・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感1からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152
○報告 中川諭(大東文化大学助教授)「『三国志演義』ができるまで」
司会の中林史朗先生から中川諭先生の紹介がされ報告が始まる。「三国志」と「三国演義」の違い。史書と小説の違いってあたりで一般向け。陳寿の「三国志」編纂話。六朝時代の裴松之の注、成立話。実際にレジュメに現在の「三国志」のコピーが出されていて本文と注の様子を示す。上記二つでとられなかった三国志の物語化(伝説とか歴史事実じゃないこと)は捜神記を初めとする志怪小説、それと世説新語などをあげた後に、金先生の鼓吹曲の話を一言フォロー。唐の時代はまとまった三国志の物語はなく断片的。晩唐の詩人、李商隠の「驕児詩」に張飛のひげ面のことが書かれているから、三国志の物語はある程度、広まっていたって話。宋代になるとまとまった資料が出てくる。講談や演芸が出てくるそうな(東坡志林とか、三国芝居とか、講談師の霍四究とかを例に)。
元代には劇にして演じようとする「戯曲」、講談を文字にしようとする「平話」(評話)が出てくる。「全相平話三国志」(三国志平話)の話。講談の種本的存在らしい。それで三国志平話の写真を持ってきて聴衆に見せていた。
※余談だけど、清岡はネットでも見れるよ、とノートPCで二階堂善弘先生のサイトを隣の人に見せたら、引かれてしまった(汗)
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/
それで三国志平話に見られる南北の起源の考察。現在に伝わるのは確かに南方で出版されているが、起源は北方、て話。
さらに三国志平話の訳本の話。自訳本の宣伝(笑)。例の光栄から出ている二階堂善弘先生と中川諭先生の本。パソコン通信で訳をやっていたら、光栄の人の目に止まったそうな。すごい話だ。
※追記
横山光輝三国志おもしろゼミナール(1984年7月)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1762
三国志平話から三国演義へ。どういう関係なのか決定的な資料はないとのこと。三国演義の嘉靖本の話(嘉靖元年、西暦1522年に初めて刊行された本)。スペインに三国志演義の本がのこってるそうな(すげー!)。その後、関索の話が付け足されたとのこと(金先生リスペクト発言有り・笑)。清代、康熙年間(1662~1722年)になると毛宗崗が数ある三国演義を添削し、いわゆる毛宗崗本がでてきた話。清代の終わりには毛宗崗本が主流になったとのこと。
※追記
道教の美術 TAOISM ART(2009年9月15日-10月25日)
※追記
全相三国志平話(2011年3月19日)
○報告 和田幸司(三国志サイトウェッブマスター)「インターネットにおける三国志の世界」
司会の中林史朗先生から和田幸司先生の紹介がされ報告が始まる。その中で中林先生の発言でインターネット利用が普及したという発言に続き「おかげさまで、余談ですが、私も今やインターネットの世界で、一介の学者と言うよりは骨董品好きのただのおじさんとして知られていいます」という発言で会場をわかせていた。
※以下、タイトル通り、インターネットのサイトでの三国志関連の話(主にファンによる個人サイトやコミニティ)の話になって、まさしく我々の身近なことなので、冷静に見ていられなくなる(気恥ずかしい!)。そのせいか、普段、ネットに馴染みのない人々との温度差が気になって過敏反応をしていたし、あまり発表が頭に入らないでいた。
以前の発表と異なり、プロジェクターを使うようだ。その変化に聴衆がついていってないようで、目に面白いのが映し出されているにも関わらず反響が薄い。
まず自己紹介から。自分のサイトの紹介。それからサイトでのおそらく最も古い三国志個人サイトの紹介。
http://www.baobab.or.jp/~matumoto/sangokushi/
三国志系サイトのサイト数の話。一週間に10サイトぐらいできているとのこと(すごい!)。和田さんからの「三国志サイト、運営している人、手をあげてください」との質問。会場わく。清岡出遅れ、挙げられず仕舞い。
それから和田さんと三国志ジャンルとの出会い話。ゲームをやっていたときに知った三国志の人物は「張飛と関羽と賈[言羽]」と発言したら会場大受け。それから横山三国志を読み(友だち同士で回し読み)、それから後に「諸葛孔明」という小説を読んだとのこと。それからしばし三国志ジャンルから遠ざかったそうな。
ウェブ三国志界を文化の視点から、の話(ここらへんからは知識欲を刺激される)。歴史・文学の分野における三国志への興味の深化。「三国志ファンのためのサポート掲示板」の話とか
http://cte.main.jp/
おそらく「OVER LOAD」の掲示板の話(サイトや掲示板の名前出ず、董卓の貨幣の話)が例として出てくる。
http://overload-system.net/
それからネット上での三国志と三国志演義の話(いわゆるネットでの正史派・演義派云々)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=791
三国志ファンにとってのバイブル、ちくま学芸文庫「正史 三国志」(筑摩書房刊、ちくま学芸文庫、ISBN4-480-08041-4から全8巻)。会場、少しわく。ファンの興味の対象となる歴史書が「後漢書」「三国志」「晋書」「後漢書集解」「三国志集解」と広がっている。サイトでどんな掲載資料があるかって話。→人物辞典、年表、地図、漢籍の日本語訳、三国志データベース。学界発の電子工具書の利用。→電子漢籍文献、漢字辞典・年号変換ツール、三国志目録検索システム(※渡邉義浩先生のサイトにあるやつだ)
http://china.ic.daito.ac.jp/cgi-bin/handy/ftmsw3
http://books.bitway.ne.jp/gakken/kanjigen/club/
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1824
http://cte.main.jp/newsch/article.php/120
そういったネットでの活動の蓄積の話。三国志研究の専門家の領域と違い、三国志ファン同士によるウェブ三国志界では特に整理されずそして蓄積されないまま、「至る所で同じ様な議論が繰り返される」ということで、一見、無駄なことを繰り返しているようであるけど、「それが故に三国志ファンが逗留されて」おり、ウェブ三国志界が盛んだ、ということをおっしゃられていた。なるほど、すごく納得した!
○休息
いわゆる昼休み。オープンキャンパスとあって、一階の食堂も二階の食堂も混んでいた。そのせいか、午後の部に遅れることになる(汗)。ちなみに期待されていたんで書くと、「エポックメイキング」という単語の意味を知らない人がいたことをここに記しておこう(内輪ネタ)。
・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感3へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/166
※追記
メモ1:「アクセス集計に見られる現代日本における三国志由来事項の変容と浸透」
※追記
メモ:三国志サミットが始まるまで(2015年11月21日)
※新規関連記事
月刊 DaGama 1997年5月号
※新規関連記事
月刊 DaGama 1997年4月号(1997年2月28日)
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・宣和堂電網頁
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xuan-he/
ここの大宋宣和茶論(掲示板)の過去ログ(2001年9月17日、記事番号831)を見ていたら、二階堂先生の書き込みがあって、そこによると三国志平話の訳は
「パソコン通信で連載」→「光栄の雑誌に載る」→「本になる」
という流れだそうです。
発表で「パソコン通信でやっていたら光栄の人の目にとまって」っていう旨の下りがよくわからなかったんですが、なんとなくわかってきました。
パソコン通信っていうとコミュニティみたいなのじゃなくてコンテンツみたいなのを想像すればいいんでしょうかね。
あと、光栄の雑誌(歴代のどれだろ)に載ってたというのも私的には新情報です。