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清岡的見解:ねこまんまさんについて http://tinyurl.com/nekonomanma3
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リンク:「漢代における郡県の構造について」


  • 2010年1月 6日(水) 21:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,849
研究 ※前記事 リンク:「胡広伝覚書」

 下記の掲示板のツリーは五年以上も前の書き込みなんだけど、たまに思い出しては、手元の電子文献の『續漢書』百官志や『漢官儀』を対象に検索をしていた。こちらの読解力もあって納得できる答えに辿り着けないでいた。

・三国・魏の「町奉行さま」 (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」内ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1359

 それで前記事に書いたように、近頃、「佛教大学論文目録リポジトリ」を見かけ、興味のある論文を読んでいたんだけど、その中で前述の疑問に答えるような論文を見かけた。

・佛教大学論文目録リポジトリ
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/index.htm

 それが下記の論文。サイト「CiNii」内のページへのリンクも掲げておく。前記事の段階では「国立情報学研究所 CiNii 本文リンク」が切れていたんだけど、どうやら復旧したようなので安心してリンクできる。

西川 利文「漢代における郡県の構造について──尹湾漠墓簡牘を手がかりとして──」(『文学部論集』第81号 (199703) pp.1-17 佛教大学)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006472990

CiNii

※新規関連記事 リンク:秦・漢における郷の治安維持機能(史滴2009年12月30日)

 参考までにページ数付きで目次から示す。便宜上、ページの上から一段目をa、二段目をbとする。

1a はじめに
2b 一 東海郡の県・侯国・邑
6a 二 県の構造
6a  (一) 官員定数
7b  (二) 属吏の構成
9a  (三) 郷・里と亭及びその属吏の系統
12a 三 郡府の構造
14b おわりに
15a 注

 論文のタイトル通り尹湾漠墓簡牘を基に論が展開されていて、「はじめに」ではその簡牘について概要が書かれている。埋葬時期は成帝の元延三年(紀元前10年)だそうな。
 「一」では県ごとの官員を「表一 「定簿」所載官員数一覧」にまとめられている。その元になった尹湾漠墓簡牘の釈文、『尹灣漢墓簡牘釋文』は、今では下記のサイト「文物圖象研究室資料庫」で検索できる。便利な世の中になったものだ。

・文物圖象研究室資料庫
http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/ww.htm

※関連記事
 文物圖象研究資料庫 全文檢索
 『漢代の地方官吏と地域社会』(汲古叢書75 2008年)

 それと『漢書』巻二十八地理志上と本文で比較された上で、各県の令(長、相)、丞、尉の人数や官秩に考察が加えられている。「二」の「(一)」ではタイトル通り、官員定数についてであり、亭長と侯国の侯家丞の官吏を除けば戸口数だけでなく面積的広がりも勘案したものとなるため、官秩の高い県よりも官員数が多くなる場合もあるという。
 「二」の「(三)」で、冒頭に示した疑問に関するところが出てくる。つまり民政を担当する郷─里とは別系統に警察・軍事の亭─郵の系統があるという。また「十里一亭」の里は従来から行政区分ではなく距離と言われ、「十亭一郷」も簡牘での数字上、全く別次元であると確認されている。この論文では『後漢書』伝一劉玄伝李賢注の「離郷聚謂諸郷聚離散、去城郭遠者。大曰郷、小曰聚。」から、郷─聚─里という系統としており、前漢後漢と時代、中央地方と場所に少しズレはありそうだけど、同じく『後漢書』伝一劉玄伝李賢注を引き合いに出している、塩沢裕仁「洛陽八関とその内包空間-漢魏洛陽盆地の空間的理解に触れて-」(『法政考古学』第30集記念論文集(20031105)pp.89-106)と比べて読むと理解が進むだろう。同様に軍事的側面のある亭、都亭について比較すると興味深い。

※関連記事 メモ:「洛陽八関とその内包空間」

 『續漢書』志二十八百官五注引『漢官儀』の「亭長課徼巡。尉・游徼・亭長皆習設備五兵。」とあるように尉─游徼─亭長が想定でき、游徼は郷─里に属したのではなく亭─郵に属するという。また、『續漢書』志二十八百官五の「本注曰:亭長、主求捕盜賊、承望都尉。」とあるように(県)尉─游徼─亭長の亭─郵の系統は都尉へと繋がり、郷─里は県令(県長、県相)に属し郡太守に直結するという。
 「四」は「門下」については佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)の「第二部 都市の財政と官僚機構」とリンクするところがある。

※次記事 リンク:「漢代の扁書・壁書」

※追記 ノート1:三国志学会 第五回大会

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