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メモ:「両漢時代の商業と市」


  • 2009年11月13日(金) 19:25 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    4,732
研究 ※前記事 メモ:「黄巾の亂と傳統の問題」

 『後漢書』傅燮傳にある上疏や『後漢書』宦者列傳にある張鈞の上書、それから『後漢紀』における類似のそれぞれの記載を見ると、「黄巾の乱」の原因が省中の宦官が父兄子弟を地方へ送り込み、利益を貪ったことにあると見えるんだけど、それは具体的なイメージが付かないでいた。

※関連記事 『後漢書』朱儁伝の冒頭

 そんな折り、「2009年度 東洋史研究会大会」で各100円で購入した『東洋史研究』14冊を読み返していると、ある論文中に前述した張鈞の上書を見かける。

※関連記事 メモ:「東洋史研究会大会」出店状況

 下記に『後漢書』宦者列傳から該当する漢文を引く(※ちなみに論文では「十」の後にカッコ付けで「中」と校正している)。

竊惟張角所以能興兵作亂、萬人所以樂附之者、其源皆由十常侍多放父兄・子弟・婚親・賓客典據州郡、辜榷財利、侵掠百姓、百姓之冤無所告訴、故謀議不軌、聚為盜賊。

 その論文では「辜榷(こかく)」がキーワードになっている。
 その論文とは、下記に示すもの。CiNii(国立情報学研究所提供サービス)内のページへのリンクも続けて記す。リンク先で読めるという訳ではないが。

紙屋 正和「両漢時代の商業と市」(『東洋史研究』Vol.52 No.4 (199403) pp.655-682 東洋史研究会 )
http://ci.nii.ac.jp/naid/40002660250

CiNii

※2020年11月15日リンク追記。やはりリポジトリに。
・Kyoto University Research Information Repository: 兩漢時代の商業と市
http://hdl.handle.net/2433/154467


 この論文が掲載されている『東洋史研究』Vol.52 No.4は下記の東洋史研究会のサイトによると、1200円で購入できるようだ。

・東洋史研究会
http://wwwsoc.nii.ac.jp/toyoshi/

 まずはページ数付きで目次から示す。

655 はしがき
656 一 前漢前半期の商業と市
660 二 富商大賈の後退と辜榷
667 三 前漢後半期以降の商業と市
678 むすび
679 註


 前稿において前漢後半期~後漢期の商業・貨幣経済が前漢前半期に比べ全面的に衰退していたわけでないことが明らかにされたが、前漢前半期に活発だった富商大賈が後漢で活力を減退させた事実があり、本稿ではそれに代わって前漢後半期に出現した辜榷を含め、両漢時代の商業の変遷を取り上げることが、「はしがき」で書かれている。

 「一」の冒頭で、武帝による財政再建と抑商政策となる、塩鉄の専売、緡銭令の制定、均輸・平準の開始、告緡の適用などにより商業が一次的に停滞したことが指摘される。そこから武帝以前の富商大賈の動きを中心に商業と市との関係に触れられる。『史記』卷一百二十九貨殖列傳から富商大賈が天下を周流していたと指摘し、まず中央や郡・國・縣の諸官府との取引に着目される。『史記』卷三十平準書から諸官自体が市で購入すること、『史記』卷三十平準書から官吏との交通で必要物資について富商大賈が利益を独占していたことが指摘される。一方、奢侈品について『漢書』卷六十五東方朔傳より、武帝初期に商人が公主の邸を訪問し販売していることを引き、諸侯王、列侯、高官などの邸へ訪問販売しているとした。素封家以下の農民について、『西京雜記』卷二「新豐を作りて舊社を移す」から、秦時代の沛県の豊邑に屠販の少年がいて酒や餅が売られ闘鶏や蹴鞠が行われたことや、逆に『史記』卷一百二十九貨殖列傳から自ら市に出入りして販売しなかった者のことを引く。小農民について、『鹽鐵論』水旱第三十六の賢良の言より、田間に鉄製農具をもってきて販売する鉄商人の存在を指摘する。

 「二」に入ると、『史記』卷一百二十九貨殖列傳に成帝、哀帝、王莽期の資産数千万から一億の富商大賈がリストアップされていることを指摘し、それに関連させ、前半後半期の富商大賈による政商的・投機的活動を史書から数例出し、前漢前半期より後退した印象が拭えないとしている。新末から後漢初期について農業の破壊等を背景に商業の一時衰退を指摘し、『後漢書』傳十八桓譚傳や『後漢書』傳三十九仲長統列傳所引の『昌言』理亂篇から富商大賈を確認する一方、富商大賈の具体的な人名が残されていないこと、飢饉や羌との戦争など政商的・投機的活動の機会に恵まれた時代背景なのにそれらをつぶさに記した記事がないことが指摘されている。『太平御覧』卷九百八十二香部二の「班固《與弟超書》曰:竇侍中令載雜彩七百匹、市月氏蘇合香。」、『太平御覧』卷八百十六布帛部三の「班固《與弟超書》曰:竇侍中、前寄人錢八十萬、市得雜罽十馀張。」、『後漢書』傳七十二下左慈列傳の「吾前遣人到蜀買錦、可過敕使者、增市二端。」から後漢時代の権力者が外国や遠方の奢侈品を富商大賈を通じず直接人を派遣して入手していると示す。

