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「四大奇書」の研究(2010年11月10日)


  • 2010年11月23日(火) 11:29 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,168
研究 ・株式会社汲古書院 古典・学術図書出版
http://www.kyuko.asia/

上記サイトのRSS配信で下記の書籍を知る。

・「四大奇書」の研究 - 株式会社汲古書院 古典・学術図書出版
http://www.kyuko.asia/book/b80965.html

つまり汲古書院から2010年11月10日に小松謙/著『「四大奇書」の研究』(汲古書院、ISBN9784762928857)が8400円で発売したという。
「四大奇書」は上記ページにある内容説明(本書を引用したもの)には下記に引用したように書かれてある。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 「四大奇書」とは、『三國志演義』『水滸傳』『西遊記』『金瓶梅』の總稱である。この名稱自體は、?代前期の書坊が販賣促進用につけたキャッチフレーズにすぎまいが、この四篇をもって明代白話小説の代表作、更にいえば中國長篇小説の最高峯と見なすことには、ほとんど異論はないであろう。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※引用部分の「?」となっている表示できてない部分は前後関係から恐らく元々は「淸」と書かれてあって「清」のことだろう。

このように一部、『三国演義』について書かれてある書籍であり、上記ページから目次を下記に引用するような内容となっている。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 序
第一部 明代に何が起こったのか
第一期 洪武~天順(1368~1464) 第二期 成化~正徳(1465~1521)  第三期 嘉靖(1522~66)
第二部 『三國志演義』
第一章 「三國」について――なぜこの時代が藝能の題材となるのか――
  第二章 三國志物語の變容
  第三章 『三國志演義』の成立と展開――嘉靖本と葉逢春本を手がかりに――
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ここにある嘉靖本や葉逢春本は、『三国演義』の版本名であり、同じ『三国演義』でも内容の僅かな違いや変遷がある。葉逢春本については下記関連記事参照。

※関連記事
 1548年 三国演義の葉逢春本
 12月3日は三国演義での周瑜の命日

※追記 <萌訳☆>三国志(2011年2月22日)

※追記 まんがで読破 三国志(2011年5月2日)

<2012年3月18日以降追記>
普段、利用している図書館でこの書籍があったので、借りて読む。以下、その時のメモ。
「第一部 明代に何が起こったのか」 P.5『全相平話五種』『元刊雑劇三十種』が「どのような目的で刊行されたのか。」「無論読むためであろう」「しかし、何のために読むのか」
P.6「『全相平話』は、それほど教育水準が高くない識字者及びその周辺の人々を主たる読者と想定して出版された啓蒙的歴史読み物、一種の通俗的教養書であったものと思われる。」
※上記の注 (2)小松謙『現實の浮上』──「せりふ」と「描寫」の中國文學史』(汲古書院2007)第六章「白話文學の確立」「小説の誕生──全相平話」
「一方『元刊雑劇』は、一部の例外を除いてト書きやセリフが非常に少ないか、もしくは皆無であり、戯曲として読むことがほとんど想定されていないように思われることから考えて、曲辞を鑑賞するために刊行されたものと推定される。ということは『元刊雑劇』の読者は、読み物としてではなく、詩詞や散曲を読むのと同じ態度でこれらのテキストを受容することを期待されていたことになる。」
※上記の注 (3)赤松紀彦・井上泰山・金文京・小松謙・佐藤晴彦・高橋繁樹・高橋文治・竹内誠・土屋育子・松浦恆雄『元刊雑劇の研究──三奪槊・氣英布・西蜀夢・單刀會』(汲古書院2007)「解説」(小松執筆)。
 ※清岡コメント。『元刊雑劇三十種』のタイトルからセリフばかりと勘違いしていたが、事実はその逆なんだね。P.7で書かれているが後に逆に「セリフと詳細なト書きを含む」ものも出てくるそうな。
P.7「『全相平話』の読者たちは、当初の教養的学習という目的を離れて、娯楽書として楽しむことを始めたのではなかろうか。」

※追記 中国三大奇書の成立と受容(2006年10月2日-27日)

