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はじめまして、白崎ゆきとと申します。
単なる三国志好きに過ぎませんがよろしくお願いします。
■ さんすけさん
> 魏晋において貴族制社会に移行していった時、
> 中原の豪族が貴族化したのでしょうか?
> あるいは、
> 魏晋の功臣となった名士が貴族化したのでしょうか?
「中原の豪族」がどれぐらいのレベルの豪族を指してるのかと、
「魏晋の功臣」が「魏晋の上級官吏」のことか「創業の功臣」のことかで、
多少はなしが変わってくるんですが、
基本的には両方から貴族が輩出されたってことになると思いますよ。
> また貴族は、政治権力の他に、
> 領主化したり、呉の豪族のような軍事力(私兵)を有したりしていたのでしょうか?
当時の豪族たちは競って荘園をつくったのですが、
そこの小作人たちに武器を持たせれば立派な私兵なんですよ。
というか、呉の豪族もそういうものですね。
領主化傾向は、後進地域である江南や辺境部ではつよかったのですが、
結局は頭打ちになっちゃいます。
これが中国中世史の大きな特徴ですね。
> 曹操は異民族を強制移住させたそうですが、
> 魏晋貴族は、異民族を傭兵としたのでしょうか?
異民族なんてその辺にゴロゴロいましたから、
ゴハンなどと引き替えに使役したことは結構あったと思いますよ。
ちなみに、国レベルでそれをやっていたのが曹操とかで、
便利使いしすぎて収拾がつかなくなったのが八王の乱です。
> あと漢民族と異民族の差別は、どんなだったのでしょうか?
うーん、現代は民族を強烈に意識する時代なんですが、
そのような信仰が生まれたのは一昔前のヨーロッパなんですよ。
三国時代に人種差別がまったくなかったわけではありませんが、
民族という概念が希薄ですからそれによる差別も当然徹底されません。
それ以前に、この時代だと漢民族という概念そのものが、
あるようなないようなって状態ですからねぇ。
■ 清岡美津夫さん
> 「貴族」が二、三しかありません。
> やっぱり、これは後世の人が学問上、名付けた呼び方なんでしょうかね。
後世の誰が最初に貴族と呼んだかは分かりませんが、
今日の学者が貴族と呼ぶことを決定づけた人なら知ってますよ。
明治の支那学者・内藤湖南博士です。
> 役人なら「吏」、兵士なら「卒」というように、貴族にも当時の呼び名みたいなのがあるんでしょうかね。
谷川道雄先生が述べられるには、「郡望」・「望族」だそうです。
とまぁ、馬鹿正直に答えちゃったわけですが、
こういうのってほとんど身になりませんからねぇ……。
できることなら、ご自身で本を手にとってほしいところです。
お薦めなのは、講談社学術文庫の川勝義雄『魏晋南北朝』です。
これは30年前に刊行された『中国の歴史』シリーズの第三巻を文庫化したもので、
今日でも名著との誉れが高い非常にすぐれた概説書です。
自分も先日の文庫化で念願かなって手に入れたクチですが、
想像以上に良い本だったのでいたく感動しております。
ご質問にあった貴族の有り様については、この本でおおよそ掴めますよ。
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