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リンク:模範解答でいいのか(ニュースな史点2012/4/30の記事)


ネット ※関連記事
 リンク:噂をすれば影(ニュースな史点2010/1/11の記事)
 ダメ人間の世界史(2010年3月16日)
 「硬派なPCエンジンFXの広場」で三国

上記関連記事にあるように、たまに触れる個人サイト「徹夜城の多趣味の城」があって、その中のコンテンツ「史劇的な物見櫓」内の「ニュースな史点」の「2012/4/30の記事」で「模範解答でいいのか」という記事が三国ネタだ。

・徹夜城の多趣味の城
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/TETUYA.HTML
※ここのサイトの「史劇的な物見櫓」→「ニュースな史点」→「2012/4/30の記事」と辿る

それは『三字経』にも記載のあるエピソードで孔融字文舉に関するものだ。

※関連記事 漢字文化アーカイブ(大修館書店)

『三字経』は上記関連記事にも触れたように、下記の大修館書店のサイト「漢字文化資料館」にあり、加藤敏先生による訓読・通釈・注を付けて、わかりやすいよう、サイトURLに続けて下記に引用する。

・大修館書店:漢字文化資料館
http://www.taishukan.co.jp/kanji/

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
融四歳  融(ゆう)は四歳(しさい)にして
能譲梨  能(よ)く梨(なし)を譲(ゆづ)る
弟於長  長(ちょう)に弟(てい)あるは
宜先知  宜(よろ)しく先(ま)づ知(し)るべし
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『三字経』とあってこれだと判りづらいので、お馴染みの『太平御覧』巻九百六十九 果部六に「梨」の項目があるので、それを当たると、

『文士傳』曰:孔融年四歳、與諸兄食梨、輒取其小者。人問其故、答曰:「我小兒、法當取小者。」由此宗族奇之。

とあり、つまり、『文士伝』に言う:孔融は年四歳で、諸兄に食梨を与え、たちまちその小者(つまり小さい梨)を取る。人がその理由を問うと答えて言う。「吾は小児で、法(つね)に、当に小者を取るべきです」 このため、宗族はこれを抜きんでるとした、とのことだ。
関係ないが、この『太平御覧』巻九百六十九 果部六 梨の項目の最後に

魏武帝『為兗州牧上書』曰:山陽郡有美梨、謹上甘梨二箱。

とあり、つまり、魏武帝『兗州牧に為っての上書』に言う:山陽郡に美梨が有り、謹んで甘梨二箱を奉ります、とのことで、興平二年(紀元195年)冬十月、曹操が兗州牧になったときの上書がある。

話を戻し、「ニュースな史点」ではこのエピソードを巡って中国にて論争が起きていることが紹介されている。あまり書くと読む楽しみが無くなるだろうから、このへんで。

「徹夜城の多趣味の城」の「史劇的な物見櫓」にある掲示板「史劇的伝言板」では、この「ニュースな史点」の記事が公開された日前後に三国ネタが上がっている。
ちなみに未確認ながら諸葛亮の麻薬の話(というかネタ)は三国志新聞編纂委員会/編『三国志新聞』(日本文芸社1996年3月)のネタで、また今は無きサイト「三国志の広場」に扱われ、さらに似たようなアイディアが小説の塚本靑史/著『仲達』(角川書店2009年1月29日)で使われているとのことだ。

※関連記事 仲達(角川文庫2012年1月25日)

また2012年5月10日23:39の書き込みでは前述の「ニュースな史点」の記事のおまけみたいなのがあって、『三国演義』「第二十一回:曹操煮酒論英雄、關公賺城斬車胄」にある「煮酒論英雄」エピソードにある竜巻について書かれてある。そこでもあるようにこれの元は『三国志』巻三十二蜀書先主伝もある話だ。個人的にはこのエピソードで失ったものに、箸以外にも匕(さじ、『三国演義』では「匙」)が忘れがちだということと、豫州牧の劉備に対する、つまり州牧に対する敬称(二人称)は「使君」なのだということ、謙称(一人称)は「操」、つまり自らの名を言うというのがポイントだったりする。

※関連記事
 第8回三顧会午後1
 メモ:「後漢時代における刺史の「行政官化」再考」

それと三国時代に鐙のあるなし話が出てくるが、それは現在、当時の騎馬俑で確認するしかなく、そこらへんを参照にすると滇族が前漢に片側のみの鐙(つまり馬の上に登る時のみ使い、上に乗る最中、馬が動く際には使わないと思われる)を使っており、漢人については永寧二年(紀元302年)五月十日作の騎馬俑に片側のみの鐙が見られる。また馬上から馬上の相手を後から刈るように戟で攻撃する漢代の画像石のスケッチが林 巳奈夫/編『漢代の文物』(京都大學人文科學研究所1976年12月15日発行)に載っている。

※関連記事
 前漢に鐙はあった?!
 メモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」
 1976年 林 巳奈夫/編「漢代の文物」
 『うまなみ三国志』掲載(2008年7月31日)

…と、そういうことをその掲示板に書き込め、清岡って感じだが(汗)

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