史記、漢書、後漢書、三国志など正史類の電子文献を読めるサイトで台湾の方の本家は「中央研究院 漢籍電子文獻」とページの上部に書いてあってミラーサイトの大東文化大学の方は「中央研究院 漢籍全文資料庫」とページの上部に書いてあるということに昨日気付いた。
さてそんな「中央研究院 漢籍電子文獻」では「二十五史/新校本三國志」や「小説戲曲[既/旦]其他/三國演義」が見ることができて知識系の三国志ファンには重宝されている。さらに大東文化大学の方では漢晉史三種が見ることができる。
・中央研究院
http://www.sinica.edu.tw/
ここのサイトの「中文」→「公共服務」→「研究資源」→「漢籍電子文獻」とたどる。
・大東文化大学
http://www.daito.ac.jp/
ここのサイトの「学部・学科」→「中国学科」→「漢籍全文資料庫」とたどる。
三国志やその他の史書、三国演義が読めてなおかつ検索できるものだから、ある三国志関連の事柄についてその出所(ルーツ)を探ることができる。
三国志(それと後漢書と晋書)と三国演義を見比べて、前者には存在せず後者には存在する事柄があると、すぐ三国演義、その撰者・羅貫中の創作にしたがる三国志ファンをネットでたまに見かける。どうも三国志と三国演義の二元論で語りたがるファンが結構、いるみたい。個人的にはそれまでの講談や雑劇に見られる三国志関連の物語を一つの大長編にまとめ上げたところに三国演義の偉大さを最近、私は感じている。さらに三国演義自体も版を重ねるごとに削られたり足されたり移り変わりがあるところも面白い。
三国演義以前の三国志をモチーフとした物語はなかなか現代に残っていないものの、なくはない。例えば、絵入りの「新刊全相平話三国志」(三国志平話)とか。
・三国志平話について
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1762
それから冒頭で紹介した「中央研究院 漢籍電子文獻」にもそういった「三国演義以前の三国志をモチーフとした物語」が掲載されている。
それが「小説戲曲[既/旦]其他」の「元刊雜劇三十種」のところ。つまり元の時代の雑劇30目。全部が全部、三国志関連ではないが、二つある。上冊の「關大王單刀會雜劇」と下冊の「諸葛亮博望燒屯雜劇」。
詳しくは読んでないが「關大王單刀會雜劇」は後の時代の三国演義の「第六十六回:關雲長單刀赴會、伏皇后為國捐生」に受け継がれるんだろう。さらっと読むと、三国志などの史書に見られない「青龍刀」や「偃月刀」の武器の名を見ることができる。また三国志などの史書に見られない「小可如我千里獨行五關斬將」という千里行のエピソードのことにも触れられている。
「諸葛亮博望燒屯雜劇」は三国演義の「第三十九回:荊州城公子三求計、博望坡軍師初用兵」に受け継がれるのだろう。こちらは「青龍偃月刀」や「赤兔馬」の文字を見かける。
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「一般に三国志といえば二種類ある。歴史書『三国志』と小説『三国志演義』があり、
我々日本人が古来親しんできたのは演義の方である~」
みたいな説明書きを受けて単純な二元論に走る、というルートは容易に想像できそうです。それだけなら何も問題はないのですが、
「演義は吉川と横山しか読んでいませんが…」
みたいな発言を見て困惑した事があります。
考えてみれば、「西遊記」も多くの場合、「大唐西域記」と「明刊本西遊記」の二つで語られますが、「大唐三蔵取経詩話」もあれば、「西遊記平話」もある。そして多くの要素が交じり合って現在の形になっている訳ですよね。第一物語の三蔵は「大唐西域記」の玄奘よりも、同じ唐代にインドから来た僧、善無畏三蔵のイメージが強い。孫行者は何故虎ガラの衣服なのか、とか、二つを見ただけではさっぱりですしね。
三国志演義も当然の事ながら、多くの伝承の流れを無視する訳にはいかないのですね。
>げそさん
その説明は本でもサイトでもどこでもよく見かけますね。
よく使われるにはほとんどの三国志ファンがその説明で納得しているからなんでしょうね。
(というか、過去に三国志関連の創作の類をすべて「三国志」と説明された反動でしょうか)
そうそう、
>「演義は吉川と横山しか読んでいませんが…」
は結構、見かけるような気がしますね(汗)
>ストラップさん
「西遊記」のことを私はまったく知らないですが、なるほどそれもいろいろあるのですね。
知らないんで的はずれなことを書きそうですが、私は玄奘ときくと諏訪緑/著「玄奘西域記」や魔夜峰央/著「パタリロ西遊記」(確かマライヒが玄奘役)を連想します(笑)
日本のドラマの放送されることで、これから注目されるんでしょうね。
三国志関連の創作の場合、突き詰めていくと創作か何だかわからなくところになる場合があって面白いです。諸葛亮のファッションとか。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1452
シャーロック・ホームズなんか、現在は鳥打帽のイメージが強いですが、実際のドイルの時代はそんな帽子被っている人いなくて、皆シルクハットだったみたいですしね。つまり作者のイメージでは、ホームズもシルクハットだった、と(笑)
シャーロック・ホームズの話は目からウロコですね!
シルクハットだったら見ている方もあまり納得しなさそうです(笑)
結構、他にも探せばメディア固有のイメージってありそうですね。
小説なんかだと、服装などの細かい描写は省略される場合が多いですが、マンガだと描かないといけないんで、そこらへんははっきり出ますね。
三国志漫画だときっちり時代考証しているのは見たことないです。
まぁ、マンガの本質はそんなところにないからなんでしょうが。
「正史準拠のマンガはもう古い。これからは畫像石・畫像磚準拠のマンガだ!」なんて与太セリフを思いつきました(笑)
そういえば「ベルサイユのばら」の軍服は革命後の軍服デザインだそうです。
娯楽作品で歴史の考証って、どの程度必要なのかってのは、匙加減を考えてしまいますね。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/256
↑ここの最後で書いた感じで歴史とは別のイメージが広まると歴史通りにやると逆に違和感を感じられてしまうようですね(汗)
歴史ものだとその作品を見て歴史ものが好きになったというのもあるんですけど、それより歴史ものが好きでその作品を見るってパターンが多いと思います。
その時点で見る人たちに目が肥えている人が多いんで、適当に書くと多くの受取手がリアリティを感じてくれなくなくなってしまいますからね(汗)
でも考証が過ぎてそれを前面に出すと、逆に特定のジャンルに詳しくない見る人たちを置いてけぼりにしてしまいますね(汗)