「三国志ファンのサポート掲示板」(以下、サポ板)は先月、二周年を迎えて、
http://cte.main.jp/newsch/article.php/123
一周年ごとにその旨をサポ板に書き込んでいるんだけど、
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1740
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=944
二回とも「もっと長くやっていた」と思われていたこと。
そこで私が思ったのは、結構、古い記事も時々、再び話題に上がったりしてそれだけ長くやっていると意識させるからなのかな、と思った。
そうやって話題に上がるのは何もサポ板内だけじゃなく、他のサイトの掲示板や日記でも取り上げられることもある。
その一例がサポ板での「陸遜の流罪について」のツリー。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=689
ツリーの親記事が2004年3月4日に書き込まれたのに対し、今のところの最終レスは同年3月8日であり、五日間、書き込みがなされたツリーである。記事数は今のところ、13記事。サポ板としては珍しく短い期間で多くの投稿がされているツリー。
サポ板では上記のように一応、2004年3月8日に一旦、ツリーが終わったんだけど、
(※もちろんサポ板の性質上、今でもこの記事にレスを入れても良い)
その話題は別のサイトの別の掲示板に移っていた。
それがサイト「呉書見聞」のBBS。サイト名どおり、コンテンツは三国の呉、中心だ。
http://f27.aaa.livedoor.jp/~sonpoko/
その様子は今も過去ログで見ることができる。「呉書見聞BBS」の「過去ログ」の「1ページ」の「次の10件」を三回、押したところ。
http://tinyurl.com/8n8xt
こちらは「陸遜は流刑になっていない」という2004年3月7日からのスレッドで3月10まで続いていて、さらに「ハテナ」という別のスレッドが3月9日に、「ご報告と質問です。」という別のスレッドが3月14日にたっている。
http://tinyurl.com/dp3gb
おそらく当時も今も「三国志ファンのサポート掲示板」より「呉書見聞」の方が閲覧者数が多く、そのためか、このことは「呉書見聞BBS」から三国志サイト界隈、主に呉ファンのサイトへ広がったみたいで、当時、いろんなサイトの日記や掲示板で取り上げられていた。
そのため、サポ板でも当時、「陸遜の流罪について」のツリーは一二を争う閲覧数だった。
サポ板は2005年4月にサイト移転しているので、今のところ、当時の閲覧ランキングはInternet Archiveでしか見られない。
http://tinyurl.com/838hx
その後、このツリーは他のサイトであまり取り上げられることもなく、サポ板の深いところで他のツリーと同じように人目につくようなことはなかった。
とはいっても、元々の「陸遜の流罪について」のツリーをたてた人、自サイトでそのツリーでのやりとりを少しふまえ、メインの考察を進めているし、
「呉書見聞BBS」の関連スレッドに参加していた、はやせさんは自サイトで「新釈・二宮の変」と銘打ち、「二宮の変」の考察をしている。
こうやって、サポ板のツリー発の情報はいろんなところへ影響を出していたんだけど、もう話題にのぼるようなことはなかったし、今後、大きく取り上げられることもないだろうと私は思っていた。
ところが面白いことにまた別の方から発掘され広がり始める。
ことの発端は老舗、三国志blog「三国志漂流」。
そのblogの2005年5月15日の記事「呉の四姓」に対する6月1日のコメント。ここでサポ板のツリー「陸遜の流罪について」のURLがあげられていた。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040
そこから「三国志漂流」では多種多様な文献をあたったり、三国志愛好会メーリングリストで多くの人の意見をきいたり(2005年6月4日「No.712 陸遜の流罪について」)して、
http://san-gokushi.com/
それらの成果をまとめ、2005年6月6日に「三国志漂流」に記事『「陸遜流罪」は誤訳!?』が発表された。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3040/1449682
元のサポ板のツリーよりずいぶんと情報が発展したものだ。妙に感慨深いものがある。元のツリーがたったときは日記や掲示板が主媒体だったのに、今回、この情報の伝達の主媒体がweblog(blog)になったというのも、たった一年強とはいえ時間の流れを感じさせられてしまう。
その後の情報の広がりは、上記記事のトラックバックでかいま見ることができる。
http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/25513427.html
http://blog.livedoor.jp/silverpsychommunity/archives/24244477.html
この箇所が誤訳かどうかはともかく、話題の中心の「三国志」を訳した、ちくま学芸文庫「正史三国志」(以下、「ちくま訳本三国志」と呼ぶ)の誤りは結構、あるので、それほど珍しいことではない。
・参照「ちくま三国志をけなす会」
http://www.project-imagine.org/chikuma/
ただ、誤りの一つの指摘でこれほど、三国志サイト界隈で情報が大きく広がるということは、どれだけ多くの三国志ファンが三国志の情報を得るのにどれだけ「ちくま訳本三国志」に依存しているか、を考えさせられてしまう。
また直接、「ちくま訳本三国志」を参考にしていない三国志ファンにも影響力をもっている。
その一例をあげると、「兪河」(字、伯海)を「ちくま訳本三国志」ではあやまって「愈河」としている。そのためか、商業ベースのある三国志小説本では「愈河」と表記し、当然、その小説のファンも「愈河」だと思っている。
こんなに影響力があるので、「ちくま訳本三国志」を「正史」と称する三国志ファンや、何かと「演義では」とか「正史では」とか言う『正史』連呼系三国志ファンが少なからずいるのも妙に納得できてしまう。
※追記
三国迷ぐっこのHP復活(2009年9月7日)
※追記
呉書見聞 消滅?(2014年11月13日)
※追記
レポ:8/6北九州 兀突骨で酒池肉林?!(2016年8月6日)
サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。
今回の件では、「三国志ファンのサポート掲示板」の偉大さを改めて痛感しました。
できるだけもろかぶりな情報の発信は避けよう…と思ってBLOGの記事を書いてはいるつもりですが、内容があまりに衝撃的だったので、同内容でリンクや引用をさせていただきました。
それにしても在野の方々の層の厚さは「三国志」研究の強みでもありますね。
この感想も今回改めて感じたことです。精進精進…。
私も自分のブログを通じて、この事件について触れさせてもらいましたが、その反響の大きさに驚きました。
やはり誤訳の事実よりも、三国志という歴史書に対する感心の深さに驚かされた感じですね。
同じ題材を扱うもの同士、これからも情報交換をしていきましょう。
ここでお願いするのもどうかと感じますが…私のブログにこちらのリンクを貼ってもよろしいでしょうか?
一旦、沈んだ話題がまたこうやって広まるっていうのは嬉しいものですよ♪
それにそちらのblogではいろんな文献が上げられていて、改めてこの話題の面白さを味わいました。
感謝、感謝です♪
また、何か面白いのがあれば、話題を引き上げてくださいな
>天草さん
ファンの関心の深さはすごいですね。だから、さらに三国志ジャンルは奧が深いんですよね。訳の話にもおよぶんですから。
あ、リンクもトラックバックももちろんOKですよ♪
個々の記事へのリンクも特に制限はありませんので、よろしくです~♪
死後の追贈であるにも拘らず、棗祗を「もと陳留の太守」と記述したり。棗祗はただでさえ記述の少ない人なのですから、こういう訳は困るんですよね(汗)
なので、三国志のことを少しでもわかりやすく知ろうとして三国志の訳本を読んでいるファンには敷居が高いですね。
しかし、私はその郭嘉のところの訳を知らなかったんですが、罪作りな訳本ですね(汗)