「第一期 洪武~天順(一三六八~一四六四)」P.9 『周憲王楽府』と『嬌紅記』の二種類の重要な出版がある。「前者が正確な用字により、読みやすい端正な文字で刊行されており、挿絵を含まないのに対し、後者は俗字・当て字を含むかなり粗雑な版面を持ち、しかも毎葉の半分は挿絵である。」
P.10「つまり、前者は王という身分にある作者が、資金を惜しまず知識人向けに刊行したテキストであり、読者は恐らく曲辞を鑑賞することを主たる目的として受容したものと思われる。」
「第二期 成化~正徳(一四六五~一五二一)」 葉盛『水東日記』巻二十一「小説戯文」の記述から当時の様子を論じている。
P.12「今書坊相傳射利之徒、偽為小説雜書。南人喜談如漢小王光武、蔡伯喈邕、楊六使文廣。北人喜談如繼母大賢等事甚多。農工商販抄寫繪畫、家畜而人有之。癡騃女婦、尤酷好、好事者因目為女通鑑、有以也」
P.14「ともに書物を眺める複数の女性の中に一人の識字者がいたとすれば、他の人々はその口を通して(前近代の読書行為は、洋の東西を問わず、通常朗読という形を取るものであった)内容を耳にし、挿絵を通して内容を楽しみ、次回からは絵を見るだけで楽しむことができるようになるであろう。」
P.16「『花関索伝』における桃園結義の場面の挿絵は、明らかに建陽地区の建安で元代に刊行された『全相三国志平話』の同じ場面の挿絵を流用したものである。これは『花関索伝』が建陽で刊行された可能性が高いことを示唆しよう。」 ※清岡風に言うと視覚的三国要素の伝達といったところだろうか。
P.19(『三国演義』に対し)「ところが、『花関索伝』においては、女性は中心的役割を担っているのである。」
P.22「宮廷における絵入り本の制作には、漢代に絵入りの『列女伝』が作られて以来の伝統があり、その可能性は十分にあるものと思われる。」
※以下、清岡注。単純に知らなかったが興味があったので「絵入りの『列女伝』」の根拠はなんだろうとあれこれ当たると、『漢書』巻三十芸文志の「劉向所序六十七篇」に班固自注として「新序・説苑・世説・列女傳頌圖也。」とあり、これが根拠になっているそうな。下記の宮本勝「列女傳の刋本及び頌圖について」(北海道大學文學部紀要32巻1号、北海道大學文學部1983年11月5日)の24ページに「(七)圖について」という項目がありそれが参考になる。それによると「漢志に見える列女傳頌圖のうち、圖は八篇の中に含まれてなく、七略別録によると屏風四堵に畫かれていたという」となっている。その図自体の歴史変遷は、下記の黒田彰「列女伝図の研究(二) : 和林各爾後漢壁画墓の列女伝図」(文学部論集 94, 1-19、佛教大学2010年3月1日)等に詳しい(機会があれば改めて記事にしたい)。

