※関連記事
8月28日は張讓・段珪の忌日
上記関連記事の続き
・青木朋HP++青青
http://aoki.moo.jp/
・陳羣の年齢について (※上記ブログ記事)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=1489314
上記サイトの上記ブログ記事のコメント覧にあるように、陳羣やその父の陳紀に生没年が気になり、あれこれ文献に当たると下記の記述に行き当たる。
・『三国志』巻十一魏書袁渙伝注所引『袁氏世紀』
布之破也、陳羣父子時亦在布之軍、見太祖皆拜。渙獨高揖不為禮、太祖甚嚴憚之。
※「拜」と「揖」の参照記事
三国創作のための拝メモ
少なくともこの時点で「陳羣父子」は生きていると思い、「布之破也」、つまり呂布が敗れた年はいつだったか探す。手っ取り早いのはその頃になると記述が少なくなる『後漢書』本紀だと思い、見てみると次のような記述だった。
・『後漢書』紀九孝献帝紀
(建安三年、紀元198年)十二月癸酉、曹操撃呂布於徐州、斬之。
「建安三年十二月癸酉」は下記サイト「中央研究院兩千年中西曆轉換」によると、紀元198年12月24日(もちろん旧暦)だと言う。
・中央研究院兩千年中西曆轉換
http://sinocal.sinica.edu.tw/
この日付は「曹操撃呂布於徐州」に掛かっている可能性もあるが、それに相当する記述で『三国志』巻七魏書呂布伝に「太祖塹圍之三月」とあり、少なくとも三ヶ月間も臨戦状態にあったため、よりピンポイントな出来事となる「斬之」、つまり呂布が殺された日付に掛かっているのだろう。加えて、『三国志』巻七魏書呂布伝には次のような記述がある。
於是縊殺布。布與宮・順等皆梟首送許、然後葬之。
<清岡による訳>ここにおいて、呂布を絞殺した。呂布と陳宮、高順等は皆、さらし首になり許へ送り、その後でこれを葬った。
つまり、12月24日は呂布、陳宮、高順の忌日だ。
※追記
1月18日は姜維、鍾会の忌日
※追記
12月24日は陳羣の忌日
※追記
京都で哲舟さんを囲む会(2013年2月5日)
それにしても、何の出典も根拠も示さず、末尾に「と言われている」等と付け加えるだけの不用意に記された、三国関連の人物の忌日(というよりなぜか多くの場合、不似合いにも仏教用語の「命日」)がネットに散見するが、正確不正確は兎も角、それは人を騙しうる不誠実な行為だと思わないのかね。流言飛語が起こるメカニズムと同じだし。
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すーぱー呂布呂布ぱらだいす!(先行配信2019年12月27日 NEO PROPAGANDA2020年1月22日)
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