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【3314】三国時代の戦について muracchi 2009/1/2(金) 11:53 教えて
┣ 【3318】Re:三国時代の戦について 風月 2009/1/2(金) 22:44
┃┗ 【3324】Re:三国時代の戦について muracchi 2009/1/3(土) 15:02 感謝♪
┗ 【3331】Re:三国時代の戦について R・F 2009/1/4(日) 14:52 ひと言
┗ 【3332】Re:三国時代の戦について muracchi 2009/1/4(日) 16:35 感謝♪
┗ 【3336】Re:三国時代の戦について R・F 2009/1/7(水) 1:19 雑談
┣ 【3337】Re:三国時代の戦について muracchi 2009/1/7(水) 13:40
┗ 【3338】Re:三国時代の戦について muracchi 2009/1/7(水) 13:48 感謝♪

【3314】三国時代の戦について
教えて  muracchi  - 2009/1/2(金) 11:53 -

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   三国志には多くの戦が繰り広げられていますが、ひとつ教えていただきたいことがあり登校させていただきます。

よくお互いが陣営を敷いている時に、夜襲をかけたりしてたびたび成功しているようですが、夜中でもそれなりに警備とかされていて夜襲を成功させるのは難しいことではないかと自分では思うのです。

例えば儒須の戦いでの呉の甘寧の清栄100人での夜襲など、曹操の陣屋の近くまで行ったとありますが、警備がある陣営ではとても難しいのではないかと思います。

三国時代の戦争の仕方や陣の構え方など知っていると少し理解できるものなのでしょうか?

どなたかご教授お願いします。

【3318】Re:三国時代の戦について
 風月  - 2009/1/2(金) 22:44 -

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   ▼muracchiさん:
>僕が思うに三国志の時代は今のように防犯などがもちろんないわけで服装(鎧)もあまり敵味方ちがってなかったと思います。
夜襲などの奇襲の場合は敵の様子を密偵により事前に調べてから行動するわけで、危険な場合は行動はしません。完璧に勝てる自信というものがあってから戦をするわけです。この場合甘寧の夜襲は事前に完璧に調べ上げており、敵の兵の少ないところの柵を2,3本とっただけでその入り口から100人がきりこんだわけです。
さらに甘寧は出陣の前に酒と肉を100人の兵の前に持ってきて宴会をひらきました。それによりこの100人の兵士は覚悟を決め出陣したわけです。
戦に大切なのは事前に敵の状況を調べておくことと、兵を統率する武将の統率力だと思います。なのでたった100人でも大軍を破ることは不可能ではないわけです。参考にしてくれたらうれしいです。

【3324】Re:三国時代の戦について
感謝♪  muracchi  - 2009/1/3(土) 15:02 -

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   夜襲などの奇襲の場合は敵の様子を密偵により事前に調べてから行動するわけで、危険な場合は行動はしません。完璧に勝てる自信というものがあってから戦をするわけです。>戦に大切なのは事前に敵の状況を調べておくことと、兵を統率する武将の統率力だと思います。

確かにそうですね、まさしく「己を知り、敵を知れば百戦危うからず。」の精神ですね。
とても参考になりました。
ありがとうございました。

【3331】Re:三国時代の戦について
ひと言  R・F  - 2009/1/4(日) 14:52 -

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   ▼muracchiさん:
個々人的な推測も含めて述べさせていただきます。

>例えば儒須の戦いでの呉の甘寧の清栄100人での夜襲など、曹操の陣屋の近くまで行ったとありますが、警備がある陣営ではとても難しいのではないかと思います。

「むじん書院」さん訳の『甘寧伝』より抜粋します。
http://www.project-imagine.org/search2.cgi?text=wu10-8;lang=Jp;option=HrHc
「『江表伝』に言う。甘寧はそこで手下から勇士百人余りを選り抜き、まっすぐに曹公陣営の前まで突き進む。逆茂木を抜かせ、塁壁を越えて陣営に侵入するなり、数十の首級を挙げた。北軍は驚き、太鼓を鳴らしてどよめき、松明を星のごとく掲げたが、甘寧はもう引き返して本営に入ったところで、鼓吹に演奏させて万歳を称えている。」とあります。
「曹操の陣屋の近く」ではなく、「曹公陣営の前」ですね。
百人の兵とともに曹操の軍の前にまで進み、こっそり逆茂木(柵)を抜き、防塁壁を越え、壁のすぐ内側で警備兵を一暴れ、数十の首級(甲首でないことから、警備の雑兵の首と思われます)を挙げ深入りすることなく敵が集結する前に撤退して、敵の肝を拉(ひし)いだ。ということではないでしょうか。
それでも、万余の敵兵のひしめく敵陣営に乗り込んだのは大した度胸です。曹軍の面目は丸つぶれでしょうね。事実であれば、ですが。
なにしろ、引用が信憑性に疑問のある『江表伝』からね。赤壁のとき、曹軍は八十万と書いた代物です。丸ごとの信用は危険かもしれません。
正史の『甘寧伝』本文には「二更の時刻、枚を含んで出撃した。敵兵は驚き、動揺して引き下がった」と、これだけです。
個人的な意見ですが、実際には夜襲(焼き討ちはともかく、夜間戦闘)はほとんどなかったと考えています。よほど地形を熟知していなければ迷いますし、同士討ちの危険も高いものがありますから。夜間に移動して、白みかけた早暁に戦闘開始、というところではないでしょうか。

