※前記事
メモ:大半の三国創作と二次創作の相似点
前記事で少し触れたように、小田切 博/著『キャラクターとは何か』(ちくま新書)を購読し、あれこれ興味深い箇所があったんだけど、それらを全て書くと纏まらないし、サイトの主旨と無関係になってしまうため、まず簡単に一つだけメモを残す。
その前に関連する著者のサイトと出版社のサイトおよび書籍のページへリンクを張る。
・小田切博の「キャラクターのランドスケープ」
http://wiredvision.jp/blog/odagiri/
<リンク追記>本のタイトル (※上記ブログ記事)
http://wiredvision.jp/blog/odagiri/201001/201001261430.html
※個人的にはタイトルと内容は合っていると思う。
・筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/
・筑摩書房 キャラクターとは何か / 小田切 博 著
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480065315/
出版社サイトの上記ページから下記へ「この本の内容」および「目次」を引用する。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この本の内容
現代のメディアを乱舞する多数のキャラクターたちは、固有の構造とビジネスモデルを持っている。本書では、二十世紀初頭のキャラクター/キャラクタービジネスの発生から現在までの歴史的経緯、内外の状況比較を通して、個々の作品や作家を重視する「コンテンツ」的文脈からは見えてこなかったキャラクターの本質と可能性を提示する新しいタイプのキャラクター論である。
目次
第1章 キャラクタービジネスの近代史
第2章 キャラクタービジネスという問題
第3章 キャラクターの起源と構造
第4章 日本型キャラクタービジネス
付録1 戦後キャラクタークロニクル
付録2 関連資料ウェブサイト紹介
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この新書の126ページの「第3章 キャラクターの起源と構造」「4 キャラクター消費の原点」という区分の冒頭で「現在存在するようなキャラクター消費が確立したのは十九世紀末から二十世紀はじめの欧米においてではないか」と問題提起され、アメリカの『イエローキッド』を事例にキャラクター消費が確立される過程が解説されている。
登録商標を取れなかったこともあって、「イエローキッド」というキャラクターがあたかも作品から離れた形で、そのグッズやそれが出る広告が大量に作られたそうだけど、こういったキャラクター消費の事例を聞くと、江戸時代中期以降の、日本における三国演義受容に相似性を見出してしまう。日本における三国演義受容については下記、関連記事参照のこと。もちろん、その時代の欧米に比べれば、作品から離れた形の「キャラクター消費」はより少なくなるんだろうけど。浮世絵などがそういった事例にあたるんだろうか。
※関連記事
メモ:KURA(金沢大学学術情報リポジトリ)
リンク:「日本人に於ける三国志とは―見るのか,読むのか,江戸から現代まで―」
それと120ページの図3-2で図示されているのを初め、第3章で大きく論じられていることに、「キャラクターの三要素」がある。それは「意味」「内面」「図像」の三つだ。当然、『三国演義』の本文や挿図に現れる登場人物にもこの三要素を当てはめることができそうで、さらに改訂や翻案などの作外での時間軸を設定し、その変遷を見るのも面白そうだ。すでに下記の関連記事のように、そういった研究はある。
※関連記事
三国志学会第一回大会ノート4
『三国演義』関連の登場人物(キャラクター)は、下記関連記事で触れた記事(2005年)によると、一般的にあまり馴染まれていないため(共感されていないため)、キャラクター活用という点で分が悪いと指摘されている。そこから現在までで『三国演義』関連で私が真っ先に思い付く商品化されたキャラクターが「孔ピー」、「周ピー」であり、単体ではまだまだこういった外部からのキャラクター要素との抱き合わせに頼らないといけないんだな、と再認識した。
※関連記事
「ビジネスにおけるキャラクター活用」にて
※追記
最強武将伝・三国演義(2010年4月4日)
※新規関連記事
飯田市川本喜八郎人形美術館 開館10周年限定グッズ(2017年3月25日)
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