本サイトの雑記から分離整理したできたブログ。
タイトル通りライト層による単なるメモなので面白みはないかと思われます。
書き手がミラニスタなので内容はACミラン中心です。
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メモ:『監督ザッケローニの本質 18人の証言で探る知将の戦略』


監督ザッケローニの本質 片野道郎、アントニオ・フィンコ | ノンフィクション、学芸 | 光文社

片野道郎、アントニオ・フィンコ
監督ザッケローニの本質 18人の証言で探る知将の戦略
光文社2011年9月20日発行
9月16日発売
図書館から借りて2013年5月末に読む

 アリーゴ・サッキ以前は、ツーバックの間にリベロを置くマン・ツー・マン・ディフェンス。

 表題にある18人へのインタビューはフィンコさんが主で、それをまとめる文は片野さんという役割分担。ザックを時代順に追うことで、カルチョの歴史だけでなく、戦術の移り変わりや、ミランの歴史の一端も見れる。例えば、プロ選手経験のないザックがなかなかより上位のコーチのライセンスを取る講習を受ける機会を得られないとか。
 気になったところを引用していく。

P.53
システムは当時世界の最先端を走っていた「サッキのミラン」と同じ、フラットな3ラインによる4-4-2。ただしザッケローニは、ミランのようにオフサイドトラップを多用することはせず、ボールの位置と状況によってラインを細かく上げ下げするという、より現在のゾーンディフェンスに誓いやり方を採っていた。

ロベルト・ロッシ(元ヴェネツィア/MF)のインタビュー中

P.68
当時ゾーンで戦うチームが基本戦術にしていたのは、プレッシングとオフサイドトラップだった。チーム全体を押し上げてボールにプレッシャーをかけ、最終ラインはフラットに保って、裏のスペースにボールが出そうになった時には1歩押し上げてFWをオフサイドにする。

-69
 ミステルの考え方は、オフサイドはあくまでもプレッシングの結果だというものだ。守備の局面になったらまずボールをサイドに追い込んでいき、そこから奪いにいく。その時、最終ラインはフラットにするのではなく、1人がボールにプレッシャーをかけ、残る3人はやや下がったカバーリングのポジションにラインを形成するというやり方だ。ところがサッキやジョルジーニのやり方だと、1人がボールにプレッシャーをかけ、他の3人はすべてのパスコースを塞ぎにいくため、次に起こるのは、ボール奪取に成功するか、オフサイドを取るか。しかし、そのどちらにも失敗した場合は裏に抜け出されてGKと1対1になるしかない。とはいえ、当時はまだこの戦術が広く知られておらず対応策も編み出されていなかったため、そういう事態は1試合に1度か2度起これば多い方だった。選手にとっては、とにかくアグレッシブにプレスをかけ、裏にパスが出たら1歩前に出て片手を上げればいいのだから、話はシンプルだ。

93-94シーズンの途中解任の予定外の休暇。
P70
 最初に足を向けたのは、攻撃的な4-3-3システムを擁してセリエAに旋風を巻き起こしていたチェコ人監督ズデネク・ゼーマンが率いる南イタリアの弱小クラブ・フォッジャだった。

カルチョとは、異なる、しかし長く豊かな伝統を誇るチェコのサッカー文化をベースに独自の戦術を発展させ、SBの攻撃参加を前提とする積極的なサイド攻撃から敵陣不覚に4〜5人を送り込む分厚い組織的な攻撃メカニズムを編み出して、大きな注目を集めていた。

P77
 そこで次に訪れたのが、当時のヨーロッパで唯一、3-4-3システムを採用して偉大な結果を残していたヨハン・クライフのバルセロナだった。経済的にそれほど余裕がなかったザッケローニは節約のため、イタリアからスペインまで1300kmもの道のりを、自ら車を運転していった。このシーズンのバルセロナはリーガ・エスパニョーラ4連覇の最後の年、チャンピオンズリーグ(以下CL)でも決勝まで勝ち進んだ“ドリームチーム”だったが、ボールポゼッションを強く重視して中盤を菱形にする一方、守備に問題を抱えるクライフ流の3-4-3も、バランスを求めるザッケローニのサッカー観にはフィットしなかった。

のちのページのザックへのインタビューによると、見たマッチ3つとも負けていたとのこと。

97-98シーズンで
3-4-3基本にし定着に

マルディーニとコスタクルタについて
P.124
 2人は当初からこのプロジェクトを全面的に受け入れ、黙々と新たなチーム戦術の習得に励んだ。そんな姿勢をザッケローニは「偉大なプロフェッショナルだった」と振り返っている。

ステファノ・アグレスティ(元ウディネーゼ/コーチ)のインタビュー内にて
P.110
実際、練習の中ではかなり前から、11対0で動きを確認して、考える時間が多く取れるハンドボールのゲームで連携を磨いて、練習の最後のミニゲームで試したり、木曜日の練習試合で後半だけそのシステムで戦って、という風にずっと試してきて、我々の間ではこれならもういつでも使えるな、と話していたくらいだ。

P.138
 通常、契約の最終年度になれば、その年限りで切るという決定を下していない限り、クラブは監督に契約更新を申し出るものだ。しかしミランがザッケローニに示したそれは、「今季セリエAで4位以内を確保するかCLで優勝した場合のみ」という条件付きのオファーだった。結果ではなく自分の仕事の内容に対する評価と信頼をクラブに求めるザッケローニは、これを事実上の不信任と受け取って保留。マスコミの間ではすでにシーズン半ばに「来季の監督は誰だ」という噂話が広まっていた。

 シーズン3年目のミランのザック。何か今のアッレグリと重ねてしまう

P.191
そのザンパリーニがまたぞろ持病の監督解任癖を発揮して、後任を探していたというわけだ。

 今シーズン(2012/13)のパレルモの監督をどんどん解任していくのは昔からだったんだね。

 最後の6章は2011年2月23日のチェゼナティコでのザッケローニへのインタビュー。これがソースとなり各章での片野さんへの文が補足されている感じ。

※追記・史上初の決勝でのローマ・デルビー(2013年5月27日の雑記)

※追記・ミラン×バルサの切り口(※2013年11月6日の雑記)

C O M M E N T


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