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【2344】張魯についてですが 2006/6/1(木) 7:33 教えて
┣ 【2354】Re:張魯についてですが 2006/6/18(日) 16:31
┃┗ 【2390】Re:張魯についてですが むじん 2006/7/21(金) 22:40
┃┗ 【2391】Re:張魯についてですが 巫俊(ふしゅん) 2006/7/21(金) 23:32 話題提供
┃┗ 【2393】Re:張魯についてですが NAGAICHI Naoto 2006/7/24(月) 11:26
┃┗ 【2459】Re:張魯についてですが 2006/8/21(月) 21:36 解決
┗ 【2357】Re:張魯についてですが むじん 2006/6/20(火) 17:17
┗ 【2358】Re:張魯についてですが 2006/6/20(火) 20:31
┣ 【2360】Re:張魯についてですが 巫俊(ふしゅん) 2006/6/20(火) 21:32 お答え
┃┗ 【2372】Re:張魯についてですが 2006/7/6(木) 18:17
┗ 【2361】Re:張魯についてですが むじん 2006/6/21(水) 0:10
┗ 【2373】Re:張魯についてですが 2006/7/6(木) 18:30

【2344】張魯についてですが
教えて    - 2006/6/1(木) 7:33 -

引用なし
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    「張魯の勢力に楊姓の人(楊任や楊昴)が多いのには理由がある」とのことを以前知ったのですが、恥ずかしながら情報源がどこだったか覚えておらず、疑問となっています。

 どなたかご教授お願いします。
<sage>

【2354】Re:張魯についてですが
   - 2006/6/18(日) 16:31 -

引用なし
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    まさか自分でレスする羽目に陥ろうとは思いませんでした…。

 「楊昴は、チベット族の可能性がある」ということを、覚え間違えたようです。
と言うことは、羌とかの類でしょうか。先祖なり彼なりが移住してきたのでしょうかね?よくわかりませんが…。

 とにかく、お騒がせいたしました。
<sage>

【2357】Re:張魯についてですが
 むじん E-MAILWEB  - 2006/6/20(火) 17:17 -

引用なし
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   こんにちは。

> 「張魯の勢力に楊姓の人(楊任や楊昴)が多いのには理由がある」とのことを以前知ったのですが、恥ずかしながら情報源がどこだったか覚えておらず、疑問となっています。

楊氏については分かりませんが、張角や張魯が張氏だったことから、黄老道を奉ずる者が彼らにならって張氏を称したというのは聞いたことがあります。張魯配下には楊氏が多いようですが、私は楊白・楊昂を楊帛と同一人物だと思っています。字形や音が似ているからです。どう思われますか?

【2358】Re:張魯についてですが
   - 2006/6/20(火) 20:31 -

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   ▼むじんさん:
 
 わざわざご返事ありがとうございます。

>楊氏については分かりませんが、張角や張魯が張氏だったことから、黄老道を奉ずる者が彼らにならって張氏を称したというのは聞いたことがあります。

それは初耳です。確か張燕伝に「張雷公」「張飛燕」「張白騎」といった人物の記述がありましたが、彼らが張姓を名乗ったのはそのことからなのでしょうか。

>張魯配下には楊氏が多いようですが、私は楊白・楊昂を楊帛と同一人物だと思っています。字形や音が似ているからです。どう思われますか?

 字形は、「昴」は素直に頷けます。「白」は下の部分を書き忘れたとすれば納得できます。
 音ですが、私が調べたところ
 白…bai
 帛…bo
 昴…ang
 のようです。「昴」は他とは違う気もします。私の結論ですが、楊白と楊帛は同一と思えますが、楊昴は少し引っかかります。

 蛇足ですが、彼らの事跡を徳間書店の「三国志全人名辞典」で調べたところ、三人違いはしますが、一人にまとめるのも無理ではなさそうです。

【2360】Re:張魯についてですが
お答え  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/6/20(火) 21:32 -