・列女傳の刋本及び頌圖について : HUSCAP
http://hdl.handle.net/2115/33476

・CiNii 論文 - 列女伝図の研究(二) : 和林各爾後漢壁画墓の列女伝図
http://hdl.handle.net/2115/33476

P.25武人の高儒による『百川書志』の「野史」に『三国志通俗演義』『忠義水滸伝』の二書があり、「外史」に戯曲名が列挙される筆頭に「西廂記」の名が挙げられる。
P.26高儒が教養がないのではなく「これはむしろ高儒が、今日漫画を重要視して所蔵目録を作る人物も存在するのと同じように、他の知識人とは異なる基準で書籍を署録していることを意味するのではなかろうか。」 『楊家府演義』や『水滸伝』には武人による「文官に対する烈しい反発を含んだ意見が述べられる」
P.29 「士大夫を含む豊かな階層の女性と、武人を含む武官」を中国社会に成立した新たな読者層と想定し、「そこで刊行された書籍の内容は、教養が高くない人々でも理解しやすいように挿絵を多く伴い、興味深い話柄を多く含むものであった。その原拠となりうる文字資料の主なるものは芸能テキストであり、芸能は耳で聞くものであることの必然の結果として、口語語彙を用いた白話で綴られる部分を多く含むことになる。その結果、主として男性向きに刊行されたであろう歴史読み物の場合には、通鑑俗本の文言の中に、芸能由来の白話が混入するという不統一な形になる。そして、そこで求められるのは、読んで面白く、かつ特に女性向けと思われるものにおいては韻文などを含む読み物であって、ジャンルの区分には関心が持たれない。従って、小説・戯曲・説唱などがジャンルの区別なく刊行されることになる。」 ※清岡コメント。大衆化の原点が凝縮されている気がする。
「第三期 嘉靖(一五二二~六六)」 P.38「こうした改変は、読者に高級知識人が進出してくれば必然的に発生するものであった。高級知識人は、自分たちの常識から見ておかしい要素をどうしても改めたくなるのが普通である。」※清岡コメント。いわゆる「ツッコミを入れたくなる状況」。何かいろいろと例えられそうだ。
P.41「この点について第二部で詳しく論ずるが、結論のみ先に示しておくと、序の日付が遅い葉逢春本(建陽刊)の方が、実際にははるかに古風かつ生硬な本文を持ち、用字法も古いパターンによっていることから、嘉靖本より早い段階のテキストを承けて作られているのではないかと思われる。」
P.41「しかも、万暦期に建陽で刊行された余象斗本も、また本文をやや簡略化した湯賓尹本や簡本である劉龍田本・朱鼎臣本などの諸本も、それぞれパターンの差こそあれ、基本的には葉逢春本と同系列の本文を持つ(ただし後者には一部に嘉靖本に近い本文も認められる。ある程度嘉靖本が属する系統のテキストの影響を受けているのであろう)。そして、葉逢春本を除くこれら建陽系の諸本においては、『成化説唱詞話』に見えた花関索の物語が導入されている。一方、嘉靖本は文章語としてはるかに洗練された本文を持ち、明らかに通鑑系統の史書を参考にした形跡が認められる。」嘉靖本は官刻本、北京刊本と推察され、同系統の他は南京・蘇州などの江南で刊行。以上をまとめると、葉逢春本系統は史実から離れた大衆方向(建陽は大衆向け、南京・蘇州はそれより上層の知識人)、嘉靖本系統は文章洗練させ史実に接近させる官僚方向。建陽本は上図下文形式、他二つは挿絵がないか半葉の挿絵を各回のはじめに付けることが多い。
「第二部 『三国志演義』」「第一章 「三国」について ─なぜこの時代が芸能の題材となるのか─」
P.60「この三国の特権的地位は、『三国志演義』が成立したであろう明代に始まるものではなく、すでに北宋期においてそうであった。『東京夢華録』巻五「京瓦伎芸」には、歴史物講談であろう「講史」を含むさまざまな芸能とその芸人を列挙したすえに、わざわざ「講史」とは別に、「霍四究説三分」、つまり三国語りの芸能が、「尹常売五代史」と並んであげられている。」 その次の例は蘇軾『志林』

蘇軾『志林』巻一「懷古 塗巷小兒聽説三國語」
王彭嘗云:「塗巷中小兒薄劣、其家所厭苦、輒與錢、令聚坐聽説古話。至説三國事、聞劉玄德敗、顰蹙有出涕者;聞曹操敗、即喜唱快。以是知君子小人之澤、百世不斬。」彭、[小豈]之子、為武吏、頗知文章、余嘗為作哀辞、字大年。

ここで「與錢」に着目しプロの芸人であること、「説古話」に着目し「説語」が宋代にあって講釈を意味していたことが指摘される。
P.63「しかし、題名を『三国志演義』と称するとはいえ、実際にその制作にあたって参照されたのは、おそらく『三国志』ではなく、北宋の司馬光の手になる通史『資治通鑑』もしくはその要約本であったに違いない。」
※上記注(2)上田望「講史小説と歴史書(1) ─『三国志演義』、『隋唐両朝史伝』を中心に─」(『東洋文化研究所紀要』第130冊1996年3月)
P.68 ベタに牀をベッドと誤って訳しているので、その後の論に悪影響が出ている様な気がする。その前後も何かドリーム入っているね。

※関連記事 「牀」 三国志の筑摩訳本を読む

P.70 三国は「弱い立場にある強い者たちが、強い立場にある者たちの抑圧に立ち向かい、敗北に次ぐ敗北をくり返しながら、屈することなく戦い続ける物語であった。弱い立場にある者たちは、彼らに共感し、夢を託したのであろう。」
「第二章 三国志物語の変容」
P.76 「つまり『三国志演義』以外の三種は、「説唱」に起源を持ち、その形式に基づいて文字化したもの(『金瓶梅』の場合は、その形式を模倣したもの)ということになる。」 それが理由となり、P.73で示される日本で『三国志演義』が「四大奇書」の中でも飛び抜けて早く翻訳された理由なんだろう。
P.79 「こうした小説は、多くうたい文句として「按鑑」を称している。これは『資治通鑑』に依拠しているという意味である(ただし実際には、当時広く流布していた朱熹による改編要約本『通鑑綱目』、もしくはそれを更に要約した通俗史書に依拠することが多かったようである)。これを単なる看板倒れに終わらせないためにも、また実際上の必要からいっても、歴史書を導入することは不可欠の作業であった。」
※上記注(4) 小松謙『中国歴史小説研究』(汲古書院2001)第一章「『列国志伝』の成立と展開 ─『全相平話』と歴史書の結合体─」

