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清岡的見解:ねこまんまさんについて http://tinyurl.com/nekonomanma3
よくわかるねこまんまさんの問題行動 pdf
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第17回三顧会 午後(2012年8月14日)


  • 2012年8月29日(水) 00:02 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,848
場所 ※前記事 第17回三顧会 午前(2012年8月14日)

・三国志城博物館
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

○三国志的兵馬俑を作ろう!

 昼食前に「三国志発表会」のお勉強系で、昼食後の眠くなる時間帯に皆が常に体を動かす芸術系の企画を入れるとはよく考えられているなと思いつつ。
 講師はツチヤ先生。紙粘土で兵馬俑、つまり人や馬をかたどるとのことだ。
 そういえば、2006年10月19日-12月3日開催「始皇帝と彩色兵馬俑展 ~司馬遷『史記』の世界」で「兵馬俑色つけ体験(小・中学生対象)」という企画があったが、まずは作る方ってことで。

※関連記事 2006年10月19日-12月3日「始皇帝と彩色兵馬俑展 ~司馬遷『史記』の世界」(京都文化博物館)

 特別展示室の茣蓙の上に長机がいくつか置かれ、そこで粘土細工するということだ。それぞれの机の上には水の入ったたらいが用意される。紙粘土は二人で一つ。まず半分に切ることから始める。ちなみに机の上には何も敷かれておらず、聞くとそのまま拭いた方が早いとのことだった。
 そして清岡は昼休みに頂いたアイディアを実行すべく、長沙市金盆嶺9号晋墓の青磁騎馬俑の写真(出典:富田哲雄/編著『中国の陶磁 第2巻 陶俑』(平凡社1998年)、「永寧二年五月十日作」(紀元302年)とある)を映し出したノートPCを脇へ置き、備える。といっても騎馬俑そのものを作る気はまったくなく、進賢冠がクローズアップされるように、首から上の部分をつくるつもりだった。それにしてもツッコミどころとしては、お手本は三国時代ではないことかな。

※関連記事 メモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」

 まず捏ねるとのこと。ツチヤ先生からの指導は馬俑の作り方ということで、まず円筒形にして馬のbodyを作るという。ちなみにツチヤ先生は英語の教師でもあるので、英語部分は妙に発音が良い。
 左隣の英傑群像岡本さんは何かの展覧会の図録を持ち込んでいてそれをお手本に作っておられた。右隣の教団さんは試行錯誤されている。
 馬のbodyに当たる部分は、清岡の目指すところだと首から頭部に当たる。指導通り水を使っていく。一応、目と眉は小さい粘土をくっつけ表現する。
 向かいの人はホワイトベースのような馬を作っておられた。
 途中で英傑群像岡本さんが机と粘土がくっついていたので、それを踏まえ、机とくっつかないように、紙粘土の包装のビニルを敷くことにした。あと耳の長い幘は頭部に平らな粘土を巻くことで表現する。ただそれだと屋が表現できないのだけど、そこまでの気力がなかったので、単に頭部に粘土のまるめたものを乗せた。後で作る梁を支える意味もあった。

※関連記事 一梁?メモ

 教団さんは長柄の武器をかたどるようだったので、朝のバイキングで余分にとってしまった割り箸を骨組みにと渡す。そういえば、この時に教団さんから『イナズマイレブン』に孔明が出るって聞いたんだっけ。

※関連記事 イナズマイレブンGO2 クロノ・ストーン ネップウ/ライメイ(2012年12月13日)

 梁はお手本に忠実に平らな物にした。折れた棒状にするにしても重力に抗う必要があるのが課題。支えがあるとはいえ、少したるんでいる。そして最後に、個人的には一番重要な部分と思っている、梁を上から押さえる紐を、あからさまなデフォルト太さで表現し、装着する。これもお手本に忠実なところ。まだまだ凝れるがそれだと時間がいくらあっても足りないので、仕上げに移り、その後はひたすら水で濡らした手で表面を滑らかにする作業だった。
紙粘土 そして右の写真のようになる。接写機能のない安物デジカメなので、うまく撮れてないが。ちょうど斜めから見下ろしたようなカメラアングル。きっと知っている人にしか形を認識できないんだなぁ、と。あと乾いたら形が維持できているかどうかさっぱり自信がない。そういえば、次の日に出発するときに確認するのを忘れていた。


○三国志武将あてゲーム

 というわけで、次の企画へ。まず漢魏蜀呉の4チームに分かれるとのこと。もちろん清岡は真っ先に漢を選んで、目印になったんだけど、不人気で他のチームより一人少なかった。教団さんも同じチーム。蜀が初心者向けってことで、やはり漢は上級者向けのようで。そういや以前の三顧会のダーツ企画の時も漢だったような。