引用なし
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   >>楊氏については分かりませんが、張角や張魯が張氏だったことから、黄老道を奉ずる者が彼らにならって張氏を称したというのは聞いたことがあります。
>
> それは初耳です。確か張燕伝に「張雷公」「張飛燕」「張白騎」といった人物の記述がありましたが、彼らが張姓を名乗ったのはそのことからなのでしょうか。

黄巾(賊)でしたっけ?
その人たちって。
黄巾って、キ州の都市部や河南江北地方に多いって印象ありますけど、
太行山以西の山間にも布教の手は及んでいたとも考えられるんでしょうか?
あと彼らって都市部にもなだれこんできたり、群雄と共闘したりもしますしね。
曹操以外の群雄が、黄巾という「宗教性民族集団」にどう対処・支配・共闘したか、、、

黒山、匈奴、太行山沿いの諸郡の太守たちは、隙あれば黄河の向こうまで蚕食しようという旺盛さが、ときにうかがえますしね。
一番簡単に考えられるのが、黄巾の教義の受容に積極的でないばかりか自領の黄巾を弾圧してきた群雄が、他領の黄巾は支援するという構図ですね。

ついでにこのとき河北で戦略的に重要な地位を占めたのが、匈奴ですね。
この匈奴が漢人の宗教を信仰するようになる過程や、後年に匈奴の枝葉のケツ族を率いて太行山沿いの諸郡から山東地方までを自領とした群雄「後趙の石勒」(4世紀の前半の皇帝)も注目しています。

で、張姓の人ってのがこの時代多いので、一元的に黄巾起源というわけではなさそうですし。
あとヘイ州出身の張遼も、最初はジョウという姓だったのが、張に変わった人ですね。

【2361】Re:張魯についてですが
 むじん E-MAILWEB  - 2006/6/21(水) 0:10 -

引用なし
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   こんにちは。

>>楊氏については分かりませんが、張角や張魯が張氏だったことから、黄老道を奉ずる者が彼らにならって張氏を称したというのは聞いたことがあります。
>
> それは初耳です。確か張燕伝に「張雷公」「張飛燕」「張白騎」といった人物の記述がありましたが、彼らが張姓を名乗ったのはそのことからなのでしょうか。

張雷公は分かりませんが、張飛燕は張牛角からもらった姓なので直接は関係なさそうです。張白騎は本名を張晟といったらしく、これも最初から張姓だったような感じがします。張氏が増えるのはこれより少しあとの時代になるようですね。

さきほど検索した結果です。
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200604/daodu/zhuanwen60.htm
http://lovelovedog.cool.ne.jp/umaatama/947859257bull-kakei.html

> 字形は、「昴」は素直に頷けます。「白」は下の部分を書き忘れたとすれば納得できます。
> 音ですが、私が調べたところ
> 白…bai
> 帛…bo
> 昴…ang
> のようです。「昴」は他とは違う気もします。私の結論ですが、楊白と楊帛は同一と思えますが、楊昴は少し引っかかります。

古代はどうだったか分かりませんが、『康煕字典』によると帛は白と同音であると『集韻』『韻会』に書かれているそうです。彼(ら)の名がどのような史書に記載されているかを調べてみると次の通りでした。

楊昂:魏志武帝紀 同楊阜伝
楊帛:蜀志霍峻伝
楊白:典略(蜀志馬超伝注)

霍峻伝は楊帛が活躍した蜀で書かれた史書なのでまずまず信頼性が高く、『典略』は魏で書かれた史書でやや信頼性が落ちます。それに『典略』の著者(魚豢)はほかでも当事者から聞きだした証言を著作に盛り込んでいることが伺われるので(隗禧・鮑出)、証言者が楊帛と言ったのを耳で聞いて楊白と書いた可能性も考えられます。しかし楊帛表記を是とした場合、武帝紀と楊阜伝がそろって誤写したという少し考えにくいことになってしまいます。やはりそう簡単には解決できないようです。

