイートされたものの、流行るどころか一向にリツイートされなかったという過去を話していた。以下、引用元はhttp://twitter.com/sangokushiforum http://twitter.com/AkaNisin

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
NPO三国志フォーラム @sangokushiforum   11年8月28日
野暮ながら解説すると「臣」という謙称は皇帝に対するものだから「撲」とか自分の名とかを謙称に使うのが自然→140文字と限られた所では情報圧縮に漢文使えば良い…「将」とか「耳」?じゃ語尾に「みみ」を付けようの流れ RT @AkaNisin にゃもはねー、モヒートを欲するみみー
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 そういえば昨年の与太話も元はといえば、張茂さんがツイートで一人称を「臣」と使うことがあって、その飲み会で清岡が「誰に対する臣やねん!」とツッコミを入れたことから派生していたんだった。
 ダブル・クォーテーションのジェスチャーの話で、張茂さん曰く、学生が文献名の括弧と論文名の括弧を混同するのはありがちなので、意外と口頭で使えるのではないかとおっしゃっていた。
 話を戻し、にゃもさんの帰宅時間に合わせると、滞在時間は一時間もないのだけど、実は京都国際マンガミュージアムの入館料800円があって、申し訳ないなと思いつつも、地下鉄に乗っている時にその点を断っていた。その分、みなさんになるべく楽しんで貰おうと気を回しながら向かう。

・京都国際マンガミュージアム
http://www.kyotomm.jp/

 京都国際マンガミュージアムは小学校を改装したところで、校庭だったところで自由に寝転がってマンガを読めるのが特長の一つだ。入館料を払い、一階から順にざっと見て回ろうということになる。
 まず一階の各国マンガが居並ぶ中、何か三国関連がないか探したところ、中国のコーナーで連環画の説明や『西遊記』や『三国志』の説明があったものの、肝心の三国作品が連環画にもマンガにも見当たらない。辛うじて『成語故事』と名付けられたマンガの本で、『世説新語』假譎に載る、

魏武行役、失汲道、軍皆渇、乃令曰:「前有大梅林、饒子、甘酸、可以解渇。」士卒聞之、口皆出水、乘此得及前源.

という曹操の梅のエピソードがマンガ化されているのを見付ける。なんだか、頬骨の出た菱形顔の曹操だった。
 そこから南下し、1階のホール近くで雑誌が展示されていて、3階の研究会でも使う、雑誌コーナーの部屋とは別に企画か何かで展示されているのだろうかとふと気になっていた。
 一階にはこの施設が開設したぐらいの時期に、企画としていろんなマンガ家に舞妓のイラストを描いてもらい、それらの企画展「100人の舞妓」があって、よく見てみると、依然、その展示がしてあったので、下記関連記事に書いた『STOP劉備くん!』の白井恵理子先生のイラストと顔写真は依然、展示されていた。

※関連記事 メモ:『私説三国志 天の華・地の風』復刊

 それをにゃもさんとかたせんさんに見せていたのだけど、二人とも名前を聞いたことあるぐらいの感じで特に興味を持たれなかった。そのため、白井恵理子先生のエピソードとして、下記関連記事にあるように、おもしろ三国志さんのライブでも無表情で微動だにしなかったということを紹介していた。

※関連記事 赤兎馬Presents「三国志の宴2」第3部

※リンク追記
・100人の舞妓展 | 京都国際マンガミュージアム
http://www.kyotomm.jp/permanent/maiko100.php

 あと当日の話と無関係だが、白井式の話が出てきたついでに、日頃の「三国志ニュース」のご愛顧に応え、或る方向けに下記にリンクを張っておこう。まぁ、これだけ長ければここまで読まれず伝わらないだろうけど。個人的には『後漢紀』巻二十七孝献皇帝紀の「尚書令朱儁之出奔也、與孫堅倶入洛陽、既而屯於中牟。」という記述に、朱儁が反董卓時に洛陽入りしたのかとドリームを感じてしまう。