>三国時代の戦争の仕方や陣の構え方など知っていると少し理解できるものなのでしょうか?
陣の構え方については、「定軍山の戦いで劉備が夏侯淵の陣営の逆茂木を焼き払った」とか曹操が、関羽を破った徐晃を讃えて「賊の包囲陣は塹壕鹿角が十重にもなっていたが将軍は戦闘を挑んで全勝」といっている表現もあります。ほかの記述にも多く出てくることから、陣営には「塹壕」「逆茂木・鹿角」「塁壁」は備えられていたと考えられます。

戦争の仕方や詳しい布陣については正史には、記述は乏しいようです。
良く引き合いに出されるのは、『袁紹伝』にある界橋の戦いですね。
「むじん書院」さん訳の『麹義』の項より抜粋します。
http://mujins.chicappa.jp/mujins/sanguo/k.html#Kiku-Gi
公孫サンは軍勢三万人に方陣を組ませ、騎兵五千人ずつを左右両翼にし、白馬義従が中央を固めた。更に弓弩部隊を左右に散開させていた。一方、袁紹は麹義に八百人を与えて先鋒とし、強弩兵千人をその左右から進ませ、袁紹自身は数万人を率いてその後に続いた。
ビジュアル的には、学研の歴史群像(B5サイズの赤い本です)の「三国志(上)」の冒頭にこの布陣が載っています。

私自身浅学の身ですので、なにか勘違い等がありましたら、ご指摘をよろしくお願いします。

それから、「むじん書院」さま。いつも勉強させていただいております。ありがとうございます。
今回、多く引用させていただきました。お見逃しくださいませ。

【3332】Re:三国時代の戦について
感謝♪  muracchi  - 2009/1/4(日) 16:35 -

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   >百人の兵とともに曹操の軍の前にまで進み、こっそり逆茂木(柵)を抜き、防塁壁を越え、壁のすぐ内側で警備兵を一暴れ、数十の首級(甲首でないことから、警備の雑兵の首と思われます)を挙げ深入りすることなく敵が集結する前に撤退して、敵の肝を拉(ひし)いだ。ということではないでしょうか。
>それでも、万余の敵兵のひしめく敵陣営に乗り込んだのは大した度胸です。曹軍の面目は丸つぶれでしょうね。事実であれば、ですが。
>個人的な意見ですが、実際には夜襲(焼き討ちはともかく、夜間戦闘)はほとんどなかったと考えています。よほど地形を熟知していなければ迷いますし、同士討ちの危険も高いものがありますから。夜間に移動して、白みかけた早暁に戦闘開始、というところではないでしょうか。


R・Fさん、とても参考になる意見ありがとうございます。
それではR・Fさんがお読みになっているかわからないですが、「蒼天航路」というマンガに甘寧の夜襲の場面があるんですが、あのように曹操軍の陣営で大暴れしたのではなさそうですね。

とても勉強になりました。
ありがとうございました。

【3336】Re:三国時代の戦について
雑談  R・F  - 2009/1/7(水) 1:19 -

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   ▼muracchiさん:
>R・Fさん、とても参考になる意見ありがとうございます。
>それではR・Fさんがお読みになっているかわからないですが、「蒼天航路」というマンガに甘寧の夜襲の場面があるんですが、あのように曹操軍の陣営で大暴れしたのではなさそうですね。

史実としては、その方が可能性が高そうですね。ただ、ないとも言い切れないと思います。
それに、史実をどのように読むか、史実をどのようにアレンジしているかを楽しむのが、三国志の「物語」を読む醍醐味ではないかと私は思っています。

『蒼天航路』は私も大好きな作品の一つです。
活劇としての面白さや、思わずにやりとしてしまう正史のコネタ(ケチな曹洪や曹操が朱霊を疎んじていたこと等)をうまく表現していることもさることながら、私が感心しているのは、今までの「三国志物語」としては、ほとんどなかった、文化からの視点を備えているところです。
張角のキャラは少しやりすぎの感がありましたが、「荀[或〃]の息子たちによる儒教思想への批判」「曹操の酒造り」の話や「華陀と張某」の対比、今まで無能なナルシストとしか描かれていなかった何晏を『老子道徳論』を編纂した「衒学の祖」として描いているところ。何晏は新しい世代の新たな思想の潮流の象徴なのでしょうね。

とここまで書いて、気がついたのですが、何晏のあの風貌は1970年代に流行ったヒッピーが元ネタなのではないでしょうか。「クスリ」を決めて町をふらついていたヒッピーと麻薬(五石散)を服用してふらふらしていた何晏、という共通項からの発想では。

話が大きくそれましたね。雑談、失礼しました。

【3337】Re:三国時代の戦について
 muracchi  - 2009/1/7(水) 13:40 -

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   史実をどのように読むか、史実をどのようにアレンジしているかを楽しむのが、三国志の「物語」を読む醍醐味ではないかと私は思っています。

【3338】Re:三国時代の戦について
感謝♪  muracchi  - 2009/1/7(水) 13:48 -

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   >
史実をどのように読むか、史実をどのようにアレンジしているかを楽しむのが、三国志の「物語」を読む醍醐味ではないかと私は思っています。

全く、その通りですね。
史実を自分の中で、どのように理解するかが重要なんですね。
私は「正史・三国志」のほうが「三国志演義」より好きでして、登場する実際の武将たちがどういう行動をしたか読み解いていくヒントになった気がします。

返信ありがとうございました。

また、一つ前の「3337」の投稿は手違いです、すみませんでした。

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