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書き込みはご無沙汰です。MM2です。
▼水鏡さん:
>はじめまして。何時もここの掲示板を楽しく読ませていただいてます('▽')
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>質問なのですが、後漢書の隠瑜妻伝に郭嘉の子の郭奕の再婚のことが載っていますが、荀爽が生きている当時の出来事と考えても、郭奕は8歳か9歳ぐらいで再婚になってしまうと思うのです。
>これは単純に郭奕ではなく郭嘉のことなのでしょうか?
>お詳しい方、どうか教えてください(−人−)
>
>それにしても荀氏から妻を取れると言う事は、実は郭嘉は結構良い家の出なんでしょうか(笑)
『後漢書集解』での解説。
陳景雲説
荀爽存命中に郭嘉はまだ二十歳となっておらず、結婚できるほどの年齢の子をもうけているとは思えない。
また荀爽も徳行に優れており娘に無理強いして再婚させるとは思えないので、郭奕・荀爽いずれかの姓名に誤りがあるのではないか。
沈欽韓説
この郭奕という者は別の郭奕という者の事で、魏書のいう郭嘉の子の郭奕ではないだろう。
こんな感じです。
『後漢書』に別の潁川郭氏の伝がありますが(下を参照)、
その嫡流は霊帝の頃には扶溝県(陳留)に移住しているようなのでこちらも何ともいえません。
もちろん荀爽の娘の再婚相手の郭奕と郭嘉、それと下に挙げる郭躬とその子孫に
なんらかの血縁関係が無いとも言い切れませんけど。
郭躬は明帝〜和帝の頃の人手、潁川陽テキ出身。
家柄は家世衣冠(家は代々官位に就いた)とあり、本人も法律に明るく廷尉にまでのぼっています。
郭躬の子孫が霊帝の頃太尉になった郭禧で、後漢を通して家を保っていたことが分かります。
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