【2372】Re:張魯についてですが
   - 2006/7/6(木) 18:17 -

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   ▼巫俊(ふしゅん)さん、ありがとうございます。

>黄巾(賊)でしたっけ?
>その人たちって。
>黄巾って、キ州の都市部や河南江北地方に多いって印象ありますけど、
>太行山以西の山間にも布教の手は及んでいたとも考えられるんでしょうか?
>あと彼らって都市部にもなだれこんできたり、群雄と共闘したりもしますしね。
>曹操以外の群雄が、黄巾という「宗教性民族集団」にどう対処・支配・共闘したか、、、
>
>黒山、匈奴、太行山沿いの諸郡の太守たちは、隙あれば黄河の向こうまで蚕食しようという旺盛さが、ときにうかがえますしね。
>一番簡単に考えられるのが、黄巾の教義の受容に積極的でないばかりか自領の黄巾を弾圧してきた群雄が、他領の黄巾は支援するという構図ですね。

 曹操以外の人たちがどう彼らを対処、支配、共闘したのかはちょっと気になりました。早速調べてみます。

>ついでにこのとき河北で戦略的に重要な地位を占めたのが、匈奴ですね。
>この匈奴が漢人の宗教を信仰するようになる過程や、後年に匈奴の枝葉のケツ族を率いて太行山沿いの諸郡から山東地方までを自領とした群雄「後趙の石勒」(4世紀の前半の皇帝)も注目しています。

 後の時代との繋がり、ということでしょうか。様々な民族が漢文化をどう吸収して、そしてどう勢力を拡大していくか…。そのなかに黄巾が入ってくるとは考えも及びませんでした。

>で、張姓の人ってのがこの時代多いので、一元的に黄巾起源というわけではなさそうですし。

 言われてみれば確かに。黄巾だけに結びつけるのはちょっと短慮でした。
<sage>

【2373】Re:張魯についてですが
   - 2006/7/6(木) 18:30 -

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   ▼むじんさん、ありがとうございました。

>張雷公は分かりませんが、張飛燕は張牛角からもらった姓なので直接は関係なさそうです。張白騎は本名を張晟といったらしく、これも最初から張姓だったような感じがします。張氏が増えるのはこれより少しあとの時代になるようですね。

 色々ご指摘ありがとうございます。ちょっと的外れな意見を申し上げてしまいました。黄老への信仰が元で改姓した具体的な人物名を探してみます。

>古代はどうだったか分かりませんが、『康煕字典』によると帛は白と同音であると『集韻』『韻会』に書かれているそうです。彼(ら)の名がどのような史書に記載されているかを調べてみると次の通りでした。
>
>楊昂:魏志武帝紀 同楊阜伝
>楊帛:蜀志霍峻伝
>楊白:典略(蜀志馬超伝注)
>
>霍峻伝は楊帛が活躍した蜀で書かれた史書なのでまずまず信頼性が高く、『典略』は魏で書かれた史書でやや信頼性が落ちます。それに『典略』の著者(魚豢)はほかでも当事者から聞きだした証言を著作に盛り込んでいることが伺われるので(隗禧・鮑出)、証言者が楊帛と言ったのを耳で聞いて楊白と書いた可能性も考えられます。しかし楊帛表記を是とした場合、武帝紀と楊阜伝がそろって誤写したという少し考えにくいことになってしまいます。やはりそう簡単には解決できないようです。

 三人を纏めて一人とするのか、大胆なところでは二人を一人にしてもう一人は別とするのか…。やっぱり難しいです。
<sage>

【2390】Re:張魯についてですが
 むじん  - 2006/7/21(金) 22:40 -

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   こんにちは。

> 「楊昴は、チベット族の可能性がある」ということを、覚え間違えたようです。
>と言うことは、羌とかの類でしょうか。先祖なり彼なりが移住してきたのでしょうかね?よくわかりませんが…。