※追記 第30回 春の古書大即売会(京都古書研究会2012年5月1日-5日)

P.79 「歴史書は、たとえどのように通俗的な史書であろうと、必ず文言で記されている。とすれば、その文章を流用する以上、小説の方の文体も文言的にならざるをえない。」
P.81の清の歴史学者の章学誠「丙辰札記」での『三国演義』への批判の一つに『水滸伝』の影響を受けたことに対し、P.82「つまり、章学誠の見解とは逆に、元来『水滸伝』に近い性格を持っていた三国物語が、歴史書の影響を受け変質した結果が『三国志演義』なのではないかと思われるのである。」
P.83からは『三国志演義』に比べての『全相三国志平話』の論述。
P.86 「「三国志」物語を題材とした雑劇は二十一種が現存するが、その半分以上は無名氏の作であり、それらは大部分が明の宮廷において、行事にあわせて制作されたものでと思われる。」
P.87 「張飛の素性を語るのは、「桃園三結義」(内府本)という雑劇である。その第一折で張飛はいう。/争奈時運未遇、做些小営運、売肉為活、操刀屠戸。」 『全相三国志平話』に張飛の出自が載ってないが、雑劇の方からの流れで「屠戸、即ち屠殺人兼肉屋」だと。『三国演義』(何本?)では「世居涿郡、頗有荘田、売酒屠猪」とあるという。
P.88で『京戯大鑑』第一冊(上海大文書局1938)所収「三結義」の張飛のセリフに「是俺在此、開了一座肉舗」とあるという。それから関羽との井戸の大石のエピソードに繋がる。さらにこれは雑劇「桃園三結義」と一緒だという。

※関連記事 中国歴史ドラマ『三国志』の冒頭

P.89 毛本の改編の動機は他の版本との差別化を図る商業的理由で、「その改変の方向性としては、二つが想定される。一つは内容の軽量化、もう一つは知識人向けの改作である。」
P.92 毛本では呉観明本(李卓吾本の一つ)にある「斉桓晋文」「趙高王莽」「孫呉」「韜略」といった単語が削られていることについて「こうした、一見難しげな名称を説明なしに列挙して聞き手を煙に巻くというやり方は、おそらく講釈師の常套手段だったはずであり、明刊諸刊本もその伝統を引きついで、それほど教養の高くない読者への受けをねらったのであろう」※清岡コメント、何か少年漫画でありがちな。
P.93 明代歴史小説が講釈の種本を引き継ぐ可能性がある前提で、地の文は講釈師自身が敷衍するのに対し「文言による書簡・弁舌を創作することは、講釈師の手に余るため、種本にも全文を記す必要があったのではないか。」
P.93 明代歴史小説が教養書の側面を有しているとし「その場合、書簡などは模範文例としての意味を持つことになる。」
P.94 上記二つは知識人にとって「笑止なものと感じられたこと」もあって毛本で削除・短縮されたという流れ
P.96 『三国演義』の変貌が『水滸伝』のと性格が異なるという流れで「知識人の表芸の一つである歴史を題材とする以上、その内容・性格は知識人よりの方向に向かわざるをえなかったのである。」
P.96「七実三虚」の出典は章学誠「丙辰札記」

「第三章 『三国志演義』の成立と展開 ─嘉靖本と葉逢春本を手掛かりに─」
P.99以降 中川諭『『三国志演義』版本の研究』(汲古書店1998)を前提に
P.100 上記の書籍の「二十四巻系諸本」(嘉靖本、呉観明本)と「二十巻繁本系諸本」(葉逢春本、花関索系、関索系)
P.101 巻頭に「士君之好事者、争相謄録」や「請寿諸梓、公之四方」とか書かれてあるのは「しかしこのような言い回しは、商業出版物の序に見られる定型表現といってよい。」
P.102 上記に引き続き「もとよりこれらは売れ行き向上のために書房が付した広告の一種と考えるべきものであり、どこまで実態を反映しているかは疑問であるといわざるをえない。」
P.103 「「通俗」とは教養のない人間にもわかるということ、「演義」とは内容をわかりやすく敷衍しているということを意味する。つまり、ともに「誰でもわかる『三国志』」という題名であることになる。」 ※清岡コメント。こう訳されると、「誰でもわかる『三国志』」を元に「真実」として喧伝するのが如何に愚かしいことかどんな消費者にとっても判りやすいことだろう。