※関連記事 第9回三顧会(2008年8月16日午後2)

 ルールはまずスタッフが漢魏蜀呉それぞれの人物のカードを選ぶそうな。もちろんそれぞれの所属で。それぞれのカードを出番が回ってきた人物の背中に付ける。つまり本人以外は相手の三人も出番待ちの人も本人のカードが判る状況。四人でまずジャンケンして勝った人が残り三人のうち一人からヒントを貰う流れ。正解が出るか、正解が出ずにジャンケンが五回終わってさらに4人全員が答えて(その時の正解は2ポイント)、各チーム、次の人に交替となる。当てたら4ポイント、当てるヒントを出した人(アシスト)は1ポイント。
 清岡は真っ先に漢を選んだので、最初の出番となる。一回ジャンケンに勝利してヒントを貰えたものの、答えられず。逆にヒントを出す立場になったけど、答えが張遼に対し「リクルート組」と大ヒントを出したつもりで観客も盛り上がったんだけど、魏のほとんどの人はリクルート組ってことであまりヒントにならなかったオチ。スタッフが選ぶ人物は有名人物ばかりとのことだが、清岡は「蔡瑁」が答えだった。『三国志』だったらマイナーだね。
 次が教団さんで正解は「劉表」。小雪さんの漢王朝の王族ヒントや(劉協と答えて不正解)、十一月兎亭さん(※今のハンドルネーム失念)の疑り深い人で寝ている人に対し棒でつついたエピソードのヒントで、見事正解。これで1位タイとなる。
 とりあえずジャンケンに勝たないと正解を出せないことと、最後の五回目は皆、ヒント出しに選ばれた人は1ポイント狙いをすることが定番になっていた。なのでこの記事を書いている時に思ったんだけど、五回目にジャンケンに勝つとかなり正解率が高くなるね。
 途中、母子対決があったりと見所たくさんで(漢の子がカードに書かれた文章をヒントとして読むという技を編み出し、そして蜀の母の方はジャンケンに強いがなかなか答えられないという見所があった)、結果的に教団さんの正解と途中のワンヒントだけの「董卓」を正解させたこと等が効いていて最終戦では単独1位になっていた。
 その最終戦は一人少ないんで、2回目の出場となる清岡。結局、勝ちに絡めなかったんだけど、大ヒントで蜀のアスカさんが姜維と答え、元々蜀が0点だったため得点が魏蜀呉のどのチームも抜きんでず、そのまま漢が逃げ切った。
黒糖しょうがぱうだー 谷館長からの賞品は右の写真のように「黒糖しょうがぱうだー」。三国志城シールが貼ってある。裏を見ると、クッキーのレシピがあって、これを機会に作ってみようかな。オーブンも小麦粉もあるし。

 というわけで三顧会のプログラムが終了し、ここで英傑群像岡本さんから三国志祭の告知があった。予選のあるクイズ大会があるとのこと(後日、「三国志の鉄人」と企画名が発表される)

・三国志祭オフィシャル 3万人越え三国志最大級イベント
http://sangoku-maturi.com/


○閉会式

 谷館長の挨拶で閉会。そして集合写真の記念撮影。16時前には終了。


 それでこの後の次々と三顧会参加者が帰っていく時間帯がすごく寂しい時間帯だ。特にそのまま残り三国志城に泊まる清岡にとっては余計そう感じる。ちなみに、他でそのまま泊まった方は、『蒼天航路』(マンガ)の全巻読みに挑戦していたツクダ(弟)さんや、一条さん、小雪さん。
 いろんな方々を見送りつつも、食堂でまったりしたり、下記関連記事にあるように、特別展示室で『三国演義連環画』と横山光輝/著『三国志』(マンガ)との関連性を探ったりした。

※関連記事 三国演義連環画と横山三国志

 夜になると、同じくバイキング形式の夕食を頂く。昼食を食べずに三顧会に参加していたので、すっかりお腹が空いてしまい、夕食になるまで「お腹空きましたね」とツクダ(弟)さんに何度が零していた。
 やはり、みなさん、前夜祭と三顧会でお疲れのようで、『蒼天航路』を読み続けるツクダ(弟)さん以外は早く眠っていた。かくゆう清岡も25時には疲れて就寝していた。おそらく27時ぐらい消灯。

 次の日、15日、6時半に目が覚める。やがて皆さん、起きて部屋の電灯がつけられ、上記関連記事にあるように、昨日、見付けた横山光輝氏が吉川三国志についてふれた箇所をムック『三國志グラフィティ』(光栄1996年5月15日)から写し取る。
 朝食はバイキング形式ではなく、揚げたり等、残り物のアレンジ料理で、さらに夏らしくソーメンが付いていた。美味。そういえば、一条さんが昨日の兵馬俑に色つけするよう言われていたが、結局、どうしたんだろう。無地の方がそれっぽいって話もあったが。
 食べ終わり、まったりしていると、光市営バス塩田線の須賀社で乗ろうとしていた便の8:59が近付いていたので、挨拶も早々に小走りに歩き出す。