※関連記事 『後漢書』朱儁伝の冒頭

・孫堅の上洛(孫氏からみた三国志50)
http://cte.main.jp/sunshi/2008/0428.html

 それで話を戻し、三国マンガを見つけだせなかったので、主に少年マンガの1階から主に少女マンガの2階へ上がる。その際の張茂さんの解説として、その階段はほとんど元の小学校のままであり、そこは撮影ができるってことで三月さんや朝霧さん(もだっけ?)がカメラでばしゃばしゃ撮っていた。さらに張茂さん曰く、京都国際マンガミュージアムではコスプレイベントがあって、撮影スポットとしてこういう階段も使われるとのこと。
 2階には元の小学校に関する展示スペースがあって、そこに国語の教科書が並んでいたので、三月さんと共に何か三国関連がないか探していたが、結局、一番近いので韓信の股潜りエピソードしか見当たらなかった。紙芝居スペースを横目にさらに北上した先の展示スペースで、ようやく横山光輝/著『三国志』の所に来る。

※関連記事 横山光輝三国志おもしろゼミナール(1984年7月)

 ここで急に「吉川英治が見た「三国志」」の研究報告した先生を出すわけだけど、実のところ、先生は横山光輝/著『三国志』(マンガ)を読んだことがなく、吉川英治/著『三国志』(小説)の冒頭のお茶のエピソードがそのままマンガ化されているのを感心して読まれていた。そこで清岡がネタ所として張飛が一般兵卒の二倍以上の身長があって、片手でそれら兵卒をふっとばすシーンを見せたが、原泰久/著『キングダム』でもありがちと返された(笑)。
 あと記事「三国演義連環画と横山三国志」でも書いた話を昨日の懇親会などでネタとして話しまくっているせいか、朝霧さんがそのコマを探していて、清岡が覚えている分を教えて差し上げる。15巻の曹操が片膝立てて座るコマね。
 2階は通り過ぎ、北の階段から青年マンガ中心の3階に上がり東へ進む。そこで『蒼天航路』が発見され、皆そこで留まる。あとさらに東へ進むと、寺島優/原作、藤原カムイ/作画『雷火』(スコラ、1980年代終わりから1990年代終わりぐらいのマンガだそうで)があり、三月さんからこれも三国マンガだと教えて下さる。なるほど、邪馬台国が舞台で立派な三国マンガだ。『三国志』巻三十魏書東夷伝に載る邪馬台国の道筋がどうしてそう書かれたか、という話が載っているそうな。今、この記事を書いている際に気付いたが、藤原カムイ先生は分冊百科『週刊マンガ日本史』創刊号で「卑弥呼 女王、倭国に立つ」というマンガを書かれている。そんな繋がりがあるとは。

※関連記事
 夕刊フジの三国志
 週刊マンガ日本史(2009年10月6日創刊)

 東西の廊下の北側にマンガの本棚があって、南側は教室になっており、その一つが普段、研究会などを行う「研究室1」で、そこは1980年代の『週刊少年ジャンプ』が並ぶ雑誌コーナーだったんだけど、部屋に入れず、窓から中を覗いてみると、雑誌が撤去されていて、職員が何やら別の書籍を並べていた。
 そういう疑問を抱いていると、同行者の或る方が東隣の部屋から声を掛けてきた。その人は誰かは、一応、伏せておくが、どうも京都国際マンガミュージアムに知り合いがいるらしく、たまたまそのお知り合いが、「研究室1」の東隣の「研究閲覧室」にいらっしゃって、紹介して下さる。その研究閲覧室担当の渡邉朝子先生。
 渡邉先生曰く、研究閲覧室の所蔵の研究書が多くなってきたため、研究室1の本棚に拡張している最中だそうな。そのため、今、1階の方に雑誌が移動しているようだった。その三人の他の話題としては、マンガ繋がりってことで、昨日の「三国志学会 第七回大会」での陳曦子「中国四大名著の日中マンガ比較研究 ─「三国演義」を中心に─」をたまたま持っていた(というより昨日のまま)レジュメを見せつつ話していた。