『三国志』文帝紀に「武都のテイ王の楊僕が種族の人々を連れて降服してきた」という記録があります。また後の時代になりますが、『晋書』穆帝紀に「武都のテイ王の楊初を征南将軍にした」、『魏書』武帝紀に「武都のテイ王の楊玄らが使者を出して降服してきた」とあります。武都のテイ族では長年にわたり楊氏の勢力が強かったようです。このことから、張魯の将の楊昂らもテイ人で、武都の楊氏と関連があると推測されたのではないでしょうか。

ただ、張魯と関連の深かった少数民族はむしろ巴夷(板楯蛮)の方ですし、張魯が武都郡に支配力を及ぼしていたとする記録は見かけないので(曹操が武都経由で張魯を滅ぼそうとしたときテイ人が立ちはだかったという記録はあります)、どうも信じ難いように思います。

【2391】Re:張魯についてですが
話題提供  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/7/21(金) 23:32 -

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   >> 「楊昴は、チベット族の可能性がある」>

>また後の時代になりますが、『晋書』穆帝紀に「武都のテイ王の楊初を征南将軍にした
>武都の楊氏

征南将軍は、蛮族の就く官職としてはかなり高いですね。(八王の乱以降の事例かな?)
騎督とか、部隊長クラスの官職だったら、西晋の盛時から蛮族たちも任官しているようです。

>ただ、張魯と関連の深かった少数民族はむしろ巴夷(板楯蛮)の方ですし、張魯が武都郡に支配力を及ぼしていたとする記録は見かけないので(曹操が武都経由で張魯を滅ぼそうとしたときテイ人が立ちはだかったという記録はあります)、どうも信じ難いように思います。

漢中というと、後漢時代に羌族が大挙して、郡府に押し寄せてきたところですね。
ということは、テイ族の例ではないですが、
漢中府にも楊氏の支族が住んでいて、仕官していたとか、ネットワークをもっていたとも考えられますね。
あるいは、張魯が武都に圧力をかけていたとしたら、(今はまだ仮定の話ですが)
その人質が漢中府に住まいしていたとか。
想像の圏内ですけどw

あとテイと巴の民族の関係ってのがよく分からないんですよね。
西晋末葉には、テイと巴が混ざった集団が陝西から四川に南下したみたいですけど。(五胡十六国の「成」国の李氏政権の基盤集団のことです。)

【2393】Re:張魯についてですが
 NAGAICHI Naoto WEB  - 2006/7/24(月) 11:26 -

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   張魯からはだいぶ外れてしまいますが、すみません。

▼巫俊(ふしゅん)さん:
>征南将軍は、蛮族の就く官職としてはかなり高いですね。(八王の乱以降の事例かな?)

武都のテイ王の楊初は、仇池政権(前仇池)の4代目ですね。もちろん八王の乱以降の事例となります。仇池公として後趙に服属していたのですが、東晋に鞍替えして称藩したときのことだと思います。
五胡のころの仇池政権は武都郡・陰平郡あたりをほぼ掌握していたので、懐柔するのに高位をもってしたのは、さほど不自然ではないかと。

楊氏は渭水上流の略陽に居住していましたが、後漢末に楊駒に率いられて西漢水上流の仇池(甘粛省成県)に移動。楊飛龍のときに略陽にもどり、楊茂捜(前仇池初代)のときに斉万年の乱を避けて再び仇池にうつったということです。
三崎良章『五胡十六国』(東方書店)P76-77参照。

【2459】Re:張魯についてですが
解決    - 2006/8/21(月) 21:36 -

引用なし
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    むじんさん、巫俊(ふしゅん)さん、NAGAICHI Naotoさん、返信が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

 テイと武都の区別をつけることが必要だったのですね。それと、民族事情も。後漢は様々な民族とのかかわりが多くなり始める(気がする)頃ですから、しっかり調べないと…。

 丁寧な解説、ありがとうございました。
<sage>

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