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▼伊比 学さん:
>ただ、なぜ吉川氏は「じゅん」とルビをふったのでしょう?
>当時は他作品でも「じゅん」と呼ばれていたのでしょうか?
>吉川三国志より前の三国志(江戸とか明治時代とか)ではどう呼ばれていたのかとなると資料が手元に無いので謎ですね。湖南文山の通俗三国志にはルビはあるのだろうか…
>まあ、日本人の耳には「とん」より「じゅん」の方が名前として馴染むからという理由もありそうですが。
こんにちわ。
またまた古いツリーを上げてしまいます。
[#3346]
↑ここと同じ流れなんですが、ふとここのツリーを思い出して、試しに捜し見ました。
・古典籍総合データベース
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/
※関連リンク 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)
上記、早稲田大学図書館の古典籍総合データベースにある『絵本通俗三国志』(出版書写事項:天保7-12序[1836-1841] 群玉堂, 心斎橋博労町(大阪))を見てみると、「夏侯惇」のところにはばっちりと「かこうじゅん」とルビが振られていました。
「かこうじゅん」の読みは少なくともここまで遡れるということですね。
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