※関連記事 三国志 劉備と諸葛亮孔明の真実(『歴史人』2011年3月号、2月12日発売)

P.104 「とすれば、序の日付である嘉靖元年も、底本となった書房刊本の刊行時期を示すものに過ぎず、現存する嘉靖本は遅れて刊行されたものであることになる。」 ※清岡コメント。紀年は刊行年のあてにできないと。
P.104 葉逢春本の「特に目録に付された「新刊按鑑漢譜三国志伝絵象足本大全」は、宣伝文句の満艦飾といってよいであろう。その意味するところは、「新刊」つまり新たに刊行された、「按鑑」つまり『資治通鑑』に依拠する、「絵像」つまり挿絵入りの、「足本」つまり欠落のないテキストであるということであり、最後の「大全」に至っては余分な文句としかいいようがない。」 ※清岡コメント。ここまで来ると微笑ましい。前々から疑問に思っていたことだったし。
P.105 「ただし、「按鑑」、つまり自身を『通鑑』と見なすのではなく、『通鑑』に基づいていると称していることにすでに示されているように、決して正統的史書であると自己主張しているわけではなく、正統的史書の記述を踏まえて判りやすく書き直した歴史書、つまりは大量の挿絵を持つ非知識人向けの教養的歴史書という形で売ることを意図した形式を取っているのである。」 ※清岡コメント。今の非小説の書籍でこういったターゲティングしているものは多いね。
P.105 「とすれば、早い時期に建陽で刊行された葉逢春本は、建陽で伝承されていた『三国志演義』の原型に近い姿を留めている可能性が高いことになる。」
P.109 「以上の諸点から考えると、葉逢春本がより古い形態を持ち、その不完全な文章を書記言語としてより自然なものへと書き直した結果成立したのが嘉靖本であるように思われる。」 ※清岡コメント。単純に嘉靖本の方が古いと思い込んでいたので個人的に重要な文。
P.115 「つまり、嘉靖本が全面的に改変を加えたものであるのに対し、葉逢春本は祖本の文面をかなり忠実に伝えてはいるものの、あちこちで脱落を起こしたり、省略を施したりしているというのが実態に近いのではなかろうか。」
P.131 『三国演義』が版本を重ねる段階について「具体的には、『平話』由来の部分をより文言的な整った文体に改め、史書由来の部分は逆により白話的かつ平易な文体に改めるとともに、物語性を付与する作業が行われたのであろう。」
PP.134-135 『全相平話三国志』
 →(1)想定上の「原演義」 P.135「あくまで劉・関・張を中心に、」
 →(2)葉逢春本 P.135「「原演義」で語られていなかった部分が補充されるとともに「原演義」に存在した部分についても増補・充実が行われたものと思われる」
  →建陽の余象斗本、簡本の黄正甫本(P.135「ただし嘉靖本系統からの影響も受けているかもしれない」)
 →(3)嘉靖本 P.135「補充部分の不完全な文章を手直しするとともに、主要部に部分的変更が加えられて、」
 →(4)毛本 P.135「その結果、知識人の好みにも合うテキストが要求されることになる。」

※追記 戯史三國志 我が土は何を育む(2012年3月19日)

※追記 ノート:連環画は中国特有の『マンガ』なのか?その絵本としての可能性を探って(2012年2月15日)

※追記 中国古典小説研究 第16号(2011年12月21日)

※追記 「三国志」を楽しむ(2012年4月17日5月15日6月19日)

※追記 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

※追記 佐藤一郎先生と行く中国の旅(2012年9月1日土曜日-8日土曜日)

※追記 第36回 秋の古本まつり(京都古書研究会2012年10月31日-11月4日)

※追記 関西学院大学の入試で三国志関連2013

※追記 上智大学の入試で三国志関連2013

※追記 同志社大学の入試で三国演義・三国志関連2013

※追記 三国志演義の世界を読み解く(2013年10月20日-2014年2月2日)

※追記 中国古典文学と挿画文化(2014年2月)

※追記 「続・やまと屋ブログ堂」で三国伝

※追記 第33回 春の古書大即売会(京都古書研究会2015年5月1日-5日)

※追記 三国志 英傑たちのその後と謎(2015年8月8日)

※追記 『三国志演義』を読む(2016年4月1日-)

※追記 三國志演義成立史の研究(2016年3月7日)

※新規関連記事 舞台の上の英雄たち~元雑劇に見る関羽像(立命館孔子学院2017年4月22日)

※新規関連記事 三国劇翻訳集(2002年3月)

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