※関連記事 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

 それと予約をとっていれば、書庫も含め京都国際マンガミュージアム内を案内して下さるとのことで、次に大勢で来るときは是非、予約してきます、と申してその場を後にした。今回は時間が押していたのであまり長く話せないってことも申し上げて。

※追記 少年ワールド、コミックトム

 お土産を買う時間が欲しいとのことだったので、15時を回ったぐらいで、京都国際マンガミュージアムを出て、一行は地下鉄一本で南下し京都駅に行く(この時トラフィカ京カードを使ってないので正確な時間わからず)。通常だったら、そのまま駅ビルに向かうが、朝霧さんが南の八条口のロッカーに荷物を置いているとのことで、南回りで京都駅の新幹線の中央改札に向かう。
 南から行くと新幹線の改札口を通り過ぎ、エスカレーターを上がったところにお土産屋があって、そこで各人でお土産を買って貰う。その前にかたせんさんが荷物を逆方向の烏丸口に荷物を置かれているとのことなので、結局、挨拶を差し上げられずにお別れとなってしまった。
 お土産を買って貰い、そのお土産屋の前で解散となる。その際に、新幹線側に行くのは朝霧さんのみだったので、そこで、ようやく、やはり、にゃもさんは青春18きっぷで鈍行列車で帰ると判明する。三月さんも青春18きっぷでの帰宅だ。
 というわけで、16時前には「三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー」が終了となる。

 どうも主催の張茂さん、お疲れさまでした。そして、三国関連の図書で、あれこれ楽しませて下さって、ありがとうございました。


 そういえば一名ぐらいしかなんでここで書くか通じないと思うけど、解散の後に、京都駅の市バス乗り場に行ったら、ついに初めてKYOTO_WiFiのステッカーを見掛けた。話題に出したところだったので。

※参照リンク
・京都市電とKYOTO_WiFi (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2012/0801.html#01

※リンク追記
・KYOTO WiFi
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/wifi/
※2012年9月13日現在だと「バス停留所にてご利用頂けます/ ・京都駅前/ ・上賀茂神社前」とのこと。しかし地図では下賀茂神社になっているけど、実際はどっちなんだろう。下賀茂神社の方に見に行くかな。※追記。下賀茂神社前は半分電化でステッカーが見当たらなかったので、その足で上賀茂神社へ。そこにもステッカーがなかったので、念のためWi-Fiを見てみると、来ていたので、手元のネットでメールを送り、ゲストコードを得る。ゲストコードって何のことかと思ったら、ブラウザで適当にネットにアクセスすると最初に入力画面が出てきてそこの打ち込むコードだった。

※新規関連記事 日本三國 第5巻(2024年7月11日発売)

※追記 京都で哲舟さんを囲む会(2013年2月5日)

※追記 三国志フェス2013 予習リンク集 (2013年9月28日)

※追記 ノート:三国志学会 第八回大会(2013年9月14日)

※追記 レポート:関プチ5 全国ツアー:6/22特別講座「新発見!三国志と日本」勝手に予習(2014年6月22日)

※追記 関プチ5 全国ツアー:9/14京都 大興寺関帝像拝観(2014年9月14日)

※追記 まんがのソムリエ(2014年5月31日発行)

※追記 ノート:六朝建康都城圏的東方―破崗瀆的探討為中心(2014年12月6日)

※追記 ノート2:Mini三国志フェス in レキシズルスペース

※追記 雷子(2015年4月9日)

※追記 三國志研究第十号(2015年9月5日)

※追記 特別公開『三国志』(2015年12月10日-2016年1月11日)

※追記 京都国際マンガミュージアムメイン展示に三国演義連環画(2010年4月?)

※新規関連記事 レポ:ゆるぷち三国志の集い ~忘年会も兼ねて...~(2016年12月3日)

※新規関連記事 八陣の庭(京都 二条城二の丸庭園)

※新規関連記事 メモ:京都国際マンガミュージアム 見学ツアー(2018年6月24日)

※新規関連記事 雷火(1987年5月12日-1997年8月26日)

※新規関連記事 江戸の人びと、本をたしなむ(日比谷図書文化館2020年1月18日-3月8日)

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