三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
  新規投稿 ┃ツリー ┃スレッド ┃一覧 ┃トピック ┃番号順 ┃検索 ┃設定 ┃ルール ┃外部カレンダ ┃フロント  
243 / 662 ツリー ←次へ前へ→

【1635】五徳説−それぞれの王朝は何徳? KJ 2005/4/4(月) 0:14 教えて

【1755】ためになりました! げんりゅう 2005/5/27(金) 14:14 教えて
┣ 【1756】白土 清岡美津夫 2005/5/27(金) 15:08 ひと言
┗ 【1757】袁術は相生説で正統化 KJ 2005/5/28(土) 2:56 ひと言
┗ 【1768】Re:袁術は相生説で正統化 げんりゅう 2005/6/4(土) 14:40 解決

【1755】ためになりました!
教えて  げんりゅう WEB  - 2005/5/27(金) 14:14 -

引用なし
パスワード
   >王朝交代劇において、権威の象徴である王朝政治体制を非難する行為は諸刃の剣であり、理論による執行者交代を説明して王朝政治体制を継続していく必要があった。
>相剋説:土木金火水 [紀元前3世紀頃]戦国時代に成立した思想→終始五徳論
>相生説:木火土金水 [紀元前2世紀頃]前漢時代に成立した思想→帝王五徳説

かなりためになりました!結局のところ、五行説を「自分の良い様に解釈した」ということなのでしょうか。

そこで質問ですが、「袁術伝」の注で『典略』に「術以袁姓出陳、陳、舜之後、以土承火、得應運之次」とあります。これは袁術が火徳の漢から土徳である自分が取って代わるという意味で合っているんでしょうか?ちくまの『正史 三国志』には「……土が火をうけつぎ……」とあるんですが、漢文を正確に読めないので誰かご教授お願いします。

それと、五行説と関連しているかどうかわかりませんが質問があります。
『後漢書』「皇甫嵩伝」に黄巾のスローガンが載っていますが、ここに「以白土書京城寺門及州郡官府、皆作『甲子』字」とあります。
当時の土は白色だったのでしょうか?白い土であればわざわざ載せることはしないですよね・・・これに深い意味はあるのでしょうか?

【1756】白土
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2005/5/27(金) 15:08 -

引用なし
パスワード
   ▼げんりゅうさん:
>それと、五行説と関連しているかどうかわかりませんが質問があります。
>『後漢書』「皇甫嵩伝」に黄巾のスローガンが載っていますが、ここに「以白土書京城寺門及州郡官府、皆作『甲子』字」とあります。
>当時の土は白色だったのでしょうか?白い土であればわざわざ載せることはしないですよね・・・これに深い意味はあるのでしょうか?

どうも初めまして。
白土に着目するのは面白いですね。

あまりちゃんと考えずに書き込んでいるんですが、関係あるかもしれないものをみつけたんで、とりあえず書き込んでおきます(すみません)。

中央研究院漢籍全文資料庫の二十五史で「白土」と検索すると後漢書の張衡列伝の注に

河圖曰:「天有九部八紀、地有九州八柱。東南神州曰晨土、正南〓州曰深土、西南戎州曰滔土、正西〓州曰〓土、正中冀州曰白土、西北柱州曰肥土、北方玄州曰成土、東北咸州曰隱土、正東揚州曰信土。」愉、樂也。敖、游也。

という記述がありました。
 白土で書くのは暗に黄巾が冀州から発しているという意味を込めていたりして、なんて連想しました。

【1757】袁術は相生説で正統化
ひと言  KJ E-MAILWEB  - 2005/5/28(土) 2:56 -

引用なし
パスワード
   ▼げんりゅうさん:
>かなりためになりました!結局のところ、五行説を「自分の良い様に解釈した」ということなのでしょうか。
そういうことだと思います。

>そこで質問ですが、「袁術伝」の注で『典略』に「術以袁姓出陳、陳、舜之後、以土承火、得應運之次」とあります。これは袁術が火徳の漢から土徳である自分が取って代わるという意味で合っているんでしょうか?ちくまの『正史 三国志』には「……土が火をうけつぎ……」とあるんですが、漢文を正確に読めないので誰かご教授お願いします。

ちくまの「土が火をうけつぎ」というのは土徳は火徳をうけつぐ意味のことを
言っていますので、あってますよ。袁術は相生説で正統化を図ってますね。
きっと袁術はこんなふうに考えたのではないでしょうか(笑

1.相生説では火徳から土徳に引き継ぐのだな。舜は土徳にあたる。
2.氏姓の展開では、舜の子孫から陳姓が出て、陳姓から袁姓が出た。
3.袁姓のワタシは土徳・舜の子孫であるから、ワタシも土徳だ!
4.ほほーっ、火徳である漢朝から引き継ぐのはワタシではないかっ!

この頃、袁術と袁紹は袁家の棟梁を巡って派閥争いをしていましたから
袁家の棟梁=自分である、と考えていてもおかしくないですよね。
結局、土徳を主張する「仲」という王朝を建国しましたが、
世の中は漢朝の威光がまだあったので、反逆者というレッテルを貼られ
討伐理由の対象となり、群雄のえじきとなってしまった、ってとこでしょうか。

参考:五行相生説と割り当て

伏羲:木徳
神農:火徳
黄帝:土徳
少昊:金徳
せんぎょく:水徳
ていこく:木徳
堯:火徳
舜:土徳
夏:金徳
殷:水徳
周:木徳
漢:火徳−赤色

【1768】Re:袁術は相生説で正統化
解決  げんりゅう WEB  - 2005/6/4(土) 14:40 -

引用なし
パスワード
   ▼清岡美津夫さん:
「白土で書くのは暗に黄巾が冀州から発しているという意味」という発想は、そんな気がしました。なんか深読みしすぎちゃった気がしますけど、ここまで考えていたならなんかすごいですね〜!

▼KJさん:
コメントありがとうございました!
五行説はほんとに色々あるので、難しいですね。。。

  新規投稿 ┃ツリー ┃スレッド ┃一覧 ┃トピック ┃番号順 ┃検索 ┃設定 ┃ルール ┃外部カレンダ ┃フロント  
243 / 662 ツリー ←次へ前へ→
ページ:  ┃  記事番号:   
503,496
(SS)C-BOARD v3.8 is Free