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劉備が孔明に残した「若嗣子可輔,輔之;如其不才,君可自取。」についての疑問です。
先日読んだ、『正史』の抄訳。
『三国志』 宮川尚志著 明徳出版社 昭和45年6月15日初版。平成4年9月30日六版。
に以下のような文章がありました。
劉備が孔明に残した「若嗣子可輔,輔之;如其不才,君可自取。」についての解釈です。「ちくま」の訳では「劉禅に才が無ければ君が国を奪え」という有名な一文です。
宮川先生のこの文に対し、以下のように書いておられます。文を要約して私の勝手な解釈による、誤解があると拙いので、そのまま載せます。
>「自ら取る」とは孔明に自分に代わり国主になれといったのだと解する説があるが、「国政一切の実権を委ねる」との意味で、その一形態として前述のようなことが考えるかも知れないが、のちに実現したように劉氏の王朝のもとで孔明の受任独裁行われるということも含意している。
この解釈に、私は虚を突かれました。私が今まで聴いたことのない解釈ということもありますが、人の親としての心情から言えば、この解釈のほうが自然ではないかと感じたからです。
ここからが質問です。
いつも前置きが長くてすいません。
このような解釈は、宮川先生独自のものなのでしょうか?
それとも、私が知らなかっただけで、ずっと昔からこのような説はあったのでしょうか?
ご教示宜しくお願いいたします。
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