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▼ペテン師さん:
>宦官の官名で黄門令というのがあります。
>省中の諸宦官を掌るとあります
>
>省中とは?
>諸宦官を掌るとはあるけど実際の実務は何をしていたのでしょう?
>また、黄門令が出入りできたエリアは何処までだったのでしょうか?
こんにちわ。
当たり前だろうと言い返されそうですが(汗)、一応、書いておきますね。
・『漢書』昭帝紀の注(本文の「省中」に注がかかっている)
伏儼曰:「蔡[巛/邑]云本為禁中、門閤有禁、非侍御之臣不得妄入。行道豹尾中亦為禁中。孝元皇后父名禁、避之、故曰省中。」
<清岡による訳>
伏儼は言う。「蔡[巛/邑]は、本来、禁中とし、門閤に禁があり、侍御の臣でなければみだりに入れないと言う。道路の豹尾の中もまた禁中とする。孝元皇后の父の名が禁でありこれを避け、そのため省中と言う」
というわけで省中は禁中のことということです。
それから『続漢書』百官志の注では以下のようになってますね。
・『続漢書』百官志の注(黄門令のところ)
董巴曰:「禁門曰黄闥、以中人主之、故號曰黄門令。」
董巴は言う、「禁門は黄闥(宮門のこと)と言い、中人(宦官)をもってこれを司り、故に黄門令と号に言う」
「黄門令」で『後漢書』検索すると「拜王甫為黄門令、持節至北寺獄收尹勳・山冰。」とか「(何)進乃使黄門令收(蹇)碩、誅之、因領其屯兵。」とか、誰かを捕まえることもやってますね。
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