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▼わた300さん:
>よもやま三国01 http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/yomo01.html
>(電気漢文箱 http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/ より)
>
>上のサイトより、二階堂先生によると、戯曲作品などでも関平を養子とするものはなく、
>「ひょっとすると、この設定は『三国志演義』から始まるのでは?」
>と考えているそうです。
>この話で上げられているようにもともと「関羽の子関平と張飛の子張苞」が義兄弟となることになっていたのであれば、「演義」で関興と張苞が義兄弟となる、という設定に変更する際に関平が実子だと都合が悪かった、ということでしょうか。
こんにちわ、清岡です。
[#T1762]
↑ここのツリーで二階堂先生のサイトについて紹介しているんですが、そのコラムについてはまったく気付きませんでした(汗)
どうも教えていただきありがとうございます。
元明の戯曲の話がかなり興味深いですね。
三人の架空と思われる人物が含まれる「五虎将ジュニア」の話とか
「関羽の誕生日が五月十三日」とか。
http://sangoku.lib.net/apl/blog/?no=88
↑ちなみに横浜関帝廟では誕生日は「農暦6月24日」とのことです。
あと「馬氏の五常」ならぬ「五馬」の話も興味深いですね。
話を戻して、そうなると三国演義で史実寄りにするため、関羽と共に関平を死なせることにして、
三国演義を書く段階でそれまであったイメージ(?)の関平&張苞から劉封&関平+関興&張苞へとイメージ付けをしたんでしょうかね。
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