|
▼馬秉さん:
>ふと疑問に思った事なのですが、後漢−三国時代の関所(虎牢関や潼関)は
>敵を防ぐ以外にどのような役割があったのですか?
>日本と同様に関税をとったり、戦時中は敵国の密使を捕らえる等のことをしていたのでしょうか?
関所の役割については、清岡美津夫さんが書いておられること以外に思い当たりません。軍事的なものを除けば、人・物資・通信(情報)の管理と統制が役目だったのでしょう。
税の徴収のほか、禁制品などの密輸を取り締まる・他の地域に犯罪者が逃れるのを阻止する、といった業務をこなしていたのではないかと考えます。
>それと、関所はどのような形だったのでしょうか?(南北に数キロの城壁もしくは、当時の城のように長方形で中に民家があったのか)
>ご存知でしたら並べてご教授ください。
あまり専門的な資料は持っておりませんが、調べた限りでは大きさ・形はまちまちのようです。
webサイト『古代世界の午後』さんで漢代の遺跡一覧から引用させていただきますと、
函谷関 漢代関所址 高さ9m幅25mが残存
玉門関 東西24m、南北26m 高さ9.7m
嘉谷関 要塞の高さはおよそ20m。付属の砦は、ほぼ正方形で各編300m程
となっているようです。
また、学研の『三国志 上巻』P.6に虎牢関のイラストが載っており、幅200mの隘路を城壁(一重)で完全に仕切っています。後方(関内)はガラ空きです。
付属の設備は、吏員の宿舎・武器庫・厩舎・客舎などが描かれ、戦争の際に派遣された軍隊は、テントを張って生活したようです。ゲームと違い、普段から大軍が常駐するわけではないので、あまり多くの人間(軍・民問わず)が生活できるようにはなっていないようです。
もちろん、大きさは周囲の地形や街道の規模によりますので、大きいもの・小さいものがあります。蜀の剣閣などは、写真を見ると「どこに人がいるの? 」と思うくらい小さい施設です。
あまり大したことは書けませんでしたが、ご参考になりましたら幸いです。
|
|