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7月16日 京都祇園祭宵山に菊水鉾


  • 2011年7月16日(土) 23:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,115
場所 ※関連記事 7月16日 祇園祭宵山に菊水鉾

 上記関連記事にあるように昨年と同じく京都の祇園祭宵山にて「祇園祭 宵山・巡行ガイド2011」とタイトルがうたれたチラシが配られていて、祇園祭(宵山)総合案内所で頂く。
 このチラシで山鉾の説明は毎年同じで、やはり「秦」と書くべき所が「泰」となっている誤字がそのままだったりと別の意味での安定感がある。誰か指摘しないのかな。
 それでそのチラシに、前述の関連記事でも書いたように、菊水鉾の説明があって、それは下記に引用するようになっていて魏の文帝が関係するらしいことが書かれている。そのため、まず菊水鉾に行く。それが右の写真。

━引用開始━━━━━━━━━━
17 菊水鉾
室町通四条通上ル菊水鉾町

町内にあった「菊水井
戸」にちなんで名付けら
れ、鉾頭には金色の菊花を
つける。稚児人形は、
魏の文帝の勅使が薬水を
求めて山に入った時に
出会った、菊の露を飲ん
で700年生き続けた少年
をあらわしている。唐破
風造りの屋根が特徴。
━引用終了━━━━━━━━━━

 前述の関連記事にも書いたように、菊水鉾の立て看板にはこの「魏の文帝」について触れられておらず、前述の関連記事を書いた時点から出典は何か気になっていた。それが今年の初めぐらいに別件で知ることになる。
 孫引きになってしまうが、宗懍/著、守屋美都雄/訳注、『荊楚歳時記』の訳注本(平凡社1978年、東洋文庫324)のP.207「九月 (四一)九日、宴会と登高・菊酒」のP.209訳注(6)「菊花の酒」のところに日本の書籍、天文年間(1532-1555年)刊の『塵添壒囊鈔』巻一にこの話がP.211から下記に引用するように載っている。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
九月九日、菊の花は彼の鬼の眉とて、酒に入れて之を飲めば、万病を去って命長し、菊の花の薬なる由緒を云わば、昔、魏の文帝、七歳にして即位し給う。或る時、相者の云わく、御寿十五に過ぐべからずと。王、叡聞あって歎き給う時、彭祖と云う仙人、帝の徳を感じ奉り、酈県の菊を折って之を献ぜり。帝、是を服御して命を延べ給うこと七十なり。彼の菊の薬なる因縁は、周の穆王、八疋の駒に乗って八極に至らずと云う所なし。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※酈県は後漢で言うところの荊州南陽郡。

 ここで三国魏の文帝(曹丕)は年三十四で即位したのであって、七歳で即位してないし年四十で崩御しているため別人ではないのか、とツッコミが入りそうだが、『荊楚歳時記』訳注本を見ると、どうやら三国魏の文帝を指しているようだ。訳注では中国にないこのエピソードを

・『藝文類聚』卷四 歳時中 九月九日条「魏文帝與鍾繇書」(一部)
思食秋菊之落英.輔體延年.莫斯之貴.謹奉一束.以助彭祖之術.

から来ていると想像されている。『荊楚歳時記』訳注本P.212から下記に引用した形でまとめられている。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
要するに右の伝承は、慈童─彭祖・周穆王・魏文帝・南陽の菊水・神仙説等の諸要素を更に仏教思想にもとづいて組み立てた、かなり手の込んだ作品である。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 それでチラシの「700年生き続けた少年」は誰かというと、『塵添壒囊鈔』から考えると、彭祖ということになり、年数的に合わないような気がするが、まずは彭祖について見ると(手元の電子文献で「彭祖」と検索すると)、

・『捜神記』巻一
彭祖者、殷時大夫也。姓錢、名鏗。帝顓頊之孫、陸終氏之中子。歴夏而至商末、號七百歳。常食桂芝。歴陽有彭祖仙室。前世云:禱請風雨、莫不輒應。常有兩虎在祠左右。今日祠之訖地、則有両虎跡。

と夏から商末に生き700歳と書かれており、さらに

・『史記』巻四十楚世家注引『正義括地志』
彭城、古彭祖國也。外傳云殷末滅彭祖國也。虞翻云名翦。神仙傳云彭祖諱鏗、帝顓頊之玄孫、至殷末年已七百六十七歳而不衰老、遂往流沙之西、非壽終也。

と殷末で767歳で衰え老いずことが書かれている。その時が700年と言う意味ではないもののその「700年生き続けた少年」は彭祖のことなんだろう。

 それで今年の粽(ちまき)は菊水鉾のものにしようとしたら、すでに売り切れていたので、そのまま北上し、後漢由来の鯉山の粽にする。右の写真のように「登龍門」と書かれ鯉が滝を登る様が描かれる絵馬が付けられている。

・『後漢書』列伝五十七党錮列伝
是時朝庭日亂、綱紀穨阤、膺獨持風裁、以聲名自高。士有被其容接者、名為登龍門。

※関連記事
 7月16日 祇園祭宵山に鯉山
 三国志 Three Kingdoms<登龍門>(フジテレビ2011年4月5日-)

※リンク追記
・祇園祭 鯉山町衆
http://www.koiyama.com/

※追記 大津祭 孔明祈水山(2012年10月6日7日)

※追記 京都祇園祭宵山で三国(2013年7月16日)

※追記 レポート:関プチ5 全国ツアー:7/15京都 祇園祭宵々山で三国関連山鉾拝観(2014年7月15日)

※追記 レポ:7/26北九州 兀突骨で酒池肉林?! ラウンド3(2014年7月26日)

※追記 5月17日は三国魏の文帝崩御の日

※追記 京都祇園祭で三国(2016年7月)

※新規関連記事 京都祇園祭で三国(2017年7月)

※新規関連記事 菊慈童 酈縣山(横浜2017年10月28日)

※新規関連記事 早稲田大学の入試で曹丕関連2017

※新規関連記事 京都祇園祭で三国(2019年7月)

※新規関連記事 ミニチュア山鉾(京都大丸2020年7月)

※新規関連記事 京都祇園祭三年ぶり開催、前祭の1番くじは孟宗山!(2022年7月17日)

※新規関連記事 第35回下鴨納涼古本まつり(京都古書研究会2022年8月11日-16日)

※新規関連記事 リンク:曹魏爵制に關する二三の考察(東洋史研究20巻4号 1962年3月31日)

※新規関連記事 京都祇園祭 前祭 後祭(2023年7月17日 24日)

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