 バスに間に合い、乗り込む。結構、この時間帯は人が多く乗客は3人居た。そして列車の発車時間までまだ50分はあったので、少し歩いたところにあるコンビニに初めて入り、そこで飲料水を購入し、駅で待つ。
 岩田駅9:53発。やはりこの時期の車内は行楽に出かける人が多い。10:38岩国駅着。慌てて次の列車に乗り込み、何とか座れたな、とメモを見ると、まだ先の出発で乗る列車を間違えたことに気付き慌てて外に出る。同じホームで次の列車を待ち乗り込み、10:48発。行きとは逆で糸崎駅行きの列車で一つ前の三原駅に降りる。12:57着。同ホームで対面乗換し、12:58発。14:29に岡山駅着。次の列車まで30分弱も待ち、しかも同じホームの同じ側に列車が来るものだから出て待っておけば良いと思っていたら、よく表示を見ると、そこより大阪寄りに次の列車が来ると判明。少し歩く。前後方向でシェアするなんて珍しいし、車両数が少ないからできることなんだと思っていた。
 待ち時間、なぜか関西の新快速について、岡山駅の構内アナウンスがあり、それによると、昨日14日の大雨の影響で、京都大阪間の新快速が運転見合わせになっており、播州赤穂駅発の新快速は大阪駅止まりとのことだった。そんな遠くのことまで放送するだなんてと感心する一方、播州赤穂駅から一気に京都駅まで行く新快速の爽快感が無くなるのが残念だった。まぁ、自然災害なので仕方ないし、そんな些細なことよりもっと深刻な影響を被っている方もいるので、不満はまったくないが。
 行きと違って播州赤穂線を利用する。14:56発。行楽シーズンは帰りもこの区間は難所のようで、人が大勢立っていた。やがて人が少なくなってきたものの、日生駅でたくさん人が乗り込む。何かイベントがあったんだろうか。この播州赤穂線で二日前に貰った各所のお土産を頂く。「面白い恋人」とかあった。16:05播州赤穂駅着。人が大勢乗り換えで少々あせったが、車両数が一気に増えるので、歩くのさえ厭わなければ、充分座れる座席数だった。座っていると近くの母娘が大雨の影響を知らないようで、大阪駅の一つ手前の尼崎駅で京都まで行く新快速に乗り換えようと話していた。新快速には乗り換えられないものの、尼崎駅で快速に乗り替えるのは良いアイディアだと思い、そうしようと思っていた。大雨の影響で、ダイヤに乱れがあり、少々遅れて出発。途中、相生駅でやはり行列が出来ていた。途中、眠ってしまったようで、起きたら尼崎駅でしかももう発車する状況で、実行できず、案の定、大阪駅での快速への乗換は違うホームで長く歩き、ホームに着いたときには長い行列ができていて、来た快速の車内でぎゅうぎゅうに詰められた。茨木駅あたりで何とか座れ、ようやく京都駅に到着する。下記参照リンクにあるように、2012年9月1日の行きのワープに備え、券売機で件のチケットを購入する。まだまだ夏の旅は終わりそうにない。

※参照リンク
・ブラジル×スペインなるか (※個人サイトの雑記)
http://cte.main.jp/sunshi/2012/0701.html#30b

※次記事 第25回下鴨納涼古本まつり(京都古書研究会2012年8月11日-16日)

 
<9月17日追記>
 余暇を利用して、無塩バターを買いに行き、すでに卵1個と薄力粉200gはあったので、黒糖しょうがぱうだーの袋に書いてあるクッキーを作ることにする。

1.  2. 

 まず上の1.の写真にあるように、黒糖しょうがぱうだー70gをボールに入れ、溶かした無塩バター100gを入れ、かき混ぜ、さらに1個分の溶き卵を4,5回に分けて入れ混ぜる。その後、上の2.の写真のように薄力粉200gをがんがん混ぜる。すごく粘りっけが出てきてかき混ぜ器の内側に入ってなかなかとれず大変だった。

3.  4. 

 その後、上の3.の写真のように20個に分けてトレイに並べる。そしてオーブンで180℃、20分焼く。その後、4.の写真のように土器みたいな色になりクッキーぽくなっていた。なぜか数個、動いていたが。味は生姜が効いていて大人な味。ジンジャー・クッキーっていうのだろうか。多分、子どもは苦手なんだろうね。黒糖しょうがぱうだーはあと130gあるので、クッキー2回分は焼ける。

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