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たまーに出没する からんだっしゅ です。
最近、話題があまりないみたいなので、基本に立ち返った質問をします。
うまく題名にまとめられなかったのですが、ずっと疑問に思っていたので皆さんのご意見を伺いたく思います。
ずばり、「『三国演義』において、赤壁の戦いで諸葛亮が祈祷で風向きを変えたという描写は、実は地元民などから情報収集して出した予測を使っただけである」という現代的な解釈は、果たしてアリなのか?
です。
最近の作品には目を通してないのでどうなのか分かりませんが、大概のものは天気を予測して確信してたのを祈祷で風向きを変えたように見せた、という感じだと思います。
しかし、思うのです。よそ者の諸葛亮が分かることを地元の呉の人が知らないなんてありえるのか、と。彼らは日々船に乗るから気候の知識はあるだろうし、実際操船するわけじゃないから武将たちが知らないにしても、漕ぎ手や漁師の人たちは知ってるはずだからそういう情報は遥かに呉の人のほうが得やすいわけです(諸葛亮が情報収集しているということ自体、彼を殺したくてしょうがない周瑜に口実を与えそうな気もするし)。
それを上記のように解釈して辻褄が合うのかどうか?
合わないとしたら、どのように解釈すればすっきりしますか?
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