 辜榷は辜攉、辜較、辜搉とも表記され、本来は『廣雅』卷六釋訓より「すべて」の意味で、転じて『後漢書』孝靈帝紀注所引『漢書音義』の「辜、障也。搉、專也。謂障餘人賣買而自取其利。」にあるように他人の売買を妨げて利益を独占する意で使用したと示してある。その後、『漢書』『後漢書』から辜榷の具体的な記事を時代順に示し、中心的役割の当事者が貴戚、近臣、中常侍、黄門令、皇后の政権の中枢部またはその周辺、少府の属官、豪吏の国家権力の側の人間、猾民、豪右、大姓の民間人(富商大賈やそれに準ずる者)であることを示し、政権の中枢部に位置した者等が辜榷の主体的存在で、富商大賈は副次的存在でしかなかったと指摘した。また、これらの例に外戚が含まれなかったことに考察を加えている。次に辜榷の方法について触れられ、少府の属官が地位を利用し官物を着服した例、中常侍の権力を背景にその周辺の者(州刺史、郡太守)が地位を利用し百姓から官儒物資を(安価で奪うように)買い占めた例、皇太后が故(もと)の中常侍・永楽太僕を遣い州郡を通じ買い占めた例を挙げ、政商的性格は認められるが投機的性格は弱かったと指摘する。政権の中枢部に位置した者は恒常的商業経営というより単発的に行われたとしている。

 「三」に入り、前漢後半期と後漢時代での市の全体的な充実に注目している。前節で辜榷の当事者が市を通さず直接取引していると推測され、それに対し高官・豪族以下の私的な購入は市を通して行われるとし、まず『鹽鐵論』散不足第二十九の賢良の言より奢侈の風が富者の他、中者、常民、貧者、芸人にも広がったと指摘しており、後漢に降り『後漢書』紀四孝和孝殤帝紀の永元十一年秋七月辛卯の詔や紀五孝安帝紀の元初五年秋七月丙子の詔より奢侈の風が吏民・小人にまで広がり、また市で売られていたことを示した。
 次に生活必需品について、『後漢書』傳六十七酷吏列傳の「本問貴戚若馬・竇等輩、豈能知此賣菜傭乎?」より豪族に雇われて野菜を売る者があったこと、『後漢書』傳七十二下公沙穆列傳注所引謝承『後漢書』から市で豚を売る者があったこと、『後漢書』傳二十六張楷列傳、傳七十三韓康列傳より薬を売る者があったことが示される。続いて『後漢書』傳十二朱祐列傳注所引『東觀漢記』より蜜、『後漢書』傳十五劉寬列傳より酒、『後漢書』傳五十七劉祐列傳注所引謝承『後漢書』より果実、筆・書、『太平御覧』卷八百六十三所載謝承『後漢書』より斤肉・粱米、『太平御覧』卷四百八十四所載『東觀漢記』より猪肝と市で売られている物が示された。さらに調理済みの食品が市で増えたことを、『鹽鐵論』散不足第二十九の賢良の言より示し、『後漢書』傳七十二下華佗列傳では路傍で売られている記事があると指摘されている。
 次に書籍の販売が広く行われていることに注目される。『太平御覧』卷五百三十四所載『三輔黄圖』より長安の太学の市(=定期市)で学生が書籍を売っていた例、『後漢書』傳三十九王充列傳より洛陽の市でも書籍が売られていた例、『後漢書』傳七十下劉梁列傳より東平国の寧陽県で書籍商が成り立っている例が挙げられ、その背景には儒学が普及し太学・私塾の学生の増加、市の充実があるとしている。
 次に小農民と市との関係に絞られ、前漢前半期では市に出入りしなかった小農民だが、『後漢書』傳四十六种拂列傳より後漢では市里が憩いの場になったことが引かれる。『太平御覧』卷二百六十七所載『東觀漢記』から(後漢時代)堂邑令鍾離意が民と共に市の屋根をつくったことを引き、その吏民に小農民が含まれるとし、それほど市が親しみ深いものとなっているとした。
 次に国家にとっての市の必要性の変遷として、『漢書』卷四十九晁錯傳に文帝期での城邑を建設し民を定着させる手だてが記されるが、市の設置は想定されてなく、次に『漢書』卷十二平帝紀の元始二年夏では新設の安民縣では市が設置されていたことを指摘した。
 次に都市から離れた土地にあった定期市において、「僮約」より席、脂澤(けしょうひん)、枲(からむし)等の日用品、犬、鵝、荼(けしなぐさ)、荷(はす)、栗、橘、羊、牛等の食料品、刀、矛が売買されていたことを示し、常設市と定期市とが小市場圏を形成していたことを確認している。『後漢書』傳三十九王符列傳所引『潜夫論』浮侈篇に「天下百郡千縣、市邑萬數、類皆如此」とあり、後漢後半期の市邑(=定期市)は万を数えると記されたことを示している。『初學記』卷二十四所引桓譚『新論』に右抹風漆縣邠亭部にある夜市はすでに存在するものとされ、『鹽鐵論』授時第三十五の賢良の言に前漢後半期以降、自然発生的にできた定期市をみることができるとする。『太平御覧』卷五百三十四所載『三輔黄圖』の大学の市は前漢末に設立され、『後漢書』傳三十四張禹列傳にある市も、『後漢書』傳二十六張楷列傳にある公超市も新しくできたもの(前漢後半期以降)と指摘する。

※次記事 メモ:「漢代明經考」

※追記 三国時代の曹魏における税制改革と貨幣経済の質的変化(2010年12月)

※追記 『東洋史研究』電子版公開開始(2011年3月10日-)

※新規関連記事 三国書院(成都武侯祠博物館制作2020年11月1日日本公開)

※新規関連記事 メモ:第7回“三国志”の作り方講座(東京都新宿区戸山2021年7月10日)

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