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こんにちわ
ヒントになりそうなのが、おっしゃるとおり『三国志』巻五十五呉書凌統伝以外に『三国志』巻五十一呉書孫韶伝に「承烈校尉」と出てきますので、郡都尉のように地名の可能性が低く、都尉や校尉の名前っぽいですね。
『三国志集解』の該当部分(集解部分)を見てみると、それぞれ
承烈都尉
一人呉置
<清岡の訳>
承烈都尉は一人、呉(国)に置く。
宋本承作丞承烈
校尉一人呉置
<清岡の訳>
『三国志』宋本は「承」を「丞」に作る。承烈校尉は一人、呉(国)に置く。
となり、定員一名だとか(多分)、三国のうち呉にしか見られないとか、それほど有用な情報は得られないです。『太平御覧』や『通典』で念のため「丞烈」でも調べてみても、探しきれないですね。後世の字(あざな)が引っかかるぐらいで。
あと中華書局の『三国志』では、地名や人名などの字の左に線が引かれるんですが、承烈都尉にも承烈校尉にも線は引かれていませんでした。
郡都尉と違って、それ自体には特に任地はなさそうですね。
▼酒井さん:
>こんにちは。
>ものすごく初歩的な質問で申し訳ないです。
>
>夏口の戦いの後、凌統が「承烈都尉」に任命されます。
>「都尉」の意味は分かるのですが、「承烈」の意味がよく分かりません。
>地名かと思ったのですが、方法が悪いのかネット検索では出てきませんでした。
>官職名の上に地名以外の言葉がつくこともあるようですので(横野とか威烈とか)、それなのでしょうか。
>「承烈」で三国志のワード検索をしても、凌統と孫韶の項で「承烈都尉」に触れた際に一言出てくるだけでした。
>
>そこで、「承烈」はそもそも地名なのか、そして地名だとしたら現在のどの辺りなのか、地名でないとするとこの職についた際にの赴任地はどこになるのか、ご存知の方がいらっしゃればお教えいただければと思います。
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