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▼陸伯議さん:
>遅くなってすみません(ちょっとテストで時間が無いので・・・早く終われ〜)
えー、お楽しみはあとにとっといて、テストにがんばんてくだされー
>清岡さん、むじんさんありがとうございました。
>また質問なんですけど、台湾にはどんな民族が住んでいたのかわかりますか?
>倭国って・・・いったい何?日本国・・・九州王朝・・・大和政権・・・倭奴国・・・
>あ〜わからん・・・
>むじんさん倭国についてちょっと教えてください。もちろん他の方も。
こういうときは、三国志だけじゃなくて、後漢書もあたるべきでした。
えーと、後漢書をさらりとみると、ありました、ありました、台湾(夷洲)について。
後漢書の東夷列傳です。
會稽海外有東[魚是]人、分為二十餘國。又有夷洲及[シ亶]洲。(以下、徐福の話)
と、いやこれだけだと、よくわかんないですけど、ここの項目の注に、沈瑩臨海水土志という書物からの引用があります。土地の事やら、人の事やら、書かれているんですが、後で別に記事をおこしますね。
と、後漢書を見ていたら、このすぐ上に倭の記述がありました♪
倭は韓の東南の大海にあるそうです。
韓は当時の朝鮮半島の国のことだから、倭の場所は日本列島のこと? 九州? 本州? そんなところでしょう。
漢の武帝の時代、この倭は百国あまりあって、そのうち三十国が王を称していたようです。
その中で、大倭王が邪馬臺国にいたそうです。
で、時代がくだって、建武中元二年(西暦57年)に倭奴国から使者がきたそうです。光武帝は印綬を授けたそうです。場所は倭国の極南界(南の果て?)にあるそうです。
さらに安帝永初元年(西暦107年)に倭国王の帥升らが160人を献上し、請見(会見?)したいと願ったそうです。
そして、ようやく三国志の時代。
桓帝、霊帝の時代(西暦147〜190年)、倭国は大いに乱れ、主はいなかったんですけど、(複数の国が)共に卑彌呼を王としたそうです。
(三国志の記述に続く?)
こういった記述をみると、倭国とは地域名としてのニュアンスが強いんでしょうかね
どうも、辞書がないとさらにいい加減な訳になってしまうのはご勘弁を。
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